地名のあれこれ

最終更新日:2012年12月19日

地名には、それぞれ名づけられたわけがあり、それによって、その土地の歴史や文化を知ることができます。昔、堺は、和泉、河内、摂津の境にあったことから、「さかい」と名づけられました。東区域内の地名の由来を一部ですがご紹介します。(堺商工会議所発行 "地名あれこれ"等より抜粋)

登美丘

昭和25年4月に野田村と大草村が合併、合併委員会が新しい町名を募集したところ野田村字西野の木村亀次さんの名づけた登美丘町に決定しました。この辺りは、江戸時代の元禄の頃から新田開発が行われ、丘陵地の景色の良い所で、この丘に登ると眺めも心も美しくなるとの意味がこめられていました。

野田

南北朝の頃、高野線北野田駅の南の方、西除川のほとりに野田城がありました。この辺りは、荘園時代は野田の荘といわれ、昭和26年に登美丘町となるまで、野田村となっていました。現在は北野田、南野田の地名が残っています。

白鷺

昭和40年頃に団地が造成されましたが、それまでこの辺りは、田ばかりで、高野線の電車に乗ると、青々とした田に白鷺が舞い降りて美しい風景でしたから白鷺団地と名づけられました。

日置荘

明治22年、新しい町村制ができて、北、原寺、西、田中新田の村々が合併しました。この辺りは、むかし日置氏の荘園であったことから、合併のとき日置荘と名づけられました。

南八下

明治22年に新しくできた町村制によって八上郡の小寺、大饗、石原、菩提、野尻、石原小寺錯雑地、大饗菩提錯雑地の村々が合併しました。八上郡の下にできた村ということから「八下」、南にあるから「南八下村」となりました。

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