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全体会B 世界の女性の現在(いま)、そして、これからの地球社会~女性差別撤廃条約と国際社会の役割~

更新日:2012年12月19日

講師
林 陽子(はやし ようこ)
(弁護士・国連女性差別撤廃委員会委員)
李 節子(り せつこ)
(長崎県立大学大学院人間健康科学研究科教授)

日本を含め世界の女性が置かれている状況を知り、国内における国際化が進む中、ジェンダーの視点から、深刻な課題をひもといていただきました。1995年、第4回世界女性会議において発布された北京宣言から15年を迎えようとしている今、女性差別撤廃条約と国際社会の役割を考え、これからの地球社会を具体的にイメージし、行動することが必要です。

国民のパワーが条約を守らせる

林 陽子

 この全体会の目的の一つが、「女性差別撤廃条約と国際社会の役割を考える」ということですので、私の仕事の一つであります国連の女性差別撤廃委員会(CEDAW)についてお話します。とりわけ、この条約がどういうもので、そこにつけられている「選択議定書」がどういったものなのかといったことを中心にお話したいと思います。

 また、今年は、女性差別撤廃条約が成立して30年目という大変記念すべき年にあたりますが、そのような記念すべき年に、自治体として、日本の中で最も先進的に男女平等政策に取り組んでこられた堺市において、日本女性会議が聞かれたということはすばらしいことだと思っています。

 女性差別撤廃条約は、社会のあらゆる面での差別的な法律を見直していく、それから差別的な慣習や慣行を見直していくということを目標にしています。したがって、この条約は第1条の中で、「社会的、文化的、政治的、経済的、あらゆる場での男女の平等」という言葉が使われております。だから、単に参政権があります、義務教育が男女平等に整っていますということだけではなくて、社会の現実の中で「それがどういうふうに作用しているのか」ということが常に問われています。

 次に、「条約を守っている」ということを誰が監視していくのか、モニターしていくのかということですけれども、これは条約の締約国が、選挙で選ぶ23名の委員による委員会(=女性差別撤廃委員会)によって、政府報告書が審査されます。そこで、「おたくの国は条約に入ったけれども、まだこういう点がたりないのではありませんか」という指摘をしたり、逆に進歩した点があれば、それについては「とてもよいこと、変化が起こっています」などの励ましを与えるといった形で勧告を採択しております。

 実は、日本政府に対しても、過去4回、CEDAWから定期的な勧告が出ています。「条約を守らせるのが誰なのか」という問題については、結論から言うと、その国のピープルズパワーが自分の国の政府に対して、その勧告の実行を迫るという以外に方法はありません。それは国民が国に対して、このCEDAWの勧告を守ってほしい、あるいは守るような裁判を実現するように、裁判官であるとか、弁護士、検察官といった法律家を啓発していくという必要があります。

 今年の7月にニューヨークで4回目の日本政府の報告書の審査がありました。条約を批准した国は4年に1回、この報告書をCEDAWに出すことになっております。日本に対しては、もちろん肯定的に、積極的に褒められた面もたくさんありました。男女共同参画社会基本法ができたこと、DV法ができたこと、人身取引について刑法を改正したことなどは進歩であると認められた反面、やはり雇用において、男性と女性との間で100対68の賃金の格差がある、家族法で夫婦別姓が実現をしていない、婚外子の相続分が婚内子の相続分の半分である、ドメスティック・バイオレンスを初めとする女性に対する暴力、子どものポルノグラフィなどが、お店やインターネットで簡単に入手することができるといったことについて、日本社会は甘過ぎるのではないかといった指摘もなされました。

 また、日本にいる在日コリアンの女性であるとか沖縄出身の人、被差別部落出身の人、アイヌの先住民の人たちといったマイノリティ女性が置かれている立場について、日本政府の統計も不備ですし、そういった人たちに対する施策というのが具体的に何もなされていないのではないのかといった質疑もなされ、勧告の中でもそのような内容に触れられております。

『選択議定書』の批准は、国際基準を取り入れること

 では、先ほどの『選択議定書』というのが何を規定しているのか。これには、『個人通報制度』というものがあります。これは個人申し立て制度と言ったほうが分かりやすいかもしれませんが、条約違反があったとき、CEDAWに対して、「私の国の政府は条約を守っていませんから救済をしてください」という、申し立てができるということで、これを個人通報と呼んでいます。この個人通報のルールとしては、まず自分の国で裁判を起こして、日本で言うと最高裁まで争って、それでもなおかつ負けたというときに初めてCEDAWに申し立てができるという制度です。

 現在、国連加盟国は192ありますが、CEDAWの女性差別撤廃条約は、そのうち186の国が既に批准をしています。批准していない主な国は、スーダン、ソマリアというアフリカの二つの国、中東のイラン、そして何とアメリカ合衆国なんですね。オバマ政権は、女性差別撤廃条約に加盟することを選挙の公約にも掲げていたそうですので、近いうちに必ずアメリカは入ってくれるだろうと私は期待をしています。

 他方、この選択議定書は、98の国が既に批准をしています。先進国と言われる国の中で選択議定書に入っていない、つまり個人通報を自分の国の市民に許していない国というのは、日本が唯一取り残された状態になってしまっています。

 では、選択議定書を批准すると一体何が変わるのか。私自身は、いろいろな女性差別あるいは男女の平等といったものを日本基準だけで判断するのではなくて、グローバルな国際基準で考えられるようになるという大きなメリットがあると思います。また、今、世界中の国は、いわゆる相互依存関係をお互いに深めていますので、日本人もほかの国が置かれた女性の状況にもっと関心を持つようになって、相互に助け合う関係がより緊密になっていくと思います。

 その意味で、堺市に国連女性開発基金(UNIFEM)リエゾンオフィスが置かれたことは大変素晴らしいことだと思います。日本が積極的に国際機関を受け入れ、女性に対する暴力や女性と開発の問題等について、「リーダー」としてやっていくということの決意表明が、UNIFEMの事務所受け入れという、ひとつの形になって、あらわれてきたのだと思います。ここで選択議定書を批准して個人通報が許されるような形になり、個人通報制度を通じて世界中の女性たちと共通する問題点を分かち合えるような日が早く来ることを願っております。

グローバル化は「お互いさま化」

李 節子

 この会のテーマが、「世界の女性の現在(いま)、そして、これからの地球社会~女性差別撤廃条約と国際社会の役割~」ですので、私は、世界の女性の現在(いま)ということでお話をさせていただきたいと思います。まず、最近、グローバルという言葉がいろんなところで使われていますが、要は地球という意味なんです。これからの時代は“地球人”という感覚が、やっぱりものすごく必要になってきたなというのは、実感しています。

 これは1950年から約60年間の日本人出国者、外国人入国者数の推移なのですが、1年間の日本人の海外出国者数は約1,600万人。外国から日本にいらっしゃる方は900万人ぐらいです。合わせますと2,500万人になります。国境を越える人はのべ5,000万人です。(資料1)

 今度は日本に暮らす外国籍住民の方の数ですが、1980年代後半からいろんなとこから日本に働きに来られるようになって、この15年間で150万人以上の方が増えたんですね。現在220万人、過去最高になっています。どの地域からもたくさんの方が日本にいらしてます。(資料2)

出入国者数の推移のグラフ(資料1)(資料2)

資料1 日本人出国者・外国人入国者の推移
資料2 日本人における外国人登録者の推移

 外国籍住民割合というのを計算してみたのですが、2008年、日本に暮らす住民の57人に1人は外国籍の方で、何と190か国の方が日本に暮らしています。それから、外国人登録者の実際の国籍なのですが、中国、韓国、朝鮮、ブラジル、フィリピン、ペルー、米国、その他となっています。海外在留邦人(海外で暮らしている日本人)は、実は今、過去最高となっています。日系人が250万人、3か月以上海外で暮らす方が60万人ですので、300万人以上の方が海外で暮らしていらっしゃいます。最初、グローバル化と言いましたけれども、グローバル化って何かと言われたら、私は「お互いさま化」だと思うんです。日本に外国人の方が200万人、日本人は海外で300万人暮らしている。だから、グローバル化はお互いさま化なんですね。

 次に、国際結婚について話をしたいと思います。国際結婚もすごいことになっています。何と、2006年の日本人の国際結婚の数は、全世界で5万5,119件。日本国内では4万4,000件、外国では1万件で、これを世界の割合で見ますと、全世界の日本人の13組に1組が国際結婚なのです。

 日本国内の国籍別の婚姻件数を見ますと、圧倒的に「外国人女性と日本人男性」の結婚が多いですね。夫が外国人で妻が日本人の方も増えています。日本国内で夫、妻両方とも外国人の方は、この40年間ほとんど変わっていないです。外国で結婚する日本人の国籍は、日本とは逆の状態で、妻が日本人女性、夫が外国人男性という数がもう圧倒的に多くて、海外の国際結婚の8割は、日本人女性が外国人男性と結婚しているのです。ちょうど逆のパターンだなと思っています。(資料3・4)

国籍別婚姻件数の推移のグラフ(資料3)(資料4)

資料3 日本における夫妻の国籍別婚姻件数の推移
資料4 外国人における夫妻の国籍別婚姻件数の推移

 人間には出生性比というのがありますが、おなかの中で受精したときには、男の子が120だとしたら女の子が100の割合で誕生するのです。しかし、実際に生まれるときは男の子が103から107人に対して、女の子は100というふうに生まれるのです。第三次性比でみると、男性は生涯を通じて少し死亡率が高くて、40歳から50歳になったら並行になっていくのです。例えば出生性比が、極端な例ですけど、男性150に対して女性が100という統計が出ることがあります。これは明らかに女の子が生まれるときに殺されているか、あるいは生まれても登録されていないかということです。

 家を継ぐのは男なので、男じゃなければだめだとか、女の子は要らないという。出生性比には、それらの背景がエビデンス(科学的根拠)としてよく現れます。

 これは1955年からの過去50年間の5歳未満の総死亡数に占める国籍割合を出したものです。(資料5) 2005年ですと、韓国、中国、米国以外のその他の外国、いわゆるフィリピン、タイ、ブラジル、ペルー出身の子どもたちが小児医療現場でたくさん亡くなっています。

 この問題を何とかしようと頑張った方がいらっしゃいます。ある自治体の予防接種などの乳幼児健診の受診率のことですが、日系ブラジル人を中心としてたくさんの母親が出産していたはずなのに、乳幼児健診にほとんどいらっしゃらないということを保健師が気づき、調査をし、通訳を入れたことがありました。口コミで通訳の日系ブラジル人の方がいるというのがぱっと広まったら、翌年から、乳幼児健診の受診率が30%から80%に上がったのです。これは、“女性の視点”で疑問を持つことが、やはり非常に大切だということではないでしょうか。

多民族・多文化共生を豊かさとして受け入れよう

 先般、厚生労働省の関係機関の母子保健事業団から、言葉の問題が大きいので多言語の「母子保健医療・子育てガイド」というのをつくらせていただきました。1冊525円で電話すれば取り寄せられますので、ぜひご関心のある方はご覧になっていただきたいなと思います。

 日系ブラジル人の方がたくさん住んでいるところで、岐阜県可児市多文化共生センターというのが2008年4月にオープンしました。何と1年間で3万人の方がセンターにいらっしゃいました。外国籍の方が65%を占めています。ここに皆さんが集まっていろいろと話をしたり、相談に乗ったりしています。センターを設置するにあたって、「ともに安心して生きられる社会をつくりましょう」という設置目的で条例が作られ、センターが運営されています。

 昨今の経済危機の中で日系ブラジル人の方たちは、一番最初にリストラに遭わされます。それで、介護へルパー2級の資格を取れるように、多文化共生センターの方たちが援助をして講習会を聞いたのです。それで、無事、ブラジル、フィリピン、中国、インドネシア、エクアドルの国籍の方、20名の方が資格を取得されました。

 やっぱり長く看護専門職として、女性や子どもの健康を考えたときに、やはり社会が変わっていかないと絶対だめだと思うのです。社会に多様性があって、選択性があって、人に優しい社会であるということ。あと、私はいろんな方の出産をお手伝いさせていただいたのですが、どの方もやっぱり子どもに対する思いは同じなんですね。

 子どもは社会の夢で、希望で、虹色の夢を持って生まれてきますが、やはりこの日本社会に多民族・多文化共生の現実を豊かさとして受け入れて、強みとして期待して、希望として願う土壌がつくられなければ、本当に子どもたちがつらい思いをしていくということは実感しています。

 昨年は世界人権宣言60周年だったのですが、その中に書いてある、非常にシンプルな英語の一文に、「すべての人は生まれながらにして尊厳を持っている…」という言葉があります。

 今度は女性の暴力の話をしたいと思いますが、2001年にDV法ができ、3年後に改正されるというとき、実は外務省のアジア女性基金の方から、報告書を出しませんかと言われたので書きました。政府系の委託事業でしたので、8,000部ぐらいが、全国会議員、市会議員、関連機関すべての方に配布されました。ちょっとは、この報告書が法改正に影響を与えたかなと思っています。

 私が非常に希望を持っているのは、このDV法の職務関係者による配慮の記述のところです。ここには、今までは国籍という言葉はなかったのですが、この中に、「被害者の国籍、障害の有無を問わずその人権を尊重するとともに、その安全の確保及び秘密の保持に十分な配慮をしなければならない」という法ができたのです。これは、ものすごいことじゃないかなと思っています。(資料6)

 この報告書には、アジア系の女性のためのDVのシェルター、オフィスをつくった方にもレポートを書いていただきました。今日、皆さんに、この話をするにあたってボストンへ行ってきました。このシェルターは、DVの被害に遭ったアジア系の移民・難民女性を中心とした救済を目的に、1987年に設立された非営利団体です。DVは基本的人権の侵害というふうに考えておられ、対象者の米国滞在の合法性の有無を問わず、広く救済活動を続けていらっしゃいます。DVの被害の問い合わせは、全米、時には海外に及んでいまして、その国の言葉を話すだけではなくて、被害女性の文化的背景も理解するようなスタッフがきめ細かいサービスをされていました。(資料7)

 DV被害を受けますと、子どもたちも非常に傷つきます。このシェルターを設立したときにかかわった日本人女性は、子どもの教育をとても大事にしている方でしたので、子どもたちがくつろげるリビングや、子どもたちの絵本がいっぱいあったんですね。本当にすばらしいなと思いました。

 そのボストンで15年以上このシェルターで、日本語の対応を頑張ってきた日本人女性から、日本の方に向けてのメッセージビデオを撮らせていただきましたので、皆様に見ていただきたいなと思います。(ビデオ)

DV法は「複合差別」を意識化して取り入れた初めての法律

李 節子

 DV法が改正されるときに、『国籍あるいは障害の有無を問わず…』という内容が入ったということはどういう意味を持っているのか、教えていただきたいのですが。

林 陽子

 私は、DV法は、日本の法律の中で、複合差別を意識化して取り入れた初めての立法例だと思います。ただ、これが初めてですと言い切れる自信がなかったのですが、学者の方がそう論文を書いているのを発見して、大変うれしかったですね。

 その学者の方というのは、明日の分科会で発言される三重大学の岩本美砂子先生ですが、このDV法改正と外国人女性の問題を日本政治学会で発表された論文を拝見して、非常に感銘を受けたことがありました。非常に大きな意味があると思います。だから、それに李さんが貢献されたというのはすばらしいことだと思います。

李 節子

 たまたま私がかかわったということです。DV法は、実は21世紀になってからできた法律なのです。私はそれにすごくびっくりしているんです。だから、DV法の影響というか、具体的にだれがつくって、だれが言い出して、それで私たちがどう助かっているのかということがわかりません。

林 陽子

 私も1990年代の前半に、東京都で家庭内暴力についての調査委員会を立ち上げたときに委員をしておりました。それで、当時は家庭内暴力と呼んでいましたけど、家庭内暴力について何か統計があるかと調べてみたところ、調査をしていたのは民間団体と堺市だけで、その当時、唯一の公的な統計というのは堺市のものだけだったということがありました。

 私たちは、それを非常に心強く思いまして、その後、東京都が調査をして、国が内閣府として初めて一般市民に調査票を送ることになりました。したがって、日本のドメスティック・バイオレンス禁止法の歴史というのは、この与謝野晶子の出身地である堺市から始まっているということが言えると思います。

 それまで、日本政府は、国連の会議などで「家庭内暴力を禁止する法律はないのですか」と聞かれると、「いや、あります。刑法で処罰されます」という言い方をしていたんですね。けれども、国際社会でDV法と言っているのは、そういう一般の法律の中でDVも含むということではなくて、ドメスティック・バイオレンスが持っている特有な問題について対策を立てる特別な法律をつくるということです。その意味ではそもそも統計がなかったので、どのぐらいの女性が被害に遭っているかがわからなかった。それが、ようやく自治体が動き、国が法律をつくるようになった。その背景には、1995年の北京会議、2000年のニューヨークでの国連特別総会などでのNGOの女性たちの働きかけがあり、日本政府もようやく重い腰を上げたということだと思います。

李 節子

 それでもう一つ、女性差別撤廃条約って何なのですか。

 例えばこれ女性差別撤廃条約という名前ではなくて、人権差別撤廃条約とか人間差別撤廃条約とかでもいいはずなのに、あえて「女性差別」という名前がついた条約があることの意味ですね、その辺を先生に教えていただきたいのですが。

林 陽子

 とても難しい根本的な質問ですよね。私たちが、今、議論している人権というものは、フランス革命などに始まると言われているのですけれども、例えばフランスの人権宣言を読んでも、フランス語には性がありますよね。いわゆる男性名詞、女性名詞というのがありますから、ここで言う“人”というのはオム(homme)ですので、「男性市民及び男性の権利宣言」だったということなのです。

 「女性を全く排除する」という趣旨ではなかったのでしょうが、その後にできた世界人権宣言、国際人権規約を初めとする人権文書の中で、女性が受けている体験、例えば賃金で差別されるとか、戦争が起こるとレイプされるとか、家庭内で夫から暴力を受けるといったような問題が、従前の人権条約では、意識をして扱われてこなかったわけですね。そこで、女性たちが、「女性差別を撤廃するための条約をつくれ」ということで、非常に長い時間と労力をかけて成立させてきました。まず条約をつくって、差別というのが違法であるということをきっちりと規定をして、国にそれを守らせるということが必要だということで、1979年、30年前に条約ができました。

「堺の国連女性開発基金(UNIFEM)リ工ゾンオフィス」が持つ意味

李 節子

 国連の直轄のUNIFEMリエゾンオフィスが、この堺市にできたことはどんな力を持つのでしょうか。

林 陽子

 これもとても重要なことだと思います。皆さん、1975年に最初の国連の第1回世界女性会議がメキシコシティで開かれ、翌年の1976年から85年までの10年間が、「国連女性の10年」とする運動がありましたよね。「国連女性の10年」の大きな成果として、UNIFEMをつくって、国連の女性開発基金として途上国の開発の問題にもっと力を入れていこうという体制がとられたことがあります。

 それと、女性差別撤廃委員会にとっては、現在のところ、条約の実施のためのパートナーがいないということが問題ですね。だから、今、委員会の間では、もっと女性差別撤廃委員会とUNIFEMの関係を強めていきたいということが、ことしの7月の会議で話し合われました。

 その意味で、アジアのリエゾンオフィスが日本に来てくれたという。しかも、東京一極集中ではなく、今までジェンダー平等に取り組んできた堺市に来てくれたということは非常に大きな意味がありますので、いろいろな国際的な情報も、もっとこの堺のUNIFEMリエゾンオフィスが中心になって発信してくれることがあると思います。また、日本の女性たちが途上国の女性たちのために貢献できることもいろいろと出てくると思います。

李 節子

 そうすると、UNIFEMは国連機関ですが、日本の問題はもちろん、世界の問題もここから見ていくということですね。もう一つ、先ほど、議定書とか何とか言われていましたが、条約と議定書って、申しわけないですけど混乱していて、よくわかりません。議定書って、日本は、すでに批准していたのではないのですか。

林 陽子

 いや、してないのです。選択議定書ができたのは1999年なのです。だから、女性差別撤廃条約は、ことし30周年ですけれども、議定書は10周年です。女性差別撤廃条約というのは、他の人権条約とちがって、個人通報なんかなくてもいいんじゃないのと思われて、条約の本体しかないままで、1979年にできたのです。それを女性たちが、「私たちも個人通報をしたい」、「この条約では不完全なんだ」ということで運動をして、1999年に個人通報をするための選択議定書というのを新しくつくったのですね。ところが、日本は1985年に条約に入ったのをよしとして、その後、選択議定書に入ることを怠ったまま、今日まで来てしまった。

李 節子

 じゃあ、先生は、入った方がいいと思っていらっしゃる。

林 陽子

 私は入った方がいいと思っています。

李 節子

 それはなぜですか。

林 陽子

 選択議定書に加入して、もしも日本の裁判で救済が得られなかった場合には、女性差別撤廃委員会に行きますよという体制があれば、日本の裁判官が判決を書くときに「これがもし条約委員会に行ったときに、この判断が通用するんだろうか」ということを少しは考えるようになると思うのです。もちろん前提としては、個人通報などしなくても、日本の司法で女性の権利が救済されることが大切です。しかし、選択議定書を批准して個人通報ができるようになると、国際的な基準というものと日本の基準というものを比較することができます。また、「私に権利がある」という申し立てをする人たちにとっても、自分の権利というのが、今、一体、国際社会のスタンダードから見てどこにあるのかということが見えやすくなる点で、私はとても重要な制度だと思っています。

李 節子

 条約にしても議定書にしても、やっぱりまず市民の声が大事なんですよね。法ありきではなくて、みんなが積極的に意思表示するという。

 男女平等といいましても、絶対にちがうことがあるんです。それは、人間を産むのは女性だけということです。おなかに赤ちゃんを宿すと、やはりある時期は、男性と同じように、マシンのように働けるわけがないのです。助産師の倫理的責務は、「命をはぐくむ」「命を大事にする」ということなのです。子どもを産んだから、結婚したから、子育てしたから仕事をやめてくれと言われると、何が起こるかというと貧困です。生活できなくなる。だから、私はやっぱり女性会議は、絶対必要だと思っているんです。「産む性」だということだけで仕事をやめさせられるわ、住むところがなくなるわ、全部の責任は女にあるわと言われたら、「そんなん、やってられますかいな!」と思ってしまいます。

 最後にやはり、弁護士の倫理的責務として、あるいは国連女性差別撤廃委員会の弁護士として、ぜひ先生の思いを聞かせていただきたいのですが。

林 陽子

 私自身、自分1人でできることは大変限られていると思いますが、困った立場にある女性を助けることが弁護士の仕事の原点だと思っています。私も、李さんが助産師を天職だと思っていらっしゃるように、弁護士が天職だと思っておりますので、日本の中で女性の人権を少しでも強めるために仕事を続けていきたいと思います。同時に、今たまたま女性差別撤廃委員会の委員という仕事をする機会を与えられておりますので、日本の中での女性たちの努力を国際社会に伝えていきたいですし、また、国連の中で展開されているさまざまな新しい動き、新しい理論を少しでも日本の人たちに伝えて、日本の中での新しい動きにつなげていきたいと思っております。

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