堺の大使 好きです堺 6 旭堂南陵さん(講談師)
更新日:2013年6月13日
堺ならではの文学・文化のまちづくりを
堺のまちへの思い
- 堺区に住んでおられたそうですね。
子どもの頃は、百舌鳥古墳群の辺りが遊び場でした。昔は今よりもっと自然が豊かでしたが、古墳群の近くを流れる百済川がコンクリートで固められた当時、ものすごく水質が汚濁してしまった。自然保護の活動を続けてきたのは、その頃の経験が原点になっています。
- 与謝野晶子の本を市に寄贈いただきました。
堺の文化が大好きなんです。講談のネタ集めを兼ねてよく古本市に行きますが、高校の先輩にあたる与謝野晶子の本もよくチェックしていました。寄贈したのは、全集にはない作品が載っている珍しい本などです。古本市で見つけた、堺に関連する古い絵はがきや引き札(チラシ)、写真などもたくさん集めています。
堺には与謝野晶子だけでなく、戦後最初の芥川賞を受賞した由紀しげ子など堺にゆかりのある文化人がたくさんいます。そうした文化的な面をもっとPRしていきたい。
- 堺東駅前の変化をどのように感じますか。
商店街には地場産品よりも、若者が遊べる店や飲食店が増えましたね。今、西宮市在住ですが、残念ながら兵庫県民には堺のイメージは伝わってきません。もっと、歴史や茶の湯、香道など、堺が持つ豊かな文化や歴史を感じられるようなまちづくりが必要ではないでしょうか。
講談師は天命
泉陽高校の運動会で応援団の団長を務めた南陵さん
- 講談の道に進まれたきっかけは。
中学校の弁論大会に出たときに、あがってしまい話す内容を忘れてしまった。その時にどんな職業に就いても人前で話ができるようになっていなければと思いました。大学に落語講談研究会というのがあって、歴史が好きだったこともあり、講談であがり症を治そうと入会。ここで顧問をしていた3代目南陵と出会いました。天命だと感じましたね。
- もし講談師になっていなければ。
父親が農業の仕事をしていたので、大学は農学部だったんです。みかん山も持っていましたから果樹園芸をしていたでしょうか。それが、寄席園芸(演芸)を選んだというわけです(笑)。
- 山之口商店街での「夢浪漫亭おたび寄席」を40年近く続けてこられていますね。ネタの引き出しも400以上あるとか。
地元の皆さんの協力もいただき、皆さんと堺のまちづくりを盛り上げたいとの思いで、ほぼ毎月1回、開催してきました。堺の歴史をテーマにした演目もありますので、日本語のリズムにのって歴史の物語を伝える講談の魅力を感じにぜひお越しいただければと思います。
まちにもっと誇りを
- 市民の皆さんへのメッセージを。
堺のまちにもっと誇りを持ってほしい。堺は文学のまちであるとともに、文化あふれるまちです。進取の気風で、お茶の文化や線香の香りの文化を育んできました。
皆さんにはこうした堺の魅力をもっと認識していただきたいし、私も文学・文化を生かした堺ならではのまちづくりをこれからも行っていきたいと思います。
(取材 平成25年5月)
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