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堺をおもえば・・・今井雅子さん 堺の記憶

更新日:2015年11月20日

堺をおもえば…

今井雅子さん

「私の色を面白がってくれた三原台中学校の恩師が創作の原点です」

プロフィール

 今回の親善大使はNHK連続テレビ小説「てっぱん」で知られる脚本家、今井雅子さん。「堺で学んだことが私の根っこ」と語り、今も仕事で堺と深く関わっている。さらに、これからの思い出の堺まで飛び出して……。

「六条通りで生まれ、泉ヶ丘で育つ」

 今井さんは昭和45年(1970)に堺東駅の南西にある(現・堺区)六条通で生まれた。父上は府立高校の数学の先生で、テニス部の顧問。母上も非常勤で小学校の音楽の先生だった。
「堺東幼稚園の途中で(南区)高倉台2丁目に引っ越して、泉ヶ丘幼稚園に転園しました。隣に住んでいた同い年で運動神経抜群で日本一おしゃべりな佳夏(よしか)と仲良くなって、いつも一緒に遊んでいました。ただ佳夏はお父さんの仕事の都合で、幼稚園の年長から小学校2年生まで西ドイツに行ったんです。その間、お隣はインド人の一家が借りていて、そこのポピーという女の子と仲良くしながら、西ドイツにいる子と文通するというグローバルな幼稚園児でした(笑)」
 そして、堺市立高倉台小学校(現・泉北高倉小学校)に入学。だが、思い出の地はみんな姿を消してしまったそうだ。
「小学校は名前も場所も変わってしまって残念です。2年生の途中で佳夏が(西ドイツから)帰って来てからはいつも一緒に自転車で展望台や公園に行っていましたけど、その公園も全部ないんです。いずみ親子劇場という観劇会に入って、市民会館などで年に6本ぐらいお芝居を見ていましたけど、その会館も建て替えるんですよね……」

「創作の原点になった中学の美術教師たち」

 三原台中学校でも佳夏ちゃんと一緒だった。
「佳夏はすごく目立つ子で、短距離も長距離も学年で一番早い。私はどっちかというと勉強ができるタイプ。友達には“太陽と月”と言われていました。そんなとき、中1の担任で美術を受け持っていた吉田恵子先生が『今井には今井の色がある。誰にも出せない今井カラーだ』と褒めてくれたんです。それで、『私には人と違うものがあるんだ』と思い込んだ。これが私の自信の根っこですね」
 中学のときはソフトボール部だったが、スポーツは苦手で、美術のほうが好きだった。

「もう1人、美術の田中圭一先生が車のスクラップの絵ばかり描いていて、魅かれるものがありました。私たちが堺のことしか知らない中で、田中先生は教師をしながら絵を描いて、東京の展覧会に出品されていた。これも、のちに私が会社勤めをしながら脚本を書く原点になったと思います。

 だから、三原台中学は私の創作の原点ですね」
 田中先生は新人洋画家の登竜門であり、画壇の芥川賞とも言われ、美術関係者から推薦された画家だけが参加できる安井賞にも出品されていたそうだ。

●[吉田恵子先生が語る「恐るべし13歳の今井雅子]へ

「高校の自由な学風の中、遊び友達と食べ歩き」

 そして、三国丘高校に進学。
「校舎が建て替わって母校じゃないみたいになってしまったのが残念です。ただ昭和の初めに有名な建築家が建てた三丘会館だけは昔のまま。そこで部活の卒業する先輩を送り出す茶話会をやりました。校内でパーティーができるぐらい自由な高校だったんです」
 高校2年のとき、1年間、アメリカに留学した。

「帰国して2年生に編入しました。その秋に、男子4人、女子3人の7人で食べ歩きの会を結成したんですよ。今はなき名店[菊一堂]にハンバーグを食べに行ったり。ここのモーニング、略して“菊モー”も大好きでした。男子は全員スイーツ男子で、難波に行くと[スイス]の1リットルパフェを1人1個ずつ食べてました。このお店、堺東が本店ですね」

 高校の近くには、行きたくなるお店がたくさんあった。

「堺東の駅の近くに老夫婦がやっている[キャンティ]というピザ屋があったんです。パイナップルピザとか出すんですけど、おいしいんですよ。ここは不思議なお店で、1年のうち何ヵ月かは、店を休んでイタリアを食べ歩いているという話でした」

 このお店を継いだ方に取材をしたら今井さんの記憶とはちょっと違ったが、確かに[キャンティ]は存在した。

「家族で楽しんだお店の記憶」

 家族でもよく食事に行った。
「さっき話した今はなき名店の[菊一堂]や、うどんすきの[美々卯(みみう)]。それから、あちこちにある[はや]は、民芸肉料理の総本店とか魚料理のところとか、いろいろ行きました。

 もう一軒、ビフテキの[南海グリル]は私が学生だった頃は中華料理店もやっていたんですよ。当時としては珍しくワゴンで飲茶をサービスしていたんです。この間、久し振りに行きましたけど、外観は昔のままで懐かしかったです」

「堺を離れてからふるさと再発見、映像作品にも結実」

 東京に拠点を置く今も、今井さんは堺と縁が続いている。「何気ない日常にドラマが潜んでいる」という今井さんの言葉をヒントに、2013年12月に「ドラマティック堺さがしワークショップ」が始まったのだ。
堺市博物館とか阪堺電車とかで脚本作りのワークショップをやって、新たに思い出の場所ができています。堺市博物館では中学生と一緒にハニワや利休像などの展示物にキャラクターをつけました。面白かったですね。昔、あそこで何を見たのかまったく記憶にないんですけど(笑)、あの円形の建物だけは覚えてました」

 阪堺電車、通称チン電(チンチン電車)とも新しい縁ができた。
 チン電は「てっぱん」にも主要なシーンで何度も登場したが、「ドラマティック堺さがしワークショップ」の第1回の舞台にもなったのだ。
「まず高校生6チームが、走るチン電の中でシナリオハンティングをして、それを短い脚本にしたんです。それぞれがちゃんとその場で見つけたものからドラマを膨らませていったのがすごいと思いました。昔の車両に乗ったんですが、ゴミ箱や鏡があって、そこから婚約指輪をゴミ箱に捨てて、それが鏡に写ったのを車掌が見ていたというストーリーが生まれたりね。とても面白いものが出来ました」

 その6本を今井さんが1つにまとめ、オムニバスドラマ「阪堺電車」のシナリオが出来上がった。そして、羽衣国際大学で映像制作を学んでいる学生たちによって、2015年の8月から映像化が進行している。完成披露試写会は2016年2月の予定。楽しみだ。

これからの「思い出の地」候補

 今井さんはこれから縁ができそうな堺の思い出の地候補も語ってくれた。

「私はカフェめぐりが趣味なんです。最近、堺にもお洒落なカフェができていますよね。友達がいろいろFacebookに上げてくるのを見て、『行きたい~!』と思っています。その中でも一番行きたいのが[桜珈琲]
。市内に何軒かあってどのお店も中庭にドーンと桜の木があるんですって」

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