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与謝野晶子-はたらく女・恋する女

更新日:2012年12月19日

対談
小倉 千加子(おぐら ちかこ)
(心理学者・聖心女子大学講師)
山田 登世子(やまだ とよこ)
(愛知淑徳大学現代社会学部教授)

堺が生んだ晶子、そして鉄幹、ココ・シャネルなどの研究者である山田登世子さんと、母性保護論争などで鋭い理論を展開してきた小倉千加子さんが、生誕130年を迎えた晶子の現代にも通ずる感性、思想について熱く語られました。

語り継ぎたい、晶子のすばらしさ

山田 登世子

 今日の対談のテーマである「はたらく女・恋する女」を考えたのは、実は私です。それがもう私の最初のメッセージになっていると思っています。

 また、私は、今日大変悲観的になっています。堺が生んだ天才歌人、与謝野晶子を世界に羽ばたかせたいという思いが人一倍強いので、今、この壇上にいるのですが、「そんなうまいこといかないのではないか」と思っているからです。与謝野晶子はすごい女で、生まれてからほとんどずっと働き続けて、あんな甲斐性のない亭主にもかかわらず、貞操を尽くして、愛し続けて、10人の子どもを育てた。こんな女はもう二度とあらわれないと思います。また、与謝野晶子は何と言っても「恋の歌」を歌った歌人であり、それを置いて、与謝野晶子が語られることはないでしょう。

 私は、「晶子とシャネル」という晶子論を書きました。フランス文学が専門ですからシャネルについては大変詳しいのですが、何でシャネルはこんなに流行るのかというと、それは「洋服」だからです。「ファッションは文学より強し」と、本当に思いました。与謝野晶子から歌を取ったら、それはシャネルから洋服を取るのと同じです。

 私の思いはただ一つ、与謝野晶子という人が語り継がれてほしい、そして与謝野晶子の恋の歌が歌われ続けてほしいということ。晶子の歌を、恋の歌を歌い継ぎ、語り継いで、盛り上がる会にしたいと思います。

小倉 千加子

 私は山田さんとかつての同僚で、同じ大学で教鞭をとっておりました。先ほど非常に悲観的なことを言われましたが、要するに服は売れることによって残りますが、歌は商品ではないので残らない、新たには誰も買わないということですね。私も半分そのとおりだと思います。

 ジェンダーの観点から言えば、与謝野晶子という人は、“ジェンダーは虚構である、しかし必要な虚構である”ということを生涯かけて歌に詠んだ人です。

山田 登世子

 私が一番好きな歌は『みだれ髪』です。どうして私が先ほど、悲観的と言ったのかというと、晶子と関係なく、恋愛の体温が今、ものすごく低くなっているからです。時代が冷え切っているから、景気も冷え、ハートも冷えています。恐らく日本史上、一番恋愛が盛り上がった時代に一番熱い恋の歌を歌った人が与謝野晶子だと思います。「道を云はず後を思はず名を問はずここに恋ひ恋ふ君と我を見る」、これは世界で最高の情熱恋愛を女の側から詠んだ歌だと思います。こんな歌を歌った女性が日本にいるのは、すばらしい。ぜひとも、これを語り継ぎたい、歌われ続けてほしいと思っています。

 晶子の歌のすばらしさは、一度読むと覚えてしまう音韻のすごさにあると思います。ですから晶子がどんなにすばらしい女性だったかについて大いに語って頂くのは結構ですが、朗読会を持っていただいて、本当に曲を聞くように、晶子の歌を読み継いでいってほしいと思います。

小倉 千加子

 鉄幹についてですが、当時の鉄幹には妻子がいましたよね。

山田 登世子

 結婚してはいなかったけれど、子どももいて、事実婚をしていました。そういう状況の中に、飛び込んでいく晶子もすごいですけれどね。

小倉 千加子

 じゃあ、親の反対を押し切って東京に出ていったわけですね。それまで晶子は家業を一生懸命手伝う働く娘だったんでしょう。なのに、そこだけは親の言うことは聞かなかったわけですね。

山田 登世子

 だから鉄幹がいかにすごい男だったかということです。もてる男であったことも確かですね。

小倉 千加子

 これから与謝野夫婦の結婚生活について質問していきます。

 「恋する女」と晶子を定義したときに、私は晶子の本を読むまでは、鉄幹と相思相愛だと思っていましたが、必ずしもそうではありませんでした。晶子のほうはものすごくテンションが高くて、鉄幹はちょっと逃げ腰というか、及び腰のところがあるじゃないですか。そういうことは、当然、歌には歌われていません。

「恋する力」は嫉妬と執着心

山田 登世子

 歌っていますよ、鉄幹が歌ってます。この夫婦のおもしろいところは、非常にさえた定義として、小倉さんが「虚構」という言葉を使われましたが、本心の部分もあることです。

 というのも、歌というのは、共同体の中にあります。歌会が必ずあり、同人たちが集まって公の場で歌を詠み合います。だから、もっと浮気させろと鉄幹は歌っていますし、それをとがめる歌も晶子は歌っていますが、それを公然と公の場で歌い合います。だから独特のものがあるし、どちらも恋愛者であり、恋愛の表現者なんです。だからそういう意味でも、歌は「虚実のあわい、間)」にあるものだと思います。

 晶子には一生涯離れられない、捨てることができなかった友人でもある、恋がたきがいました。山川登美子という才媛です。鉄幹もすぐれた歌人ですから、晶子が上京して鉄幹の懐に飛び込んでくる前に、山川登美子と三角関係になるんです。鉄幹は嫌らしい男で、2人とも好きになり、どちらにもいい顔をしてるんです。晶子は嫉妬しますが、山川登美子は大変哀しい女で「それとなく紅き花みな友にゆづりそむきて泣きて忘れ草つむ」という可憐な歌を残して、自由恋愛もできぬまま、親の勧めた人と結婚してしまう。しかし、結婚相手が肺結核にかかって数年で亡くなり、みとった自分も肺結核にかかって、はかない命が散るのです。「美人な乙女」というのは、「かわいいいとはん」だと思いますので、鉄幹がいとしく思わないわけがないです。

 鉄幹にとって不運だったのか、晶子にとって不運だったのか。それとも幸運だったのかもしれませんが、登美子は死んでしまいます。生き別れした人は忘れることもできるが、死んだ人は一生忘れられない。だからその嫉妬は一生ついて回ります。

 私が幸運だったのかもしれないと言ったのは、恋愛の60%は嫉妬であること。晶子が生涯にわたって恋の歌を歌い続けられたのは、亡くなって自分を裏切った親友、登美子の存在があったからかもしれません。

小倉 千加子

 3人いたから続いたと言うのは、説得力がありますね。恋する力は嫉妬する力であって、ライバルをけ落として恋人を自分のものにしたいという競争心と執着心ですから、2人だけだと、とてももたない。

山田 登世子

 フランス文学は全部三角関係だから、恋の半分は嫉妬です。

小倉 千加子

 先生はフランス文学がご専門だから、フランスではこうだということが当たり前になっているようですが、私はジェンダーを制度として先進国に広めたイギリス文学の立場から話しているので、噛み合わないところがありますね。

 たとえば、結婚の話についても、私が恋愛の話をすると、それは恋愛結婚という形で結婚とセットになって、日本の近代の中ではずっと存在していますが、それを言うと、もう山田先生はまずわからないと言われます。フランス人にとって、恋愛は結婚の外にあるもので、「恋愛ってすべて不倫なのよ」とおっしゃる。

山田 登世子

 それは説明が要りますね。ブルジョア、特にパリなどでは、必ず家と家、財産と財産の結婚なんですね。小倉さんの名せりふで言う「金と顔の交換」なんです。愛情は関係ないから、まず結婚して自由になって、男も女もそれぞれ公然と恋愛を許し合っている。ただし、法律では許してないんですよ。現場を取り押さえられると、姦通罪が本当にひどくて、女性にだけものすごく重いです。だから姦通罪にされると、女性は重たい刑を受けるという時代が長く続いて、20世紀後半、女性解放の思想の洗礼を受けた女たちの戦いで、やっとその法律が解除された。

 しかし今でも、フランスでは結婚しても離婚するのに制度的にとてもややこしいので、恋が冷めても、別の人と事実婚をします。そういう意味では、「結婚と恋愛」が今はまた別の事情で結びつかない国です。だけど、しょっちゅう恋している国でもあります。男と女は、男と女であるべく生まれたということが文化として、がっちり根づいている国で、私などもついていけません。しかし、与謝野晶子にはぴたっと来たんだと思います。

娘の結婚観に影響する、母親の働き方

小倉 千加子

 「恋愛と結婚」はイギリスから発生したもので、恋愛と結婚は別物であるというのはフランスに昔からあった考え方ですけど、日本は多分イギリスのレールの上に乗って今日まで来たんです。ただ、アメリカ人ほど厳密に適用しないので、愛人がいてもキセル婚のように、結婚式とお葬式にさえ夫婦で参列すれば、真ん中は別々の世界を持っていてもいいみたいなところで、融通というか折衷するようなことをしてきた。でも、そういう生き方を晶子自身は認めないんです。この人の執着心というか恋する力にはすさまじいものがあって、もう鉄幹一筋なわけです。

 与謝野晶子が「専業主婦」をどういうふうに考えているかですが、専業主婦はイギリス人が発明したもので、恋愛して結婚して女性は家庭に入る。夫は会社や工場に勤めているという完全な性別役割分業の上に乗っかって、それが正しい夫婦であるという考え方がキリスト教の宣教師たちによって世界中に広まりました。

 日本も明治の終わりぐらいから、それが進んだ夫婦なのであるということで、一斉に女の人は仕事をやめて家庭に入って専業主婦になり、郊外の文化住宅に住む。夫は電車に乗ってそこに帰ってくるみたいなイメージが流布されてきましたが、与謝野晶子の場合は、生まれた家が堺の商売人のおうちなので、近代夫婦のあり方には余りひかれなかったような気がします。もっと早いうちから体に叩き込まれた勤勉や労働観が、平塚らいてうや山川菊栄たちとはちがったと思われますが、母親も含めて生まれた家がどういう働き方をしていたかは、娘の結婚生活に大きな影響をもつものなんでしょうか。

山田 登世子

 それはもう小倉さんの専門領域で、断定していいんじゃないですか。やっぱり後から勉強して覚えているものより、体で覚えてしまっていることの方が圧倒的に多いですから。恋愛や結婚などは、いくら大学に行っても覚えられません。今、自分探しで、自分の適性がわからない若者が増えていますが、それは生い育ち、育ったところに、もうすでに問題があると思います。

 晶子は娘のころから、帳簿台に座って帳簿をちゃんとつける一方で、本を読んでいました。本が好きだったんですよ。晶子は夜になると、よく本を読み更けっていました。そして、晶子は労働についてこういうことを言っています。「私は“汎労働主義”を以って改造の基礎条件の第五とする者です。私は労働者階級の家に生まれて初等教育を受けつつあった年頃から、家業を助けてあらゆる労働に服したために、人聞は働くべきものだということが、私においては早くから確定の真理になっていました。私は自分の家の雇人の中に多くの勤勉な人聞を見ました。また私の生まれた市街の場末には農人の町があって、私は幼年の時から其処に耕作と紡織とに勤勉な沢山の男女を見ました。私はそういう人たちの労働的精神を尊敬する余りに、人聞の中にその精神から遠ざかっている人たちのあるのを見て、その怠惰を憎悪せずにいられませんでした。私はすべての人聞が一様に働く日が来なければならない。働かない人たちがあるために他の人たちが余計に働き過ぎている。その働かない人たちの分までをその働き過ぎる人たちが負担させられていると思うのでした。これは私の家庭で、私と或一、二の忠実な雇人とが余りに多く働きつつあった実感から推して直観したのです」と。晶子は、現代にもつながるような、「働く者」と「働かない者」に格差があることまで全部よく見ています。

小倉 千加子

 でも、晶子にそれだけ商才というか、商人としての気働きが利く才能があったかどうかは、私はちょっと疑ってしまうところがあります。本人が幾ら、私は家の手伝いをしてとか、人の倍以上働いたと言っても、それは自己申告でしょう。帳場では本を読んではいけないと思うんですよ、大阪では。本当の商売人だったら、本を読まないで何か仕事を見つけてきて、しますよ。家の手伝いをしていた程度なのに、自分がだれよりもよく働いたみたいに書くところが、いい意味でやっぱり作家なんだなと。何かちょっと浮世離れしているように思います。

 結局、晶子が言った「汎労働主義」もそうですが、晶子が非常に否定的に語った「女性の依頼主義」というのがあります、あるいは「経済結婚」という言葉もつくっています。こういうものをものすごく晶子は否定して、親であれ国家であれ他人の労働に女性が依存するのは正しくないと言って、平塚らいてうと論争の火ぶたが切られることになりますが、私は結論から言いますと、「母性保護論争」はもう最初から晶子の言ってることだけが正しかったと思っています。最後の最後まで晶子の言うことには、そうだと納得しますし、あの時代の女性の教養はすごいです。二度と再びああいう論争は再現しないのではないかと、それこそ悲観的ですが、そう思います。

山田 登世子

 それは母性保護論争に限らず、さまざまな論争が起こることは、二度とないでしょうね。明治時代は、いろいろなことが起こっているから、その一つとして、たまたま平塚らいてうと山川菊栄と与謝野晶子の三つどもえになり、本質的な論議を戦わせた。『青鞘』という雑誌で平塚らいてうがデビューしたんですが、新しい女ということですごく受けました。大正5年、もう晶子は38歳で既に10人の母ですね。このときに、らいてうたちと母性保護論争が始まったのですが、10人の子どもの母でありながら、母性主義に立たないというのはすごい。晶子がいかに経験主義者ではなかったかということです。経験主義の場合だと、「やってみないとわからない」といった偏狭な議論になります。しかし、晶子はそういうところが全くなく、非常に聡明であることを感じますね。逆にらいてうのほうが経験主義ですよ。

「独立自尊」を徹底した晶子の生涯

小倉 千加子

 基本的には、子どもを産む、産まないをどう考えるかというところでは2人の意見は一致していますが、「妊娠期や出産期に女の人は母性を国家によって保障してもらうべきである」とらいてうが言ったのに対して、晶子は「そんなことはいらない、自分のことは自分でやります」と主張して、そこに決定的なちがいがありました。まさに現代の「子ども子当」とリンクしてきます。

山田 登世子

 本当に今日のために民主党がつくったのではないかといえるぐらいアクチュアル(時事的)ですね。ただ、その文脈は今と昔と全くちがっていますけど、やっぱりこの問題って、女が子どもを産み続けていく限り起こってきてしまう問題なんですね。

小倉 千加子

 母性は“保護するべき”、あるいは“保護するに値する”ということは両方とも言っています。でも「保護」というのが、「結局夫であれ国家であれ、自分以外の他人であってはいけない」と晶子はどこまでも言っており、結婚する前に経済的自立を成し遂げることを主張しました。夫だけではなく、妻ももしものときに備えて、経済力を持った後に家族をつくり、夫婦で養う覚悟のある人だけが子どもを産むべきであると言っています。そこに、らいてうが「女性に経済的自立を求めるのであれば、永遠に女性は子どもを産めないでしょう」と噛みつくわけです。すると、晶子は「どうしてそんなに悲観的なことを言うのですか」と応じ、とても面白い論争になっていきます。

 晶子はもう徹底した「独立自尊」という信念を持っていましたが、私は、そういう面がいかにも大阪的なものだと感じます。独立自尊とは、お上の世話にならない、民は民でいきますということ。大阪は、ほとんど役人がいない都市なわけですから。自分の上にお侍がいて、幕府がいて、その下で商売をやるというような感覚はない。あと、本願寺の宗教的な教義というのは、やはりこの世はむなしいものという、ある意味、非常に強いニヒリズムがある上に、何をも信じない。自分だけを信じるという風土があり、大阪の人は存在の底に虚無感を持つ。晶子にはそれがあると思いますね。生きていて、その生命が充実していればいるほど、本当は虚無的だったのでしょう。だから何度も死を追体験したいがために、出産したのではないかと私は思います。

山田 登世子

 いや、そういうマゾヒストだったとは思わないけれど。今日は何か「浪花母性保護論争」を教えていただきました。

小倉 千加子

 与謝野晶子の書いたものを読んでいると、「経済結婚を排す」とか、「働かない妻は衣食を夫に保障してもらうために売淫を行っているようなものだ」という有名な文章があるじゃないですか。

山田 登世子

 晶子は「経済結婚を排す」と言っていますが、「結婚とは金と顔の交換である」という、小倉さんの明快な定義の方がわかりやすいですよ。でも晶子は金と顔ではなく、経済結婚と言いました。これは、主に上流階級の人たちがやっていることを見て言ったのであって、晶子はそんな結婚はさもしいと言って皮肉っています。こうした「主婦論争」が起こった次の年に『主婦の友』が創刊されています。まさしく「主婦の時代」が始まろうとしているときに、起こるべくして起こった論争なんですね。『主婦の友』が創刊されるぐらい、主婦業が盛んになったときに、晶子はその主婦たちの反対者になる。そういう点では、勇気ある女だったと思います。

小倉 千加子

 晶子自身には、主婦になるという選択はもとよりなかったのですが、そういうことではなく、一生懸命働かなければならなかった事情がありました。鉄幹がだんだん経済的に追い詰められていった背景には、当時の文壇事情みたいなものがあったんですね。

山田 登世子

 鉄幹の短歌は、『明星』の頃がピークで、そのあと浪漫派はもうはやらなくなっていきます。アララギ派の斎藤茂吉がすごい門下をつくって、圧倒的な多数派になっていきますから、鉄幹は全く孤立してしまう。晶子の歌はお金になるのですが、鉄幹は稼げないわけです。鉄幹は晶子と結婚してそうたたないうちに、『むらさき』という歌集を自費出版していますが、それっきりです。食うすべがないから、ごろごろしている。だから晶子が見かねて、お金を稼いで、旅費を工面して、鉄幹をパリにやるんです。こんなよくできた妻はいないです。

小倉 千加子

 そこまでされたら逃げられませんよね、鉄幹も。

山田 登世子

 鉄幹も逃げたくなかったと思いますよ。

小倉 千加子

 それは先生の持論ですが、晶子の何が良かったのでしょうか。

山田 登世子

 だって鉄幹は、楽じゃないですか。ごろごろしていても、晶子に愛され、面倒を見てもらい、食べさせてもらえるのだから。

小倉 千加子

 鉄幹の方が経済結婚をしていたんですか。

山田 登世子

 それはちがいます。だって、「金と顔の結婚」をしたわけではないですから。鉄幹はそんな落ちぶれたくなかっただろうし、歌人として輝き続けたかったわけです。ところが、食われちゃったわけ。そこで全部だめになる男も多いのだけれど、晶子の愛だけが支えだったと思います。支えられると楽だし、晶子は労働主義だけど、鉄幹は全然労働主義じゃない。夫婦ってそんなものでしょう。一方が働いたら、一方が楽をする。しかも最後まで、浮気も黙認してもらって、工面してもらってフランスに行って、そしてフランスで羽を伸ばしていたら、それを慕って追いかけてくる。

 でも、晶子が工面して船で夫を見送るときには、いい歌を歌っています。女の直感ってすごいですよ。晶子が恋する女だと感じたのは、鉄幹を見送るとき、「男行くわれ捨てて行く巴里へ行く悲しむ如くかなしまぬ如く」と歌っていることです。男行く、われ捨ててと、ぱっとそのとき思ったのでしょう。そう思うのは、捨てられたくないと、恋々としてるからじゃないですか。晶子も粘着質というか、恋を一生貫いた人です。それは、やっぱり感銘を受けますね。鉄幹は、おかげで楽をさせてもらったぐうたら亭主だけど、鉄幹なくして晶子はない。そのことを晶子はだれよりもよくわきまえていたのだと思いますよ。それで夫婦おあいこということになってしまいます。

夫婦の多様性の確保は、男女平等につながるのか

小倉 千加子

 今の話を伺っていると、晶子は、いわゆる汎労働主義で、ものすごく働いて、鉄幹には汎労働主義を適用しない。自分の文学の師であり恋人であるからいいのだと思っている。今、男も女も働くべきだというような流れがありますが、私は、自分の家の夫婦の形態を自分で決められることはいいことだと思っています。逆に言うと、官主導で専業主婦でいたくてもいられなくなる時代が来るのではないかというような気がしています。夫婦の多様性が否定されていくのはいかがなものかと。

山田 登世子

 大反対しよう。だって人間の自由を真っ向、踏みにじっていると思うから。

小倉 千加子

 でも、山田先生は父親も子育てをしたほうがいいというふうに思われているでしょう。私はそこがちょっとちがいます。別に父親は子育てをしないほうがいいと言っているのではありません。サルトルがボーヴォワールに言ったそうですが、「男が何でも女の人と平等にやったほうがいいといって、子育てに参入してくるときには、ものすごく気をつけたほうがいいよ」と。つまり「子育てという非常に重要な仕事を男性に纂奪されないようにしなさい」と言っています。女の人が最後の最後まで子育てという感応の仕事を男とか官に奪われてはいけないと言っているんです。サルトルは「官」とは言っていませんが、私はそう思っています。

山田 登世子

 官には奪われてはいけないと思うけど、どっちがやろうと私はいいと思う。

小倉 千加子

 でも、男も女も働いて、子育ても分担したときに、母親と子どもとの関わりが総体的には今よりも薄くなります。そのように、母性の負担から女性が解放されていくことが、必ずしも女性の解放や男女の平等につながらないと私は思っています。

山田 登世子

 大賛成なのは、官が決めるのであれ、世論が決めるのであれ、一律のワンパターンがいいというのは最悪だということです。人は自由に生まれたんだから。

市場化の推進とアマチュアリズムの危機

小倉 千加子

 既にもう着々と事態は進行しています。だから改めて主婦の労働、極めて選択的、意識的な労働をどう評価するかということが問われています。それは、10%「経済的労働」ではないです。しかし、そういうアマチュアリズムのようなものがどんどんなくなっていて、それを経済的な労働とみなす人たちによって、取って代わられていくことには、危慎を感じます。地方の切り捨てと専業主婦の切り捨ては、小泉構造改革の一環なのだそうですが、これは、すべての働きたい若い人たちに仕事を与えて、有閑主婦はもういなくなるようにしようということですが、すべてを市場化し、アマチュアにいてもらっては困るということになると、それはそれで大変なことになるのではないかと私は思います。

山田 登世子

 そういう動きって阻止しないといけませんね。だって市場原理主義があっという間にここまで来たわけだから、抵抗しないと本当にそうなります。ちょっと恐怖ですね。

小倉 千加子

 いや、もう雇用の場ではそういうふうになってしまっている。主婦の人に対して、もうあなたは来ていらないと。

山田 登世子

 じゃあもう何か真っ暗な話じゃないですか。恋する話しても真っ暗だし、働く女の話しても真っ暗だし、何とかしなきゃいけない。

働く女の目的は、「働かない女になること」

小倉 千加子

 晶子が主婦論争の最後の最後の方に書いていますが、最終的に女性は、男性もそうですが、汎労働主義、みんなが働くようになって一旦は賃金が下がるかもしれない。そして、たくさんの人が働き出すので1日に働く時間も短くなるかもしれない。しかし、残りの時間は好きに使うことができる。そうなると状況が変わって、労働の定義が変わっていくだろうと。つまり彼女が汎労働主義と言ったときの労働とは、言うまでもなく経済的労働なわけです、お金のために働く。

 結論的には、世の中から経済的労働が総体的に少なくなっていくだろうと晶子が書いていて、私も何となくそんな気がします。1日に1時間半ほど働けば終わる仕事になっていくだろうと晶子は書いています。最終的にはそうなって、みんなが働きづめに働くような世の中にならないだろうと。きっと平塚らいてうは、またそれを楽観的だと言うような気がするんですが、私は必ずしもそうは思わない。晶子の読みはめったに外れないですからね。

 正確に引用しますと、晶子は、「人間が進化すれば、経済的労働は消滅するだろう。1日に1時間30分ほど働けばいい」と言っています。

山田 登世子

 でも、それは晶子の願望です。願望と自分が働いた経験との両方です。だから、これはもう晶子論争を越えた議論で、現代日本において、世界においてどれぐらいの労働が本当に必要なのかということ。マルクスが言った「自由の王国」、必要に応じて生産物を得るというユートピアはもう見果てぬ夢ですから、誰かが誰かのために、何がしか嫌な労働も負わざるを得ない。でも、晶子が既にそれを投げかけていることをきちっと受けとめたらそれでいいのではないでしょうか。

小倉 千加子

 働く女の目標は、「働かない女になること」だったということ。そのためには、とりあえずは働きましょう。永遠に働くわけではないのだからということですね。

与謝野晶子-はたらく女・恋する女の写真2

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