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堺をおもえば…扇原貴宏さん 堺の記憶

更新日:2023年8月3日

堺をおもえば…

扇原貴宏さん

第二東初芝公園でボールを蹴る日々が僕にとっての少年時代でしたね

プロフィール

 今回登場の堺の親善大使はセレッソ大阪の扇原貴宏選手。身長184センチメートルのイケメンJリーガーとして、日本代表に選ばれたこともある実力派として、セレ女(セレッソファンの女性)のみならず全国的に人気がある。「サッカーしかなかったから」と言いつつ、生まれたときから高校2年まで暮らした堺の思い出の場所をたくさん語ってくださった。

5歳で「幼稚園のサッカークラブ」に

 扇原選手は堺市東区日置荘(ひきしょう)北町で生まれ、小学校5年生のときに日置荘西町に引っ越した。ともに南海高野線・初芝駅の近くである。
「初芝は高いビルとかがなくて、一軒家が並んでいる昔ながらの住宅街。味がある町ですよ」
 ご両親と2歳年上の兄、正吏さんの4人家族。ご両親はバレーボールをやっていたが、次男の貴宏さんは5歳のときにサッカーを始めた。
「うちにあった『キャプテン翼』のビデオを見て憧れて。従兄弟のお兄さんがサッカーをやっていて一緒に蹴ってくれた影響もあります。それに、僕が通っていた菩提幼稚園にサッカークラブがあったので、そこに入ってやっていました」
 幼稚園にサッカークラブがあったとは驚く。スタートからサッカー環境に恵まれていたのである。
 お兄さんも一緒にサッカーをしていたというが……。
「僕のほうが先に始めてました(笑)」
 チラッと負けん気が覗くところが扇原選手らしい。

公園の壁にボールを蹴り、帰りに駄菓子屋さんへ

 その後、堺市立日置荘小学校、その隣の日置荘中学校、初芝立命館高校と進む。現在、初芝立命館高校は移転したが、扇原選手が通っていた頃は小・中学校から500mぐらいのところにあった。
 「ホントに家の近所の学校ばかり(笑)。小学校の頃は第二東初芝公園にメッチャ行きました。今はあるかどうかわからないですけど、壁に丸の穴とかが開いていて、それに向かってボールを蹴ったりして」

 公園の近くには寄り道するお店もあった。
[大忠]っていう酒屋と駄菓子屋が混ざったお店があって、そこでよく駄菓子を買ってましたね。駄菓子みんな好きだったんです」

堺北FCからセレッソ大阪のジュニアユースへ

 小学校3年生のときにセレッソ大阪のスクールに通い、4年生からは堺北FCに入った。
「先輩が入ってたので、僕も続いて。堺北FCは長尾中学で練習してたので、そこまで自転車で通っていました」
 堺市立長尾中学校は阪和線の堺市駅の近く。小学生にとってはかなりの距離だが、それもいとわなかった。そして、中学入学前にセレッソのジュニアユースから入団の誘いを受けた。
「大阪とか関西の選抜チームに入っていたので、どこで見ていただいたのかはわからないんですけど、誘ってもらって。Jリーグの試合見に行くとしてもセレッソ戦でしたし、セレッソが好きだったので、すぐ入ろうと思いました」
 中学1年生からセレッソ大阪のU-15入り。
「地元から電車に乗って住之江の練習場まで通っていました。小・中とサッカーの練習がない日があまりなかったんで、サッカー以外の記憶はないんです。他の習い事とかもまったく興味がなかったし、寄り道する暇もなかったしなぁ」
 そこを何とかと思い出してもらったら……。
「あ、大泉緑地には友だちと自転車でよく行きました。芝生の広場があったのでサッカーしに」
 またもサッカーなんである。

数少ない「子どもの頃遊びに行った場所」

 サッカーに関係ない場所は……。
「小学校の遠足で泉ヶ丘駅近くの[ビッグバン]に行きました。子どもが遊べるところで、巨大ジャングルジムとかがあって面白かったです。あと萩原天神のお祭りには行ってました。金魚すくいが好きでしたね」
 中学生時代は……。
「学校の前にあったサークルKかな。それぐらいしか思いつかない(笑)。あと[ラウンドワン]。そんなに行ってたわけじゃないけど、遊びに行くとしたらここでした」
 本当にサッカー漬けの人生だったのである。

家族で行く焼肉屋と大好きないちご大福

 しかし、家族でよく食事には行った。
「行くのは焼肉の[のて]が多かったです。おいしいから、今でも行きますよ。僕のサインもあります。昔は何でもいけたんですけど脂っこいものが苦手になって…今、食べるのはハラミとか塩タンかな。お酒は弱くもないし、強くもないですが、普段は飲まないです」
 もう1軒、近所で好きなお店があるという。
[一心堂]のいちご大福が大好きなんです。メッチャおいしいですよ。今でも実家に帰ったら、“食べたい”ってお母さんに買って来てもらいます」

高校2年の途中でセレッソの寮へ

 中学卒業後は初芝立命館高校に進学。同時にセレッソ大阪のU-18入りした。
「初芝立命館高校に入ったのは家から近いから(笑)。セレッソ中心の生活をするために、この高校に入ったようなもんです。学校が終わったらすぐ家に帰れて、すぐ練習に行ける。先生も僕がセレッソに入っていることを理解してくれて、融通をきかせてくれました」
 だが、高校2年生の途中から住之江にあるセレッソの寮に入った。
「練習場から堺まで電車で40分ぐらいかかるので、ご飯を食べたり、寝るのが遅くなりますから。それなら、練習場に近い寮のほうがすぐご飯を食べて、寝られて練習に集中できるかなと思って入らせてもらったんです。逆に学校が遠くなっちゃったんですけどね(笑)」
 この寮に扇原選手が入った頃は、香川真司、清武弘嗣、乾貴士と、現在、ドイツ・ブンデスリーガで活躍中の選手たちもいたという。今思うと、すごいメンバーが揃っていたわけだ。
「僕は高校2年で寮に入ったので、3歳上の乾君とはちょっとだけ一緒でした。2歳上の真司君はいました。入れ替わりぐらいだし、真司君は僕がいたことなんて知らないでしょうけど。同じ2歳上のキヨ君とは一緒でした」
 そして、2009年に高校を卒業するとセレッソ大阪のトップチームに入り、2012年にはロンドンオリンピックにも出場。2013年の東アジアカップではザックジャパンの一員に選ばれ、優勝に貢献した。

シーズンオフには地元のゴルフコースも回る

 2014年に結婚、可愛い長女も誕生した。
「実家は近いんですけどシーズンオフにしか帰らないです。シーズン中はサッカーに集中してるので。
 でも、帰ると小・中学校のときの友だちと会います。みんなサラリーマンになったら付き合いで必要らしくて、ゴルフを始めていたんです。僕も一昨年ぐらいから始めたので、この間のシーズンオフに初めて友だちとゴルフに行きました。泉北ニュータウンの[堺カントリークラブ]に。もう楽しくて、”これから、毎年シーズンオフにやろう”と約束しました。4人で行ったけど、まだ行きたいヤツがいたんで、次は5人から6人になるかな」
 ゴルフも上手なのだろうか。
「いや、シーズンオフに何回かしかやらないので全然上達しない。へったくそです(笑)。お父さんと大泉緑地の隣にある打ちっぱなしに行ったりしてるんですけどね」
 初芝に帰ってくるとどんな気持ちになるのか。
「ずっとこの辺で育ったし、実家があるから落ち着きます。シーズンオフに帰って来て、ホッとするところですね」
 セレッソ大阪は残念ながら、今シーズンはJ2に降格してしまった。来シーズンのJ1復帰、そして、ハリルジャパンでの日本代表選出に向けて、堺で充電しつつ頑張ってほしいものだ。

※記事内容は取材当時のものです。

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