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私の家族(26歳 Tさん)

更新日:2013年4月1日

 僕が養子として家族に迎え入れてもらったのは2歳のときだと聞いています。それまでは施設に居たそうですが、まだ物心はついておらず、その頃の記憶はありません。そこに子宝に恵まれなかった両親と出会い、養子となりました。

 それから家族の一員として生活していく訳ですが、両親には愛情を持って育ててもらいました。今振り返ってみると僕自身は中々の甘ったれで、ワガママな子どもだったと思います。百貨店でゲームを買ってもらうまで一歩も動かず、母親を困らせたなんてことがしばしばありました。

 小学校のとき、同級生から「父と母にあまり似ていないね」というようなことを言われた記憶があります。このときに初めて意識するようになるのですが、当時は気にもしていませんでした。

 それから中学校・高校と進学していくのですが、おそらく17から18歳の頃です。(記憶が曖昧で申し訳ないですが)母親が僕を呼び出して「実はあなたは養子で、私たちとは血がつながってない」という内容の話を不器用な言葉で話してくれました。

 実を言うと、僕は勘の鋭い子どもだったのか、それとなく自分は両親と血が繋がっていないのではないかということに気がついていました。告知を受けたときも動揺しなかったと思います。「あぁ、やっぱりそうか」程度のものでした。

 それでも母親にとっては勇気を必要とされることだったんでしょう。告知をすると僕が何処かへ行ってしまうのではないかという不安は絶えず持っていたように思えます。しかしその一方で、このまま秘密を抱えこんだまま生きていける程、母は強くはありませんでした。様々な葛藤で苦しんでいたのだと僕は思っています。

 この告知についてなのですが、僕は必ずしも必要だとは思っていません。

 どの家庭を取ってみても、様々な事情・家庭環境があり、状況が一様ではないからです。僕がそうだったからかも知れませんが、告知しなくても気づいているということもありますし、気づいていないのであれば波風を立てる必要はないと考えるからです。

 また、告知は両親だけの問題ではない気がするのです。僕たち(里子)が受け入れるべきことでもありますし、「生みの親より、育ての親」とはよく言ったもので、家族というのは一緒に過ごした時間、悪いことをしたら叱ってくれたこと、誕生日おめでとうと言ってくれたこと、風邪をひいたら病院へ連れて行ってくれたこと、家族みんなで鍋をつついたこと、そういった毎日の積み重ねが本当の家族を作っていくものであり、血のつながりだけに左右されるものではないからです。

 『告知したくても勇気がない方』

 きっと大丈夫です。あなたの愛情は届いていると思います。

 『告知せずに秘密にしていく方』

 きっと辛いときもあると思います。でも大丈夫です。あなた方は親子なんですから子どもの笑顔を見て元気を出してください。

 話を元に戻します。

 告知を受けて数年後、母が一度だけこんなことを僕に質問しました。「本当の母が出てきたら、会ってみたい?」

 僕は正直に答えます。「興味ないかなぁ。別に会いたいと思ったこともないし。それならオーストラリアでカンガルーとかコアラに会いたいかも」

 僕はどうやらその辺についてはサッパリとした性格のようで、26年間で一度も会いたいと思ったことがないのです。それよりも告知が終って数年経つのに母は未だに不安を抱えている気がして、どうにか安心させてあげたかったことを覚えています。

 ここまでのお話で何か疑問に思っている方がいらっしゃるかもしれません。そうです、これまで父の話がでてきていないのです。

 ここからは父親と、後になってできた僕の弟の話をしたいと思います。

 父はおおらかで、良く言えば僕の意見を尊重してくれる人、悪く言えば放任主義。仕事を優先し、子育てには積極的に参加しているようには思えませんでした。(これは、もしかしたら母親の愛情と比べてそんなふうに感じていただけかもしれません)しかし、このおかげで僕の「自分のことは全て自分で決める」という性格につながったのだと思います。

 僕が25歳になり、両親が子育てに一つの区切りを迎えたときのことでした。

 おそらく両親はこれからの人生を考え、夫婦で相談したのでしょう。そして、一つの答えを導き出しました。その結論が「もう一人、養子を迎え入れる」というものでした。

 正直に言いますと、少し不安を感じたことは否めません。両親は僕を育ててくれた分だけ年齢を重ねていましたし、体力的なことも心配でした。少しのんびりとして欲しいという気持ちもありましたし、新しく来る子どもが家族として馴染めるか心配でした。(しかし、この不安は僕の杞憂であることが後でわかります。)

 それからまもなく、一人の小学生が何度か家に宿泊することになりました。そしてある日、母から「正式に養子として受け入れたいのだが、どう思う?」と聞かれて僕はOKを出しました。できる限り両親の意見を聞き入れてあげたかったですし、何度かの宿泊で大丈夫だろうと思えたからです。

 そして、僕は一人っ子から二人きょうだいの兄になり、年の差16歳の弟ができました。

 と同時に、ここから父の奮闘が始まるのです。弟は当時はまだ小学3年生でした。新しい家で、新しいルールを学んでいかなければならない弟はとても努力しました。母は根気よく褒めたり、叱ったりしていましたし、僕はとても厳しい兄だったと思います。しかし、一番驚いたのは父が子育てに参加しているということです。父・母・僕の誰かが弟を受け入れる気持ちを不十分にしていたら、きっと家族としてうまくいかなくなるのではないかと思っていた僕にとっては嬉しいことでした。

 しかし、全てが順調という訳にはいきません。父は弟に対してどう接していいかわからないといった感じで、自分になついてほしいがやり方がわからず力任せになってしまい、結果よく弟を泣かせていました。それがきっかけで母と口論になることも多々あり、やきもきしている様子でした。おそらく、父は自信をなくして落ち込んでいた時期もあったと思います。

 ただ、どんなに弟との距離が縮まることがなくても「自分の本当の子じゃないからなつかない」ということを言ったことは一度もありません。皆さんはこれを当然のことのように思うかもしれませんが、僕にとっては最高にカッコいい姿でした。やはり、弟のことを自分の子どもだと思っているのだと感じましたし、同時に僕のこともきっと同じように考えていてくれるのだと思いました。

 後になって気づいたのですが、父親は子育てに消極的なのではなくて、単純に子どもの扱いがうまくなかったのです。それは今も変わっていません。ですが、不器用ながらも弟を可愛がっていますし、弟も父の愛情を感じたのか少しずつ慣れていきました。今ではとても仲のいい二人になっています。

 それでは、次の言葉を最後に締めくくらせていただきます。

 「僕は里子であるということに負い目を感じたことはありません。正直に言ってしまえば、気にもしていないんです。僕からすれば(きっと弟もですが)父と母は『里親』ではなく『親』ですし両親からすれば僕と弟は『里子』ではなく『子』だと思います。僕たち家族には特別なことは何もないですが、それがとてもしあわせだと思います。」

このページの作成担当

子ども青少年局 子ども青少年育成部 子ども家庭課
電話:072-228-7331 ファックス:072-228-8341
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