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第3回自由都市・堺 平和貢献賞 受賞者

更新日:2012年12月19日

 平成24年3月23日、6月28日に自由都市・堺 平和貢献賞選考委員会が開催され、受賞者の選考が行われ、9月7日に同委員会上田正昭委員長から報告を受け、次のとおり受賞者を決定しました。

選考経過

選考方法

 国内外の有識者、学術機関等(国内370、国外130 計500件)及び選考委員に受賞候補者の推薦を依頼。

 推薦のあった受賞候補者について、自由都市・堺 平和貢献賞選考委員会での選考結果をうけて、市が受賞者を決定。

経過

平成23年 6月 推薦人に推薦依頼書送付(国内外500件)
9月30日 推薦締め切り(推薦数24件)
授賞候補者の詳細調査
平成24年 2月 選考委員への選考資料送付
3月23日 選考委員会の開催
6月28日 選考委員会の開催
9月7日 授賞者の決定(大賞1人・1団体、奨励賞1人)

推薦人の構成

区分 推薦依頼数 推薦数
国内 国内個人 210 370 14
国内研究所 60 0
国内大学 60 0
中間NGO 40 2
国外 海外研究所 40 130 3
海外各種団体 40 2
海外大学 30 1
在日外国大使館 20 2
合計 500 24

受賞候補者の構成

  個人 団体
国内 7 8 15
国外 5 4 9
12 12 24

受賞者紹介

大賞

Daw Aung San Suu Kyi (アウンサンスーチー氏)

受賞者紹介

1945年6月19日ヤンゴン市(旧ラングーン)生まれ。ミャンマー連邦共和国在住。
国民民主連盟中央執行委員会議長
 ビルマ(現ミャンマー)では、1988年、全国的な民主化要求デモにより26年間続いた社会主義政権が崩壊しましたが、国軍がデモを鎮圧するとともに国家法秩序回復評議会(SLORC。1997年国家平和開発評議会(SPDC)に改組)を組織し、政権を掌握しました。
 2011年1月、総選挙の結果に基づく国会が召集され、2月、正副大統領が国会で選出されました。2011年3月、新政府が発足し(同時に国名も変更)、国家平和開発評議会(SPDC)から政権が委譲されました。

 同氏は、1945年、ビルマ(現ミャンマー)の国民的指導者アウンサン将軍の娘として生まれました。1988年に民主化運動に参加、国民民主連盟(NLD)を結成し、総書記に就任しました。しかし、1989年に国家防御法違反により自宅軟禁され、一時の中断を経て、2010年まで軟禁状態におかれました。
 このような中、同氏は1991年にアジア女性として初めてのノーベル平和賞を授賞されました。
 2012年4月には、議会補欠選挙の結果、アウンサンスーチー氏を含む関係者の政治参加が実現し、ビルマ(現ミャンマー)では、民主化及び国民和解、持続的発展に向けた改革のきざしが見え始めてきました。

贈賞理由

 同氏は、ビルマ(ミャンマー)の民主化運動を阻止しようとする軍事政権の圧力により、1989年から長年にわたり、軟禁生活を強いられるという逆境にも屈せず、自国の民主化、平和尊重に尽力してきました。2010年11月、同氏は解放され、本年、同国において選挙が行われるなど、今後、同国の民主化への道筋の中で、重要な役割を果たすことが期待されています。同国の民主化は、同国の人々の基本的な自由・権利の確保のみならず、アジア地域全体の平和・安定にも寄与するものと考えられます。

大賞

台湾赤十字組織

受賞者紹介

建設を支援した災害公営住宅「井戸端長屋(相馬市)」の前で、相馬市、日本赤十字社の方々と(写真中央右側が王会長)。
1904年3月設立。台湾 台北市
会長 王清峰氏
 1904年3月、上海万国紅十字会として設立、1933年、中華民国紅十字会と改称しました。1949年、同団体は台湾に移り、1954年、台湾における法に基づく唯一の民間団体として、現在も各国の赤十字と交流し、国内外の人道支援に尽力されています。

 2011年3月11日に発生した東日本大震災においては、同団体は、台湾の人々から寄せられた支援金から、ただちに約13億円を日本に送金、さらに約4億円を追加し、合わせて約17億円が日本赤十字社を通じて被災地の緊急復旧作業の支援に充てられました。
 また、同団体は、日本赤十字社と連携した、被災地域へのより長期的で具体的な支援を可能とするため、昨年12月に、同社と支援内容について合意しました。
 これにより、同団体は、約50億円を岩手県山田町、大槌町、宮城県南三陸町、気仙沼市、福島県新地町、相馬市の被災医療・福祉施設、住宅、保育園などの建設に充てる意向を示し、震災以降、被災地を何度も訪問し、日本赤十字社及び各市町と連携した支援を行っています。

贈賞理由

 東日本大震災は、各地にかつてない甚大な被害をもたらし、今も避難生活を余議なくされる方も多く、復興にはまだ多くの時間が必要な状況です。
 そのような中、我が国に対し、多くの国・地域から支援が寄せられました。とりわけ台湾の人々からも、同団体を通じて多大な支援をいただき、その規模はアジアの国や地域の中で最大のものでした。
 特に、同団体は、救援金を被災地の実情に即したきめ細かな支援に充てるため、被災市町及び日本赤十字社と連携し、継続的な取り組みを続けています。
 これら同団体の活動は、被災地の復興はもちろんのこと、今後の日台関係の発展、及び広くアジア太平洋地域の平和・安定の構築に大きく寄与するものと高く評価します。

奨励賞

松居 友(まつい とも)氏

受賞者紹介

1953年3月2日東京生まれ。フィリピン キダパワン市在住。
児童文学者、ミンダナオ子ども図書館館長。
 フィリピンでは、第二次世界大戦後、南部のミンダナオ島で独自の文化・社会を築いてきたモロ(イスラム教徒となった先住民族の総称)と政府の対立が先鋭化し、1970年には民族自決を掲げるモロのゲリラと政府軍との戦闘がはじまり、多くの犠牲者や避難民が生まれました。 2003年には停戦合意がなされ、断続的に和平交渉が続いてきましたが、現在も不安定な状態が続いています。
 2000年に偶然、ミンダナオ島を訪問した同氏は、紛争により難民となり、貧困により疲弊した子どもたちが、笑みどころか表情を失っている光景を見て、この子どもたちを救いたいという強い思いから、島に残り、絵本の読み聞かせ活動を始めました。

 2003年には、さらに活動を拡大するため「ミンダナオ子ども図書館」を設立し、小学校や保育所建設、医療支援、奨学金の付与なども行っています。
 現在も同図書館には、貧困等で自宅からの通学が困難な、言葉も宗教も違う約100人の子どもたちが共同生活しており、同図書館はこれまでに、同図書館に居住する子どもたちも含め、さまざまな事情を抱え、学校に通うことが困難な約630人の子どもたちに奨学金を付与してきました。
 近年は、日本の不登校やひきこもり等の課題のある青年たちを招き、子どもたちへの支援とフィリピンの子どもたちとの交流を通じて、生きる力をつけるための活動も行っています。

贈賞理由

 宗教、民族間の争いが続くフィリピン、ミンダナオには、貧困のため、十分な教育、医療を受けることができない多数の子どもたちがいます。
 同氏は、道路も十分整備されていない山岳地帯などの村を訪ね、絵本の読み聞かせ活動を通じ、子どもたちが、自身の文化や民族の誇りを再認識する支援をするとともに、訪問の際、医療が必要な子どもたちへのきめ細かな支援を行っています。
 また、同氏は、言葉や宗教の違う子どもたちが、互いの文化を知り、違いを認め合い、共同生活する同図書館運営などの中において、一貫して民族、宗教の違いからくる対立の解消への取り組みを進めています。
 同氏のこれらの取り組みは、個人の尊厳の回復、同島における民族和解を促進し、多様性を認め合う社会の実現に大きく寄与するものと評価します。

このページの作成担当

市民人権局 ダイバーシティ推進部 人権推進課

電話番号:072-228-7420

ファクス:072-228-8070

〒590-0078 堺市堺区南瓦町3番1号 堺市役所高層館6階

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