このページの先頭です

本文ここから

国際社会における協働 ~ジェンダー平等と人権、そして平和ヘ~

更新日:2012年12月19日

講師&パネリスト
Inez Arberdi(イネス・アルベルィ)
(国連UNIFEM事務局長)
コーディネーター
田中 由美子(たなか ゆみこ)
(JICA国際協力専門員)
パネリスト
野田 温子(のだ あつこ)
(インターユース堺・第1期海外派遣団員)
南谷 かおり(みなみたに かおり)
(市立泉佐野病院健康管理センター長・国際外来医師)
Gulnora Makhmudova(グルノーラ・マクムドーバ)
(ウズベキスタン共和国司法省直属女性経営者協会(BWA)代表)
李 容洙(イ・ヨンス)
(元日本軍慰安婦被害者)

今社会は大きく変動しています。世界各地で起きている問題を一国で解決することは不可能です。同時に今もジェンダー平等や人権が十分尊重されているとは言えず、二重、三重の苦しみを経験している女性たちが多くいます。そんな現状を知り、どのように協働、支援を展開していくことが平和な世界の構築につながるかを一緒に考えました。
女性の権利とエンパワメントに取り組む国連組織の代表、女性に対する人権侵害を経験した人、海外に行って支援した人、そして海外から日本に来た人を毎日見守っている人たちと共に、私たちが国際社会の中で生きていく上で、知っておくべきこと、配慮すべき点をジェンダーの視点から学びました。

《基調提言》

イネス・アルベルディ

 今日、国際社会は大きな問題に直面しています。国際的に、また、各国が貧困、不平等を削減するために努力を行い、2015年の国連ミレニアム開発目標に向かつて努力を進めていますが、見通しは不透明です。深刻な経済や食料・エネルギー危機が、男女にかかわりなく大きな影響を与えています。そのために新しい資源と創造的なパートナーシップがなければ、達成できません。目標が掲げられてから10年がたちましたが、世界中で何十億の人々が貧困に日々直面しています。緊急に国内的および国際的な資源を動員し、最も弱い立場にある人々、女性を含めてですが、彼女たちに援助する必要があります。

 政府がしなければいけないことは、法律・政策面から、女性の経済的安定を確保することです。また、労働法を改正し、ジェンダー差別を撤廃し、保護を平等におこなうことです。さらに、女性の土地所有、遺産相続の権利を制限する法律・政策を廃止しなければなりません。また、女性の労働力を経済的資源とし、女性を活用しなければなりません。しかしながら、ジェンダーに基づく不平等がある限り、また女性の選択肢が制限されている限り、持続可能な経済成長、繁栄、これを達成する国としての能力は阻害されます。法律と政策の運用面でも同じことが言えます。

 今日の世界で女性にとって最大の問題は、問題について声を上げる人が少ないこと、受けとめる人が少ないこと、資源が少ないことです。ここで政府が大きな役割を果たします。女性の状況の改善だけではなく、意思決定プロセスに女性が参画し、意見を述べることができる状況をつくり出すことが政府の仕事なのです。

 国際的組織も、政府がこのような体制をつくるために支援を行っています。例えば、女性差別撤廃条約、北京行動綱領、国連安保理決議第1325号、国連安保理決議第1820号、ミレニアム開発目標、また、国連事務総長が提案した、女性への暴力を終わらせるためのキャンペーン、これらの国際的な条約などを通じて支援を行なっています。

 ジェンダー平等と女性のエンパワーメントを進めるために必要なパートナーシップはこれだけでは不十分で、民間部門が重要なカギを握っています。社会的責任のあるビジネス投資を行なうための力をもっている企業とのパートナーシップを通じて人々の生活を変えることができます。UNIFEMは、カルバートグループという世界最大の社会的責任投資ファンドの女性CEO(最高経営責任者)と2年前にパートナーシップを組みました。また、民間企業との協力によって若い女性の起業を促進したり、新しい教育を受けることができるようにしたり、夫を亡くした女性、特にルワンダの大虐殺で夫を亡くした女性の生計が楽になるよう支援しています。国連は、民間企業と新しくグローバルコントラクト(世界規模の契約)というパートナーシップをつくっています。

 そのほかにも、女性に対する暴力削減のために、私たちは新しい事業を開発しました。「“Say No!”ノーと言おう、女性の暴力をなくすために連帯しよう」というキャンペーンです。これによって、個人も政府も、市民組織も、すべての人々が協力していけると思います。

 一人で大きな変化を起こすことはできません。大切なのは、経済的、社会的、環境的な課題がいろいろある中で、協力しなければならないということです。ですから、“SayNo!”キャンペーンを通して、国連ミレニアム開発目標の達成のために努力していきたいと思います。そして、そのために、政府や社会、民間企業、さまざまな人々を巻き込んでいきたいと思っています。

 女性は世界の人口の半分を占めています。ですから、女性の視点やリーダーシップをもっと伸ばさなければなりません。そして、それを通して、暴力のない、不平等のない、貧困のない世界をめざさなければなりません。このためには、皆様方の参加、そして未来への投資が必要だと考えています。このように皆様方と顔を合わせることによって、我々が国連ミレニアム開発目標達成のために大きな一歩をふみ出せると考えています。

《パネルディスカッション》

ジェンダーの視点からの国際協力

田中 由美子

 ジェンダーと開発に関する国際協力は1970年代頃から世界的に本格化してきました。1970年代は、「貧しくかわいそうな女性」に対する支援という立場でしたが、1980年代に入ると、ジェンダー差別は構造的な仕組みを変えなければ解決できないという立場に変化しました。特に1995年の北京女性会議後、ジェンダー主流化アプローチが国際的にとられるようになり、すべての開発協力にジェンダーの視点をもって当たらなければいけないという認識に変わりました。2000年に国連ミレニアム開発目標が打ち出され、その第3目標は、ジェンダー平等と女性のエンパワーメントを2015年までに達成することです。さまざまな国際機関がこの目標に向かって頑張っているところです。

 また、2000年以降、人間の安全保障を考える上でもジェンダーの視点が重要だという認識が深まりました。特に、紛争下の女性に対する暴力の問題や国境を越えた人身取引の問題などが注目されるようになりました。

 現在、私が所属するJICAでは、すべての事業でジェンダー主流化を進めていこうという体制をとっています。ジェンダー主流化を進めるために、大きく分けて三つのカテゴリーのプロジェクトを実施しています。一つは、公共政策におけるジェンダー平等推進に対する支援です。2番目が特に女性を支援対象とするもので、例えば人身取引や女性に対する暴力の問題、女子教育などに協力をしています。3番目がジェンダー活動の統合で、ジェンダーの視点に立った活動を農業や保健、環境をはじめとする全てのプロジェクトに組み込むものです。アフガニスタンやタイのプロジェクトをご紹介したいと思いますが、本日、私の役割はパネルディスカッションのコーディネーターということなので、JICAのご紹介は簡単にさせていただきました。

戦時下の女性に対する暴力

イ・ヨンス

 皆さん、「慰安婦」というふうにおっしゃいますが、私は「慰安婦」ということが何だか知りませんでした。日本軍が強制的に連れていって、性奴隷として私たちを扱ったから、性奴隷と言うのが正しいと思うんですけども、今は「慰安婦」という言葉を受け入れることにしています。

 私が15歳になったとき、夜、家で寝ていたところ、すぐ部屋の前まで女の子と軍人が入ってきて、女の子が私の口を押さえて、軍人が私の背中を押して、銃なのか刀なのかわからないんですけれども、すごく痛かったのをおぼえています。その後連れて行かれました。女の子たちが5人いて、一緒に汽車に乗りました。「朝鮮ピー」と呼ばれました。そして、「殺す」と言われました。いきなり頭も思い切りたたかれましたし、刀でも殴られました。何もわからず連れていかれてしまったんです。汽車を乗り換えて大連に行き、船に乗りました。

 その船に乗っていたある日、トイレに入ったんですけども、本当にすごく揺れるので、はってトイレに行きました。そのとき、トイレに入って出ようとしたんですけども、その出るところを、軍人が出られないようにしたので、大声で泣きました。「出たい」と言って、軍人の腕にかみついたんですけども、出られず泣きました。周りにいた、一緒に行ったお姉さんたちが来てくれて、「出られないようにするのをやめろ」と言ってくれました。そのとき、トイレから出られないようにした軍人が、そのお姉さんたちに襲いかかっていきました。本当にそれがいったい何なのか、私は幼くて、まだわかりませんでした。そのときに、私は結局外に出られたんですけども、中から「助けてくれ」と、とんでもない声が聞こえてきました。

 船を降りて、トラックに乗せられてあるところに到着しました。片一方に大きな部屋があって、片一方には五つに分けられた部屋がありました。着物を着たお姉さんたちが10人座っていて、その部屋に軍人が入ってきました。ある人が私を部屋に連れていき、お姉さんが私を押入れに隠してくれましたが、軍人がやってきて、「朝鮮ピーどこに行った」と言いながら、そのお姉さんを思い切り殴りました。とても殴られて、私も殴られて、私を押さえながら、「言うことを聞かなかったら殺すから、言うことを聞きなさい」と言ったんです。五つあった部屋は毛布をカーテンにしてあって、軍人が一人座っていました。「私が入らない」と言ったら、髪を引っぱっていって、何のことかも知らなくて。蹴飛ばし、刀で私を切ってから、また髪を引っ張って。私は痛くて、「許して、許して」と言いました。私は「お母さん」と言いましたが殴り続けられ、それで耳が耳鳴りするようになりました。

 ある軍人さんが私の部屋に来て、名前は何かと聞きました。私は字を知らなくて、平仮名、カタカナは軍人が書いてくれました。私は李ですがヤスハラと姓が変わりました。「お前の名前はおれが付けてやる」と言って、「トシコ」と付けてくれました。「21歳で特攻隊だ」と言いました。「特攻隊は何ですか」と言ったら、「2人乗って、敵に向かって突っ込んで死ぬのが特攻隊」と言いました。その軍人が、薬とか、いろんなものを持ってきてくれて、食べさせてくれました。

 ある日、家に爆弾が当たってつぶれて、2人のお姉ちゃんが横たわっていて、「みんな見て、死んだよ」と言いました。戦争とか何も知らないけれども、ひどかったと思います。それで、またあの軍人が来て、「おれはあさってになったら、死に行きます」と言いました。「星がたくさんあって、トシコ、おれのお父さんお母さんもいるし、トシコのお母さんお父さんもいるよ。おれが死んだら、星が一つ落ちるから」と言い、「トシコ、歌を教えてやる」と言いました。その歌で私は助けられて生きました。「カンコウ離陸よ、台湾離れ、金波銀波の雲乗り越えて、誰だって見送る人さえなけりゃ、泣いてくれるはトシコが一人だ。カンコウ離陸よ、新竹離れ、金波銀波の雲乗り越えて、誰だって見送る人さえなけりゃ、泣いてくれるはこの子が一人」と言いながら、私を抱いて、その軍人が泣くのを見ました。夜だったんです。遠いところに火が光っているのを見て、その軍人が沖縄の戦争と言いました。

 その軍人が来なくなって、ほかの軍人が来て、「戦争が終わった」と言いました。私は収容所にいて、1946年に出たら、お母さんは娘が亡くなったと思って法事をしていました。証言と言えば、私は涙なく言えない。お母さんもお父さんも日本が殺したんです。

 私、18年間、ソウルの大使館の前でデモをしています。皆様、お母さんたち、世界中の女性たち、この慰安婦の問題を解決しないと。世界中のどこにでも性暴力がいつもありますね。強制連行された慰安婦の問題を日本が解決したら、世界中の性暴力が終わりますね。そのように、お母さんたち、女性たち、この問題が解決するように、二度とこんなことのないように、まだ若い人たち、次の世代が同じ苦労をしないように、私たちが頑張って、この問題を解決しましょう。日本が、政府も、女性たちがしないといけないですよ。ちゃんと女性がして、この問題を明らかに解決するように、皆様、頑張りましょう。お母さんたち、頑張りましょう。

国際外来という多文化診療

南谷 かおり

 今日は国際外来の多文化診療というテーマでお話しさせていただきます。

 当院は、平成18年4月に国際外来を開設しました。英語、ポルトガル語、スペイン語、中国語に対応し、現在、総数60名の通訳者の方が登録されています。医療通訳者は、最初に外国人が初診の受付に来られてから、診察、問診、検査、会計、薬局と、すべて院内であれば同行します。まず外国人認定サポーター(研修生)として登録していただき、その後、慣れると医療通訳者になります。この2人がペアで活動して、後で医療スタッフと、いろいろ気づいた問題点などを話し合うようなフィードパック機構を用いています。

 設立当初から今日までの医療通訳件数は、1,045件と年々増えています。日本在住の外国人女性のあいだでは、今、ベビーブームが起こっていまして、当院の周産期センターでは常時、外国人妊婦が出産されています。

 医療通訳者が活躍してくれるようになってからの貢献について、院内アンケートをとりました。医療従事者からの意見は、患者の訴えが明確になった、治療方針が正確に伝わるようになった、検査中に付き添ってくれるので安心、支払いがスムーズになったなどです。投薬の説明の通訳、これは大きな問題です。薬の処方は、全部日本語表記ですので、通訳さんに薬局に一緒に行ってもらって、その投薬の説明についてもらうようにしています。

 患者さんからの意見では、診察・入院時は、何かと病気で不安なので心強い、また、通訳者のいる病院は珍しいので助かる。あとは、診療内容がすべてわかるようになって満足である、こういった意見が出ています。

 このように貢献している医療通訳者ですが、現状としては、医療通訳者を養成する施設は少なく、認定制度がありません。また、ボランティアに近い状態です。医療の知識も必要とされるために、難易度がとても高い通訳で、報酬が少ない割に責任は重いです。女性が多いのはコミュニケーションスキルが高いことと、活動時間がフレキシブルだということもあります。これは、女性の職業としての選択肢となり得ると思います。オーストラリア、カナダ、アメリカでの歴史は古くて、北米では今年、全米レベルでの認定制度が作られました。

 日本でも医療通訳士協議会というものが今年の2月14日に設立されました。日本語のできない外国人に対して、日本人と同じ水準の医療を提供するために、保健医療分野に造詣の深いプロフェッショナルな通訳士に対する報酬と身分を保障するための活動を行うという趣旨で設立されました。

 先日オバマ大統領がノーベル平和賞を受賞されました。そのスピーチの一部ですが、「私たちはお互いを外見のちがいだけで決めつけてはいけない。私たちはお互いに興味をもって、お互いに尊重し合うことで、信仰だとか、人種だとか、宗教、そういったことを超えた新しい時代をつくっていこうではないか」ということを言っておられます。言葉や文化は全世界ちがいますが、患者は、人間は皆平等だと思います。当院では言葉の壁を乗り越えて、医療文化のちがいも克服して、皆が平等に医療を得られるように、これからも外国人医療に貢献していきたいと思います。

国際協力の主役は現地の人々

野田 温子

 私は、ダリット女性のエンパワーメントを、インド、ネパールの体験からお話をします。

 私はインターユース堺の第1期生として、スリランカでスマトラ島沖の津波後の復興状況や、インドでダリットと呼ばれる人々の現状について視察してきました。その経験をもとに、2007年3月から2008年5月までJICAの青年海外協力隊員として、ネパールのダリット女性を支援するために現地に赴任しました。

 ダリットとは、カースト制度という身分制度の最下層に当たる人々のことで、インドのサンスクリット語で「抑圧された人々」という意味です。不可触賎民という扱いを受けている人たちです。ダリットの人々は、総じて低賃金の仕事にしかつけない。だから、住む家や着る服、食べるものにも困る。そして、自分の子どもたちに満足のいく教育を与えることもできない。さらに、同じカーストの人同士でないと結婚が許されないという決まりがあるため、いつまでも同じ身分、同じ扱いが子々孫々まで続くという状態にあります。

 ネパールに赴任したときの要請内容は、カースト制度のもと、抑圧された生活を送るダリットと呼ばれる人々への生活支援活動の立案と実施でした。受け入れ先はフェミニスト・ダリット・オーガニゼーション、略してFEDと呼ばれる、現地のネパール人のダリット女性による、ダリット女性のための支援プログラムを行っているNGOでした。

 ネパールはインドのすぐ北にある国で、面積は14万平方キロメートル、人口はおよそ3,000万人、宗教はヒンズー教徒80%、その他が20%。民族は100以上あり、言語も80以上に分かれています。公用語はネパール語。首都はカトマンズです。

 ネパールはアジアの最も貧しい国と言われています。ネパールの平均寿命は男女ともに59歳、平均年収は日本の100分の1。ネパールでは1,000人中66人が5歳までに命を落とします。日本ではわずか3人です。識字率は、男性が59%、女性は24%です。また、ネパールのダリットの人々だけの統計をとると、平均寿命が10歳も下回り、識字率も半分以下に減ってしまいます。この統計だけを見ても、どれほどダリットの人々が苦しい生活を余儀なくされているかというのがわかります。

 ダリットは、伝統的に皮職人や仕立て屋、鍛冶屋、清掃業などの職業につきます。この仕事は社会的に必要な職業であるにもかかわらず、汚れた人々ということで位置づけられています。ネパールの人口の13%ほどを占めています。ダリットは、社会やコミュニティーで差別を受けますが、女性は家庭内でも差別を受けることで、二重の差別に苦しんでいます。

 私がネパールにいたのは1年ちょっとだけですが、5年、10年、もしくは一生いたとしても、自分の活動方針はずっと変わらなかったと思います。それは、自分が与えるのはきっかけだけだということです。国際協力の主役は、いつでも現地の人々です。何をするか、どこに向かうか、どうするか決めるのはそこの人々だから、彼女たちがちょっとだけ今よりも前に向いて進んでいけるようにプッシュアップするだけの立場だということを常に心がけていました。

 国際協力と言うと、すごく難しい言葉に聞こえてしまいますが、結局は同じ人間で、同じ女性ということで、実際に見るだけで、聞くだけでもかなえられる活動があるということを実感した1年間でした。大切なのは、相手にとっても、自分に対しても、きっかけという言葉一つだと感じています。

ウズベキスタンの取組

グルノーラ・マクムドーバ

 ウズベキスタンは経済的にも社会的にも安定した国です。人口は約2,400万人で42%が女性です。首都はタシュケントです。

 ウズベキスタン政府は、女性の地位向上のために努力を払っています。ウズベキスタンは、国連ミレニアム開発目標を2001年に承認し、特に女性問題に関心を払っています。この目標は、政府、市民社会、地域社会、国際機関との協力でなし得るものと考えています。

 ウズベキスタンは、女性差別撤廃条約を政府として批准しています。そのために五つの原則というものを政府は事業として承認しました。一つめは、女性の権利を法制度から支えるというものです。二つめは、女性の権利保護のための制度作りで、労働省、保健省、公教育省が中心になって行っています。三つめは、女性の権利保護についての周知・教育です。人権に関する100以上の文書が出版され、広く読まれています。四つめは議会の関わりで、女性の保護を進める法律を採択し、女性差別撤廃条約の実施を阻む法律に対しては監督を強めています。五つめは、これは非常に重要ですが、国際的な取組みで、国連と協力して進めています。タシュケントに事務所のあるJICAなど日本の組織とも協力していて、JICAには大変感謝しています。

 我々が抱える問題の一つが失業問題です。日本やさまざまな国際機関と協力して、女性の雇用、障害者のリハビリにも力を入れています。女性の能力の開発のために先進国の経験が必要です。さまざまな先進国の人たちと、農業部門での協力を進めております。特に女性の関係について日本政府が協力してくださったことを感謝申し上げます。

参加者からの質問

参加者

 ネパールの女性が夫の足を洗った水を飲むと昨日の交流会で聞きましたが、私はネパールに4、5回行きましたが一度も見ていません。実際はどうなんでしょうか。

野田 温子

 私も、ネパールに1年も住みながら、そういった事例を目撃したことも聞いたこともなかったので、非常にびっくりしました。ただ、ネパールには100以上の民族がありますので、地方の中で閉鎖的に行われているのではないかと思います。

 実際に言われた方が見られたのかどうかはわかりませんが、ネパールの女性がその方にそのように訴えたということは、どこかでまだ残っている習慣なのかなとも思います。

田中 由美子

 私も2年ほどネパールの田舎に住んでいました。そういう習慣があると、一部の高いカーストの人から聞いたことはありましたが、実際に見たことはありませんので、それほど一般的な習慣ではないと思います。

参加者

 イさんに対する謝罪と感謝を必ずつなげたいと思っています。人権と平和についてサポートされる皆さんがここに集まっていると思いますが、本当に私たちが何をできるか、そういう問いを持って帰ります。

参加者

 男女平等とかジェンダーと言うときに、私たちはとても苦労します。図書館の本や行政関係の書類の中には、ジェンダーに対するパッシングを感じます。そういう意味で、今日、この会場でジェンダー平等という言葉が、いろんな人の中から出てくることに、とても喜びを感じます。

 国連でジェンダー平等を常日ごろ使っていることは、ごく当然のこととして許されている。ところが、日本では、それに対する問題をいろいろと醸している。それについて、国連は何らかのかたちで日本政府に働きかけることができないのかどうなのかを質問します。

イネス・アルベルディ

 スペインでは、ジェンダーの問題は、すぐに理解を得られる問題ではないです。これについては、女性たちや女性団体と討論を続けてきましたが、男女間の平等という問題をもっと説明しなければいけないと感じています。というのは、ジェンダーという言葉が、まるで男性と女性との間に何か闘いがあるような、そういう印象を与えてしまうからです。

グルノーラ・マクムドーバ

 ウズベキスタンでは、ジェンダーはまだよく知られていません。ジェンダー平等に、政府は非常に気を遣っています。ジェンダーという言葉を使うと、女性を差別しているという意味で使っているという人もいますので、非常に注意を払っています。

最後に

イネス・アルベルディ

 いろいろな意見をお聞きして、ジェンダーの問題を進めていく皆さんの熱意に感激しました。ジェンダーを政策にもち込んでいくのは難しい問題ですが、進めていかなければならないということを感じました。

 世界にはいろいろな問題がありますが、一番大きな問題は、女性の声が届かないことです。この会議は、この問題を政府に認識させるために大きな力となります。また、政府も女性の問題を認識し、女性が共同参画できるような状況をつくり出していく責任があります。女性と男性の間の公平を達成させなければ、その国の経済繁栄を達成する能力が阻害されていくわけです。

 女性は半分、男性は半分の人口を占めています。ですから、さまざまな分野において、暴力のない社会、貧困のない社会を達成するためには、男女が力を合わせて参画していくことが必要です。

南谷 かおり

 男性、女性、両方平等ということもありますが、個々にちがうという面もありますので、いろいろ個別に対応していかなければいけないという認識がもっと広まっていけばいいと思います。

野田 温子

 ジェンダーを取り巻く流れというものは、年代によって人々の考え方や状況も変わっています。私自身、国際協力というものをほとんどしたことがないので多くを語ることはできませんが、それぞれの国、それぞれの地域にいろんな問題があって、その問題が何なのかというものを探り当てていくということが、そういう姿勢が非常に大事だと感じています。臨機応変に、今後も世界のジェンダーのことについて考えていけたらいいと思います。

田中 由美子

 日本だけでなく、開発途上国でも、どこでも女性が非常に厳しい状況に置かれています。男性も最近は厳しい状況に置かれていますが、特に女性の人権が侵害されているという状況がまだ続いているということが、本日のパネルディスカッションで良くわかりました。

 日本では最近、在日外国籍の女性の問題がとても大きくなってきていますが、いろいろな制度が十分整備されていないので、そういう方々へのサポートが抜け落ちている状況があると思います。自分でできることから始めていくというのが国際協力だと思います。本当に身近なところから、自分でやれることから始めていくことが積み重なって、国際的に大きな女性の連帯になって、運動になっていくと思います。

イ・ヨンス

 私は、歌の何の意味も知らないですね。あの歌がとっても助けたんです。台湾の新竹特攻隊。神風部隊で。自分が歌がうまくて歌ったのではないです。命の恩人です、あの軍人が。

田中 由美子

 イ・ヨンスさんの勇気ある発言に感動しました。そして皆様、本日はご参加有難うございました。

国際社会における協働 ~ジェンダー平等と人権、そして平和ヘ~の写真2

このページの作成担当

市民人権局 ダイバーシティ推進部 ダイバーシティ企画課

電話番号:072-228-7159

ファクス:072-228-8070

〒590-0078 堺市堺区南瓦町3番1号 堺市役所高層館6階

このページの作成担当にメールを送る
本文ここまで