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ESDの理念とともに ~個人から家庭、家庭から地域ヘ~

更新日:2012年12月19日

コーデイネーター
萩原 なつ子(はぎわら なつこ)
(立教大学社会学部教授)
パネリスト
浅岡 美恵(あさおか みえ)
(弁護士・気候ネットワーク代表)
藤井 絢子(ふじい あやこ)
(NPO法人菜の花プロジェクトネットワーク代表)
三隅 佳子(みすみ よしこ)
(NPO法人環境市民活動サポートセンター理事長・北九州ESD協議会副会長)

世界規模の環境破壊と地球温暖化が進む中、温暖化が原因と思われる異常気象が頻発するなど、今後もさまざまな影響が現れてくることが懸念されています。持続可能な社会をつくるためには、国や企業の取り組みだけでなく、わたしたち一人ひとりが身近な環境問題について考え、今まで当たり前と思っていたエネルギー浪費型のライフスタイルを見直し、意識を変えて具体的な行動にうつすことが求められています。そこで、環境問題に取り組んでいる市民活動の事例等をとおして、ジェンダーの視点で環境を守っていくために何ができるのかを考え、発信しました。

はじめに

萩原 なつ子

 環境問題は今一番の問題となってまいりました。私が環境問題に関心をもったのが、もう30年ほど前で、環境問題について自分が変だなと思ったことを一つひとつ調べたり、行動する中で環境と女性のつながりに気づきました。今、エコフェミニズムという考え方がありますが、なぜ女性なんだろうか。女性は性別役割分業の中で、環境の変化に気づきやすい立場にあるということです。女性たちは気づきやすく、動きやすい。しかし、その女性たちの意見がなかなか届きにくい。これは意思決定の場への女性の参画がないからだろうと考えます。

 本日のテーマは、女性たちがどのようにこれまでやってきたのか。また今後どういう役割を果たしていくのか。そのときの男女共同参画の視点、そして、さまざまなセクターの協働という視点からディスカッションを進めていきたいと思います。ESD(Education for Sustainable Development)は2002年ヨハネスブルグサミットで日本政府とNGOが協働で提唱した考え方で、2005年から10年間が国連の「持続可能な開発のための教育の10年」と設定されております。このESDについて、その理念とは何なのかについても考えていきたいと思います。

地球温暖化

浅岡 美恵

 浅岡です。私はジェンダーの視点も思い浮かべつつ、温暖化問題についてお話しします。

 もともと弁護士が本業の私が温暖化問題にかかわることになったのは、水俣病の被害者救済の裁判やスモン病の被害者救済の裁判に約20年携わってきた経験からです。被害者の救済だけではたりない。こうした人たちを生み出さないような社会にしていかなければいけないと思っていた頃、1997年の京都会議があり、そこで日本のNGOがばらばらに対応するのではなく、みんなで力を合わせていこうと気候フォーラムをつくりました。その気候フォーラムを引き継いでいるのが気候ネットワークです。

 温暖化の問題は、大量生産、大量消費からの脱却でもあります。温暖化を止めていくために、化石燃料によるエネルギー消費を抑えた低炭素経済に転換をすることが必要で、そのために、地球規模での転換が今、私たちに求められています。

 そこで、温暖化はどう大変なのか、何をもたらしているのか、これから何が起こるのか。この危機意識、緊迫性を皆様の敏感な感覚で共有していただきたい。今、温暖化を止めることはできません。これまでの二酸化炭素など温室効果ガスだけでも温暖化をもたらします。今後、気温上昇を2度程度に止めることができるのかというのが、今、世界の挑戦であり、私たち日本の課題です。

 世界の科学者たちによるIPCC(気候変動に関する政府間パネル)は、排出の経路と気温の上昇ライン、そのときの温暖化の影響を評価して報告しています。そうした科学の警告を受け止め、国連を中心に国際交渉が続けられています。

 気温上昇が産業革命から2度を超えると、水不足、食糧生産の減少、自然災害の激化、高潮や洪水被害、干ばつ、生物種の絶滅などさまざまな悪影響が世界のどの地域でも現れてきます。このような温暖化の影響をより深刻に受けるのが、女性です。ある意味で、温暖化のイエローラインが2度なのです。既に産業革命から平均0.74℃上昇しています。

 IPCCは、気温上昇を2度にとどめるために、世界全体でCO2(温室効果ガス)の排出量を2050年までに半減させる。そのために、先進国は2020年までに1990年比25%から40%、2050年までに80%以上の削減が必要と指摘しています。実際のところ、それでも2度程度の気温上昇にとどめることは難しいのが実態です。そこで、こうした科学の要請を受け止めて先進各国の削減目標を合意しよう。主要途上国も排出抑制の行動をとることとし、先進国は途上国の削減行動や被害への適応のための技術や資金を支援する仕組みをはっきり決めようとしています。今年の12月にコペンハーゲンで行われるCOP15(国連気候変動枠組条約の第15回締約国会議)は、その大枠を決める重要な会議と位置づけられています。

 日本も政権が変わり、ようやく前向きにかかわるようになりましたが、コペンハーゲン合意に向けて、国際社会はどこまで協力できるか。これが今、最大の焦点です。

琵琶湖での取り組み

藤井 絢子

 琵琶湖から参りました藤井です。

 私は神奈川県から滋賀県に越してすぐ、琵琶湖の問題にかかわると、まず、水環境の問題で、1977年に琵琶湖で赤潮が起きました。そしてほどなくして今度はさらに水の富栄養化が進んで、1983年にアオコが発生するなど、琵琶湖にはさまざまな異変が起きてきます。このころからせっけん運動、合併浄化槽の設置運動など、環境こだわり商品を展開していきます。

 この琵琶湖の運動の中で、水環境を守るためにどうするかということで、せっけん運動をする前に、私たちがどんなことで水を汚しているかチェックをしました。その中で、てんぷら油に大きな問題がありました。そこで私たちは、市民が自ら琵琶湖の周辺に廃食油の回収のポイントをつくり、てんぷら油でリサイクル石けんをつくって使う、この土台を1970年代からつくってきました。1977年に至るまで、私たちは地域の中で化石燃料にかわるものをつくりたいと思い、実験的にてんぷら油を燃料化するテストプラントづくりにかかりましたが、その赤字をずっと引きずるという大変な状況の中でやってきました。

 1998年、耕作放棄地の休耕地に菜種をまこうということで菜種をまきました。それからずっと地域を見ていくと、1998年に菜の花畑ができてからは、さらに多くの方たちがお越しくださるようになり、結果的に今、北海道から沖縄まで多分150から160か所のところが参加してくださっています。

 そんな中で、私たちがさらにこの活動をしていく理由は、地域に入ってみると、ほとんどの人が食料やエネルギーは今後もあり続け、ずっと今の暮らしができると思っている。でも食糧自給率は40%、エネルギーは4%であり、私たちはここの地域づくりの中で、食べること、エネルギーをどれだけ自分たちの力でつくり上げられるか、それを見せていこうということをプロジェクトの中で前面に立てて言い始めています。

 初めは資源循環サイクルをやっていると言っていますが、今は食とエネルギーの地域自給、地域自立をどれだけ高めるかがとても大事だということで動き始めました。

 もう一つは地産地消の運動の中で、まず学校給食の現場で、ここで絞った油を使う月間というのがようやくできてきました。それから周りの方たちも随分と食べ物にこだわりを見せるようになって、私たちの運動が少し地域の中に根づき始めたかなというところです。

持続可能な社会をつくるESD

三隅 佳子

 私はもともと教員でした。1983年、北九州市民生局婦人対策室の初代の室長になり女性行政にかかわりました。1995年に開所した女性センターの所長になったのですが、その目標は男女共同参画社会の実現、ジェンダーの主流化でした。ジェンダーの主流化とは、あらゆる分野にジェンダーの視点を取り入れていくことです。

 1985年に「国連婦人の10年」の最終年の会議が、ケニアのナイロビであり、初めて平等・開発・平和の「開発」に大きく焦点があたりました。女性の地位向上は、自分たちのことだけではなく世界に視野を広げて考える必要があると実感しました。北九州市では1990年にふるさと創生事業として、「アジア女性交流・研究フォーラム」を立ち上げ、そのテーマを「環境と開発とジェンダー」としました。ジェンダーと環境は住みやすい社会づくりに密接に関わりがあります。

 私は今、地域にESDを根づかせていかなければならないと思っています。ESDとはEducation for Sustainable Developmentの略で「持続可能な開発のための教育」のことです。

 今、社会でどんな問題が起こっているでしょうか。それは地球システム、自然環境保護にかかわる問題、経済社会のシステムにかかわる問題、人間社会システムにかかわる問題、この三つの問題が多いと思います。これらの問題は複雑に関係し合い、また密接な相互関係があります。一つを解決しようと思えば、そのほかの分野のことも一緒に考えていかなければきちんとした解決ができないと思います。ものの豊かさを追求し過ぎて、経済に偏った社会で問題が起きています。三つのバランスがとれた社会の構築がESDのめざす方向です。

 それを実現するために、国連は2005から2014年を「持続可能な開発のための教育の10年」として推進しています。ESDは真に豊かな未来をつくるための希望に向けた学び合い、変革だと言えます。一人ひとりの身近な課題は地域へ、そして国へ世界へと全部つながっているからです。

 持続可能な社会の実現をめざし、私たち一人ひとりが世界の人々や将来世代、または環境との関連性の中で生きていることを考え、きちんと認識し、よりよい社会づくりに参画するための力を育む教育がESDです。自分の行動に結びつけましょうということ。やはり人々の意識、社会・経済システム、地球・環境システムについての人々の意識や価値観の変革がなければ、持続可能な社会はつくれないと思います。

課題解決に向けて

萩原 なつ子

 次は課題解決に向けてどんなことが考えられるか、今、実際どのようなことが行われているかお話をしていただきたい。

 その前にジェンダーのことで一つ申しあげたいのは、1992年にリオで「アジェンダ21」という行動計画がつくられましたが、その第24章に環境と女性の分野があります。環境問題の解決には、女性の力が必要である。そのためには女性の地位の向上が必要であるということが、きちっと書かれています。実はその第24章が入るためのロビー活動として、前年の1991年にマイアミ会議が聞かれました。この会議は大変重要で、これからの世界の環境問題を身近なところから地球規模で考えるためには、やはり女性たちの知識、経験を結集していく必要があるということで、「Women's Action Agenda21」がつくられました。その結果、翌年のリオサミットで、第24章が入ったということです。

藤井 絢子

 ホワイトハウスでクリントン大統領の環境の諮問委員会のメンバーと懇談することがあったのですが、何とメンバーはずらりと女性。しかも非常に若い女性が、全部仕切って動いている。もう本当に鳥肌が立つ思いがして、日本にはそういう光景は全くないですよね。地べたは女性が動くけれども、政策決定は男性ばかりという中で、本当にびっくりしました。

 琵琶湖においてもそうですが、全国回っていろんな課題解決をしようとしても、どうしても最終的に政治のところでぶつかってしまって、政策の意思決定のところで、どうも入り込めないということが、まま起きていました。

 それで全国の菜の花をやっているメンバーが集まって、毎年サミットを聞催していて、今年は7月6日に永田町の町村会館で政治家を交えてサミットを行いました。そのサミット宣言の中で何を言ったかというと、地域意思はいろんな思いをもち、女性も含めて地域で動いてきたが、それが全く国会意思に反映されていない。地域での自発的な取り組みを支える制度、脱化石ということを基調とする中で、良いものには課税をしない、悪いものには課税をするグッド非課税、バッド課税を原則に、税金の使い方をきっちりと変えていくことを国民に見えるように。何よりも、この国の土台を支えている農山漁村の持続的な発展なしにこの国の持続可能性はないということで、食の安全保障を確保するために、食材・食文化含めて地域の地産地消度を高めることと、耕作放棄地をエネルギー供給源や飼料供給源に農業の現場を変えて、農村の収入を確保する構図をつくるよう伝えました。

 実はバイオディーゼルはマレーシアやインドネシアから入っていますが、そこで暮らしていた方たちの農業の現場がパームのプランテーションに変わっている。環境に優しい燃料の向こうの暮らしが全く見えないのは絶対だめです。だから私は本当にこだわって、課題解決のためには自分たちの地域で、見える関係性で持続可能な地域をつくりたい。それを教えてくれたのがてんぷら油。てんぷら油が海外の油の関係も教えてくれて、今、そういうことをやりながら、それに気づいた地域の女性もですが、政策決定の場にもっと入っていかないと、今の動きがつぶされてしまう可能性があるとそんなふうに思っています。

萩原 なつ子

 例えば、安心・安全と言うけれど、実は日本の場合、食糧は安定供給が全くない。では、日本の持続可能性っていったいどこにあるのか、持続可能ってどういうことなのか。それから、一元化、多元化、多様性というものも重要なんだということを考えました。そして、物の値段、物の価値を、私たちはもう一度、安ければいいのかと、そういう価値の再発見も持続可能なということを考えていくときのキーワードになるのではないかと、今お話を聞きながら感じました。

三隅 佳子

 では、先ほどの続きを。ESDの概念は40年くらい前から言われていますが、1987年ブルントラント委員会から「我ら共通の未来」と題する報告書が出て以来関心が高まってきました。やらなくてはならないなというふうになってきました。

 ESDの教育というのは学校教育だけではないです。今、多元性という話がありましたが、いろいろな分野の教育、例えば環境教育・ジェンダー教育・多文化共生教育などをいろんな場所で行う。行う人は誰か、先生と言われる人だけではなく、子ども、若者、大人、地域のあらゆる立場の人、お友達同士、相互に学び合うことを重視します。ただ講義を聞くだけではなく、ともに学び、知識を得たらよりよい社会づくりのために行動するのです。

 ESDがめざすことは、まず、感じ、考え、学んで行動して、多様な価値観を認め合っていこう。そして知識や経験を共有しよう。とにかく、つながる、広がることがキーワードです。みんながつながる。日本人って縦割りなんです。地域住民も行政も志向が縦。多様な分野を横につなげて、みんなで広げていこうというのがESDです。

 課題解決に向けた事例として、北九州のことを話したいと思います。

 北九州はかつて四大工業都市と言われて、日本の近代化を牽引してきました。子どもの頃の教科書にも出ていて、自慢だった。でも、それは公害ももたらしました。当時は、「七色の煙」は繁栄のシンボル。日本の近代化を担っているという誇りをもっていたんです。そのかわり、空も汚れ、海も汚れる。今はきれいになっていますけどね。

 ここで運動に立ち上がったのが、当時の婦人会の女性たち。全くの主婦です。これでは私たちの健康がもたない、子どもはぜんそく、何回掃除しても真っ黒、洗濯物干したってネズミ色、もっと私たちは健康な生活がしたい、子どもたちのためにもということで「青空がほしい」をスローガンに運動したんです。

 このときの運動が、ESDの原型だと思っているんですが、そういう生活課題を解決するために、調査し、研究し、大学を巻き込み、マスコミを巻き込み、行政を巻き込み、議会までも巻き込み、行動したのです。さらしを軒先に吊るしてばい煙の量を測り、それを大学の研究室に持ち込み分析し、勉強をしながら運動に結びつけたということに意義があると思っています。それをふまえて北九州のESDビジョンは、持続可能な社会の実現をめざして、市民一人ひとりが持続可能という概念を理解して行動していこうです。いろんなところから行動していっていいのではないかということです。

浅岡 美恵

 温暖化について、最近の状況と、私たちがどういうことをしていくべきかを申しあげます。

 政権交代によって、温暖化に対する政府の基本的方針は確かに変わりました。日本は科学が求めるラインに沿って1990年比25%をめざすと、鳩山新首相は国連気候変動サミットで表明しました。12月のコペンハーゲン合意に向けて、日本としてぎりぎり間に合ったというのが、国際社会における日本の立場です。

 2050年に80%削減、そこに至る通過点としての2020年には25%削減を国の目標とすることは、それが地域の目標でもあるということです。そのために、今、何をしておかなければいけないのか、私たち一人ひとりがどういう貢献ができるのかを考える必要があります。温暖化問題はすべての人に関わる問題ですが、一人がすべてのことをしなければならないのではありません。地域の仕組みは国の仕組みに大きく影響されますので、国の制度が削減に働くものとし、その仕組みのもとで、地域では地域の特性にあわせた削減を担うための仕組みづくりが今求められています。そうでなければ25%削減はとてもできません。

 しかし、新政権にはまだまだ課題があります。一つには、鳩山政権は2050年目標をちゃんと示していません。80%以上の削減が必要なのであり、そう認識することで本当に大きな転換が求められていることが認識されるでしょう。二つには、25%削減を実現していく国の政策が、まだ表題部分のみで中身がなく、ましてや法律として制度化されていないということです。欧州の主要国では1990年代から法的な制度として導入してきており、既に国会審議は終わって、実施されているわけです。米国でも包括的な法律案が議会に提出され、修正案が議論されています。日本にはまだ議論も封印しようとする動きがあるように、とても遅れていることを、まず認識してください。

 具体的な議論をしようとすれば、大口排出の事業者の排出量が日本の排出にどれくらいを占めているのかを理解しなければ、本当に必要な政策は見えてきません。発電所と大規模工場からの排出で日本の約65%を占めています。およそ200弱の事業所からの排出量が日本の排出の半分を占めているのです。キャップ・アンド・トレード型排出量取引(個々の企業が、設定された排出枠と排出量の差を売買する取引)はこの部分をカバーしようとするものです。しかし、発電所や鉄鋼業の業界団体などが今も抵抗していますので、制度導入は簡単ではありません。

 経団連は、炭素税にも反対、排出量取引でキャップをかけることにも反対しています。炭素の価格づけは産業を廃頽させ、消費者の負担を増やすと言っていますが、仮に電気代が1割上昇しても、電気の消費量を1割削減すれば消費者の電気代の負担は変わらず、二酸化炭素の排出量を減らすことができます。また、発電所の燃料を石炭から天然ガスに変えるだけで発電時の排出量をおよそ半減させることができます。逆に、石炭火力発電が増えてしまえば、家庭での省エネ努力も消されてしまいます。家庭でできる取組みの重点は、必ずある電気製品や自動車の買いかえ時期に、製品の選択を間違えないことです。家の改築やリフォーム時に保温性能を高めることは快適性を高めることにもなります。発電所での排出を大幅に減らし、電力需要側でも消費量を減らせば、電力料金負担を重くせず、25%削減も可能です。その仕組みを入れるには政治の力が必要です。温暖化対策に必要なのは政策です。発電所、製鉄所など大規模工場の排出量を減らすことなしに、25%の排出削減はできません。ましてや80%削減はできません。

未来への展望

萩原 なつ子

 やはりメディアリテラシーとか環境コミュニケーションをしっかりやらないと、この問題は表面的なもので判断をすると大きな間違いになります。

 最後は、具体的な話も含めて未来の展望を語っていただきたいと思います。そのときに、ジェンダーの視点や協働で問題解決していく視点を入れながらお話をしていただければと思います。

浅岡 美恵

 温暖化対策で最も大きな課題は、中央政府の方針や地域の政策づくりに私たちの意見を反映させることです。政策決定プロセスに女性が参画するだけでなく、意見が本当に反映されることが非常に重要です。そのためにはもっと情報収集を進め、分析し、広く共有することが不可欠です。地域での活動では女性の粘り強さは今後もとても大事ですし、教育の中ではとりわけ重要だと思っています。

 私たちは今、「MAKE theRULE」というキャンペーンをやっています。「エコがブームになって随分たちますが、二酸化炭素は相変わらず増え続け、地球温暖化の影響は大きくなってきています。ところが、日本には二酸化炭素を減らすためのルールがありません。一人ひとりの心がけにも限界があります。今求められているのは社会の仕組みを変えていくこと。そのためには、二酸化炭素を確実に減らしていくための新しいルールが必要です。この星のすべてが幸せに生き続けていくために、あなたの声が、アクションが変化を現実にする力となります。と呼びかけています。私たちは温暖化問題についてですが、すべての課題に共通です。市民のなかにこのような意識を広げ、国に向けて働きかけ、地域での動きをつくっていってほしい。Think globally, Act locallyです。

講演会の写真

藤井 絢子

 今の若い人たちにどんな生き方の変化があるだろうということに大変関心があります。エネルギー多消費という今までの構造の結果、どんな生き方が、若者の中で模索されているんだろうと。

 今、半分農業、半分はほかのことに活動をする半農半X。半分は食べることをやりながら、いろんなことをやる人たちが若い人たちに随分出てきました。実は、そういう人たちが森に入り、そして農業に入りという人たちの暮らしを見てみると、本当にエネルギーを余り使わない暮らしをしている。それが豊かでないかというと、逆に何と豊かな時間をもっているということに感動します。あれもこれもやって悪いことはない。すべて総動員しないとこの時代は変わらない。そこに、女性の視点と行動力、これが今こそ、なお求められていると思っています。

三隅 佳子

 ESDは、日本だけやっているわけではなくて、全世界で取り組んでいますから、国際的なつながりがあるという点は私は非常に評価しています。

 今後ですが、とにかくESDと言おう。そしてどんどんつながっていこうと考えています。モットーは、無理なく、楽しく、格好よく。そして、好きであろうが、関心がなかろうが情報が届くようにしていくことが私たちの今後の活動です。

 地域での推進については、今、社会にはいろんな問題がある。それを解決できるような対話型たまり場を市民センターを拠点に作りたい。関心のある人が集まり、会合をもち、課題を考え行動につなぐ。勉強した人もしない人も、大学生も、若者も、年輩の人も一緒になって縦の年齢のつながり、横の分野のつながり、それから地域のつながり。それができると、とても行動しやすいし、情報も届きやすいなと思っています。

 思わないことには何もできないから、まず思う。でも思うだけではだめだから、それを行動につなげて、子どもや孫に充実した人生を送れる住みやすい社会を残していこう。今それがここに生きてきた私たちの大きな課題だと思うのです。それから忘れてならないのは企業です。この低炭素社会に向けた取り組みを企業ではどんどん開発・発展させ、モデルチェンジもしていく。情報もみんなに届ける。そうしたら、いい企業、そうでない企業ってわかるではないですか。私たちは、その橋渡し役ができればいいと思っています。

 ESDの最終年、2014年の世界会議は日本で開催されることが決定しています。5年後に向かって、この日本は持続可能な社会の実現に向けて、 ESDをどこまでやっていけるのか。一人でも多くの仲間を増やし努力したいと思うのです。

萩原 なつ子

 市民参画という話で、この市民の中になかなか女性が入っていけないケースがあります。政策決定の中にも、女性がまだまだ入っていない。ですから物事を決定していくところに女性が入って、これまでの経験をしっかりと反映させる仕組みが必要だろうと思います。

 環境問題では、人間だけがよければいいという話ではありません。身近な環境、自然環境も含めて、私たちの環境というものを考えていきたいと思います。

 それからESD、教育の必要性。その中でも、私は大学に身を置いていますから大学の輩出者責任をひしひしと感じています。学生一人ひとりが環境のマインドをしっかりもって卒業していくことが、これからの社会づくりの中では重要で、大学の役割というのは非常に重要だと思っています。

 そして若者、それから女性の役割ということがよく言われますが、その中でNPPから始まると思いました。NPPとは、儲けにもならないことを率先してする人をいいますが、その人から始まると思います。一人ひとりの行動から、楽しくいろいろやっていると、そこに人が集まってきて、組織化されて、やがては仕組みにつながっていく、法律にもつながっていくのではないかなと思います。今日のテーマが「個人から家庭、家庭から地域へ」、そして国へ、グローバルへということですが、ぜひ地域に帰られて、さらにより大きな力強い活動へと楽しく進めていっていただきたいと思います。

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