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堺をおもえば…小田勝美さん 堺の記憶

更新日:2016年4月19日

堺をおもえば…

小田勝美さん

「デビュー戦を観て親父が勘当を解いてくれた

プロフィール

 このシリーズの6番目に登場してくださる親善大使は元バレーボールのオリンピック選手、小田勝美さん。新日鐵堺製鐵所に入社し、同社バレーボール部の4連覇、3連覇に貢献。バブル崩壊後は廃部の危機を乗り越え、バレーボール界で初めて地域密着型スポーツクラブの堺ブレイザーズとして生まれ変わらせた立役者だ。現在は東京で日本オリンピック委員会のナショナルコーチとして活躍中だが、堺への愛は変わらない。

外部サイトへリンク 新規ウインドウで開きます。公益財団法人 日本バレーボール協会

初めての堺は五輪メダリストの中村祐造さんの誘いで

 小田さんは1952年兵庫県春日町のご出身。そこから新日鐵(現・新日鐵住金)堺製鐵所に入社するまでにはドラマがあった。
「僕が育った頃、丹波篠山の田舎では国鉄職員になるか役場に入るかがエリートやったんですよ。僕は長男だから農家を継がないかん。そうしたら、関西鉄道学園と関係するところで働いている叔父から、『お前、この学校を出て、国鉄(現在のJR)職員をやりながら米づくりしたらどうか』と勧められたんです。この学校は全寮制の国鉄職員の養成所で、給料をもらいながら勉強して、卒業後は国鉄に入れる。親父がこの話を非常に喜んだから、叔父の推薦で吹田にある関西鉄道学園に進学したんです」
 バレーボールは先輩に勧められて、中学のときから始めていたが、転機は仲間とバレーボールの試合を見に行ったときにやってきた。
「鉄道学園の3年生だった昭和45年(1970)の10月、近畿総合選手権の決勝戦で新日鐵の中村祐造選手のガッツのあるプレーに感銘を受けたんです。それで、なんとか練習を見たいと思って中村さんにファンレターを出したんですよ。封筒の裏に赤鉛筆で『193センチメートルあります』って書いて(笑)」
 この作戦は大成功だった。
「12月の29日か30日に中村祐造さんから電話がかかってきて、『いつでも練習を見においで』と言ってくれたんです。すぐ1月2日に堺製鐵所の体育館に行きました。今の体育館があるのと同じ場所です。もっとボロボロでしたけどね。それが僕にとって初めての堺です」

「君の身長とバネをバレーに生かさないか」

 45年前に193センチメートルと言えば、かなりの高身長である。
「向こうはどんなんが来るんだろうと期待してたでしょうね。で、僕に会ってがっかりしたと思いますよ。当時は68キログラムしかないガリガリで、バレーもできない、腕立て伏せも10回もできなかったから。ただ、たまたま体育館にバスケットボールのリングがあって、僕がジャンプしたら手首がリングを越したんですよ。それで、『君はバネがあるね。いつでもボール拾いに来なさい』と言ってもらえたんです。それで何度か行くうちに、あるとき中村祐造さんから『君の身長とバネをバレーに生かさないか』と言われたんです」
 新日鐵に就職してバレーボール部に入らないかとスカウトされたわけだ。
「夢みたいな話やから行きたいと思った。ところが、親父が猛反対だったんですよ。昭和45年に八幡製鐵と富士製鐵が合併して新日鐵ができて、僕が誘われたのは翌年だから、親父はまだ『新日鐵』という社名を知らなかった。だから、『お前は町工場の中村に騙されとる』って(笑)」
 お父さんの反対は強硬だったが、それでも新日鐵に行きたい気持ちは押さえられなかった。
「身長コンプレックスがあったんです。でも、バレーボールをやればそれが武器になる。だから、バレーに賭けてみようと」
 10代らしい理由もあった。
「丹波の田舎のすき焼きは鶏肉やったんです。でも、堺に来たら白鷺クラブという社員クラブで牛肉のすき焼きを食わしてくれた(笑)。それから、僕、足の大きさが28.5センチメートルで、そんな大きな靴がないからいつもつま先を丸めて27センチメートルのを履いていたんです。それが、28.5センチメートルの靴をくれたんです。世の中にこんな楽な靴があるのかと思いましたよ。身長、すき焼き、そして靴。この3つで『やっぱり新日鐵に入るべきや』と決心したんです(笑)」

 その結果、父からは勘当。問題はそれだけではなかった。
「関西鉄道学園には給料をもらいながら通ってましたからね。先生に『お前に3年間で1,000万円以上使ってる。さあ、これからというときに何だ』と言われました。最後は新日鐵が国鉄と話し合って、やっと新日鐵に入ることが認められたんですよ」

会社と深井寮と野々宮神社の日々

 そして、1971年に新日鐵堺製鐵所に入社。高度成長に沸く臨海工業地帯に通った。
「当時は企業チームでしたから、午前中働いて、午後が練習。僕の仕事は鉄の成分を調べる試験分析課。よくわからないから簡単なことしかしなかったけどね(笑)」。
 住まいは新日鐵の深井寮に入った。
「今、新日鐵住金の深井社宅があるところですけど、当時は田んぼばっかりで何にもなかった。寮の前に大きな池があって牛蛙が鳴いてましたよ。泉北1号線もできていなかった頃ですからね」
 深井寮は6畳一間に一人が原則だった。
「だけど、僕は藤川武巳コーチと2人だったんです。最初は練習で7、8時間、立ってるだけなんですよ。それでも、68キログラムしかないから体がもたなくて、毎晩、痙攣を起こすんです。それが心臓まできたら死にますからね。夜中に『痙攣やー!』というと、コーチがマッサージしてくれたり、塩水を飲ませてくれたりする。そうやって、3年間、僕につきっきりで育ててくれたんです。藤川さんはもう亡くなったけど、僕の恩人です」
 とにかく食べろと言われ、無理にでもたくさん食べた。
「体重は3年で85キログラムまで増えました。ベストは88から89キログラムですけどね。同時に、腕を鍛えないといかんと、鉄の会社やから鉄アレイみたいなものを作ってもらって3年ぐらいずーっと持ち歩いていました。ようやったと思いますね」
 ほとんど会社と寮の往復と遠征試合に行く毎日だったが、たまに出かけるところもあった。
「大男と言っても実は弱いんですよ。ジンクスは担ぐし、試合の前は眠れないしね。だから、何かの節目には野々宮神社によく願掛けに行きました」

勘当が解けた思い出の大浜体育館

 小田さんが新日鐵に入った年に、バレーボール部は日本リーグから2部の実業団リーグに落ちた。
「昭和47年(1972)の冬に大浜体育館で住友金属と実業団リーグの試合をしたのが、僕のデビュー。そこに僕を勘当した親父を会社がうまいこと言うて連れて来たんです。そのときに工場見物して新日鐵は町工場ではない(笑)、バレーもプロ的にやっているとわかって安心した。さらに、僕がワンポイントブロッカーとして試合に出て、相手を止めたんですよ。それで勘当が解けた。大浜体育館は思い出の場所なんです」
 新日鐵バレー部は翌48年に1部の日本リーグに昇格して、日本一に。そこから4連覇し、1年だけ2位になったが、その後も3連覇と快進撃を続けた。

「強くなったのは田中幹保とか柳本晶一がチームに入ってきたこともあったけど、中村祐造(ミュンヘン五輪全日本男子バレー主将)という鬼がいてずっとスパルタ教育を続けてくれたお陰です」

結婚して花田社宅、三国ヶ丘社宅へ。願掛けは方違神社

 32歳のときに結婚。
「12月に和歌山出身の、まったくバレーを知らないし興味もないという女性と見合いしましてね。翌年の3月に2回目に会ったとき、二日酔いで『もう結婚しよか』って。それまで彼女と合計10時間も会ってないんですよ(笑)。で、6月3日が結婚式」
 結婚を機に、深井寮から花田社宅に移った。
「花田社宅は、イオンモール(堺北花田店)になっているところです。31棟もあってすごかったですよ。当時、堺には新日鐵の社員が4,000人ぐらいいましたからね。今は300人と言ってますけど」
 すぐに三国ヶ丘社宅に引っ越した。
「三国ヶ丘社宅にいた頃は方違(ほうちがい)神社に願掛けに行ってました。リーグが始まるときにチームで祈願祭に行くのは開口(あぐち)神社でしたね。なんか僕、神社の話ばっかりしてますね(笑)。バレー馬鹿だから、会社の体育館と家と遠征先以外、あまり行ってないんですよ」

初めての家を購入。毎朝、大仙公園でウォーキング

 3人のお子さんにも恵まれた。
「男、男、女で、今、31歳、28歳、24歳。でも、うちは嫁さんも子どももスポーツが嫌いなんです。女房はスポーツ音痴だから、そっちに似たんと違うかな。みんなけっこう背は高いんですけどね」
 ちょっと残念。
「新日鐵は社宅に恵まれていたから助かりました。2000年まで社宅にいて、48歳で初めて家を買いました。それが今も住んでいる百舌鳥赤畑町の家です」
 JR阪和線の百舌鳥駅に近く、仁徳天皇陵古墳と大仙公園の東側という立地条件のいいところである。

「僕は趣味がウォーキング。早起きだから、毎朝、大仙公園に歩きに行きます。緑が多くて気持ちがいいですよ。たまに夜も歩きます。ちょっと怖いけどね。あ、相手のほうが怖いか(笑)」

バブル崩壊。生き残りをかけ地域密着型スポーツクラブへ

 家を購入した2000年は、新日鐵バレー部にとって激震の年でもあった。
「バブルが崩壊して、全国的に企業の運動部の休部、廃部が相次いだとき、新日鐵の運動部もコスト削減のターゲットになったんです。ちょうど僕が責任者だったので、会社から『廃部にするのは簡単や。しかし、新日鐵のバレー部は会社の宝であり、日本の財産や。残す方向を考えられないか』と言われたんです。条件としては新日鐵がバレー部に出していた費用を3分の1にする、選手採用も年間でチーム1人だと」
 小田さんは生き残れる方法を探った。
「サッカーのセレッソ大阪、ガンバ大阪、FC東京とかいろいろ見て回って、最終的にはJリーグのように地域密着型のスポーツクラブにするしかないと思いました。それで、新日鐵に資本金1千万円を出してもらって、企業スポーツとして初めて株式会社をつくって、チーム名も新日鐵ブレイザーズから堺ブレイザーズに変えて、今のクラブを立ち上げたんです」
 2000年12月のことだった。小田さんはさらりと説明するが、立ち上げるまで慣れないスポンサー回りをして大変な苦労をしたそうだ。会社は新日鐵の体育館の中に構えた。
「新日鐵の子会社ですけど、体育館に事務所を借りて家賃を払っています。新日鐵から広告料として年間2億円もらって、我々で1億5円万円から1億7千万円ぐらい稼ぎ出して運営しています。収入源はスポンサー料や、堺の金岡公園体育館で2試合(毎年変動)、我々のチームが生まれた八幡の北九州市立総合体育館で2試合やるホームゲームの入場料、グッズ販売料。堺市さんにはホームゲームをさせてもらったり、「堺ジュニアスポーツ教室」などいろいろなスポーツ事業をやらせてもらったり、バックアップしてもらっています」
 小田さんは地域密着型スポーツクラブこそバレーボールの未来を拓くと考えている。
「バレーボールで株式会社形式のチームは、男子は堺ブレイザーズ、女子は岡山シーガルスしかない。いつまでも企業スポーツに甘んじていないで、もっとクラブチームを増やさないとバレー界は発展しませんよ。でも、大変だからなかなかそうはいかないんですよね。相当な改革が必要です」

応接間のように使っている居酒屋

 仕事の疲れを癒すのは、自宅の近所にある居酒屋。
[一休]さんという店にすごくよく行きます。ご夫婦でやっていて、安くて、おいしい。僕の世話になった人とか友達とは必ずここに行く。うちの応接間みたいなもん。ご夫婦とも気が合って、適当にかまって、適当に放っておいてくれるから、気楽に仲間と話せて居心地がいいんです。湯豆腐ぐらいしか食べないんだけどね。あ、それから、僕は甘い卵焼きが大好きで、僕用の甘ーい卵焼きを作ってもらうのが楽しみです」

ブレイザーズの選手御用達の店といえば

 堺ブレイザーズの宴会は焼肉屋と決まっていた。
「選手はみんな肉を食べると力が出ると思うてるから、[樽一]という焼肉屋に行ってましたね。昔は工業学校前にあったけど、今は鉄砲町にあります。うまいですよ」

 もう一軒はなんと…。
「堺東の商店街にある[囲炉裏乃逸品]という居酒屋もチームがよう行きよる店です。マスターが鹿児島の薩摩川内(せんだい)の人でね、そこの名物があるんです。マスターは今、故郷の薩摩川内に店を出しに行ってて、堺東の店はおかみさんがやってる。
 ここは唯一僕のサインがある店なんですよ。一番奥に個室があって有名人がいっぱい壁にサインしとったから、酔っぱらって『僕もサインしていいかなぁ?』って訊いたら、『どうぞー!』と言うんで書いちゃった。あとで見ると恥ずかしいねえ(笑)」

男子バレーをリオと東京の五輪に出場させたい

 小田さんは去年の3月末に堺ブレイザーズを退職して、4月にオリンピック委員会のナショナルコーチに就任。去年の7月から東京に単身赴任して仕事に励んでいる。
「いやー、キツイですねえ。生ゴミ出すのが大変でねえ(笑)。でも、生まれてこの方、料理なんて1回もしたことないのに、自分で朝ご飯つくって、おまけに弁当までつくってますよ。妻の苦労がよくわかりました。
 僕の使命はバレーボールの日本代表を2016年のリオ五輪に出場させることと、2020年の東京五輪をめざした強化をすること。東京五輪は開催国特権で出場が決まっていますから、女子は金メダル、男子もメダルを取るのが目標です。バレーボールにはお世話になったから、これが最後のチャレンジですね」
 堺のご自宅でのんびりする日はまだまだ先である。

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