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記念講演

更新日:2012年12月19日

大賞 台湾赤十字組織 王清峰会長

 先ほどの、フィリピン、ミンダナオ島での松居様の活動紹介のビデオを拝見し、非常に感銘を受けました。
 実は、今回の賞金をどのように使えばよいのか、インターネットを通じて私たちの支援者に聞いてほしいと同僚に指示してまいりました。まだ返事はありませんが、さきほどのビデオを拝見し、松居様ご夫妻の活動に、ミンダナオ子ども図書館にこの賞金をぜひ寄附させていただきたいと思っています。
 この賞金を使って、より多くの子どもたちを支援していただき、さらに健やかに、楽しく暮らせるように、また、環境もさらに改善されますことを期待しております。

 改めまして、再度、ここに堺市より台湾赤十字組織に「自由都市・堺 平和貢献賞」をいただきましたことを感謝いたします。私たちがこの賞を受賞したのは、昨年の東日本大震災後、台湾が災害救援及び復興作業のために史上前例のない莫大な義援金を支援したからです。赤十字社にとっては、「博愛・人道・ボランティア活動」の任務を遂行することであり、本来の仕事の一つであります。しかし、台湾の国民にとっては、人間の最も尊い感情である「愛」を表わすことになりました。この愛は、自他を区別することなく、国境、種族、信仰、イデオロギーを超越するものです。この受賞の栄誉は、台湾国民、一人ひとりに寄与するものであります。彼らの信頼と支持があるからこそ、私たちは、彼らの愛を絶え間なく、日本及び他の必要としている国々に送り届けることができるのです。

 昨年3月11日、大地は揺れ、海は色を変え、津波がすべてを飲み込みました。すべての人々に衝撃を与え、テレビでは、日本国民の悲しみ、傷ついた姿が映しだされていました。津波が去り、元々は活気あふれる町や漁村が破壊され、家屋も無くなり、残されたのは止めどない涙でした。涙で目元が赤くなった高齢の方々を見ると、まるで自分の家族が傷ついたように感じました。また、家族がバラバラになった後、避難所で再会する場面は、深く感動いたしました。

 災害発生後、我が国の政府は迅速に日本へ救援隊を派遣し、協力して、捜索、救助活動にあたりました。台湾赤十字組織もすぐに緊急動員し、多くのメディアや著名人と協力し、共同で「希望を信じて。Fight and Smile」という被災者支援チャリティーイベントを開催しました。このイベントで、馬英九総統ご夫妻も、直接、電話に出られ、支援しました。国民の熱気は高く、深夜になっても、なお、義援金を送ろうとするたくさんの人がいました。また、テレビで義援金を募るだけでなく、学生やボランティアたちは、街頭に立ち、募金を呼びかけました。自分の貯金箱からお小遣いを募金してくれた子どもたちもいました。台湾赤十字組織には43万3,897口の義援金が集まり、それは、利息を含め25億7千数万台湾元、更に台湾の各界からも含め、総額約70億台湾元になりました。

 これと同時に、私たちは日本赤十字社との緊密な連携で、まず2千万USドルを緊急被災者救済として送金しました。更に日本赤十字社の大きな支援と協力の下、岩手、宮城、福島県など被害の深刻な沿岸地区や被災市町村に10度赴き、直接協議し、被災状況を把握したうえで、特別なニーズを必要としている方々、例えば高齢者や子どもたちの医療や福祉のニーズに充てました。また、岩手県大槌町の公営住宅、山田町の若木、大澤保育園、豊間根また山田北小学区児童センター、宮城県南三陸町の志津川病院及び保健福祉センター、気仙沼市の市民福祉会館、福島県相馬市及び新地町の公営高齢者住宅の建設に合意しました。私たちは、日本赤十字社と連携して、放射能全身測定機と関連車両を購入しました。これは台湾の支援者と日本国民の約束です。

当然、ハード面だけでは足りません。心のケアも同様に重要です。

 本年2月、2009年の台風8号(モーラコット台風)で家を失った台湾の先住民の子どもたちが、私たちと日本の被災地に赴き、澄んだ歌声で被災者の心を和ませました。子どもたちが「野バラ」を歌ったとき、会場にいたおじいさんやおばあさんは表情を変えず、ただ、きつく子どもたちを抱きしめました。74歳の田中絹子さんは、「子どもたちの声は、まるで自然界の音のようで、澄みきって調和がとれており、野バラの歌を聴いたとき、思わず若い頃のことを思い出しました。」と話されました。また、興奮したおばあさんは「この子たちは、自分の孫のようです。この大地震は、たくさんの人を苦しめましたが、子どもたちのため、また支援していただいた皆さんのために、これからも引き続き、一生懸命生きたいと思います。」と話されました。地区の生活保護委員、菊池多佳子さんは「このような抱擁はとてもいいことです。高齢者には直接的なぬくもりが必要です。」と話されました。

 本年7月、福島県を訪問した際、日本赤十字社の活動で、親が安心でき、子どもたちが安全に学習でき、遊べる場所を提供するため、特別に体育館内に「すまいるぱーく」を作られたのを見ました。子どもたちが、楽しく運動して遊ぶ様子、その笑顔を見たとき、私は「人道支援」の価値を確信しました。台湾、また、世界中からの愛、日本の各界の努力で、子どもたちの顔に燦然(さんぜん)と輝く笑顔を取り戻しました。

 このとき、多くの日本人の方が私に「ありがとう。」と言うと同時にこう尋ねました。「台湾は小さく、人口も少ないのにどうしてこんなにたくさんの義援金を支援してくださったのですか。」と。

 この真心の背景には、勿論、強固な経済基盤があります。台湾国民は、第二次世界大戦後、苦労をものともせず、努力し、勤勉し、節約してきました。その精神のおかげで、資源の乏しい地理的不利な環境を乗り越え、アジア四小龍の一つになりました。しかも経済的な外的要因のほか、台湾には目に見えない「魂のエネルギー」があり、それはとても強大で、私たちの最も貴重な無形財産です。

 それでは、台湾の魂のエネルギーはどこから来るのでしょうか。これは台湾の歴史、自然環境、儒家思想、宗教、信仰、戦後の外的支援及び日台の特殊な情感から紐解くことができます。

 台湾の先住民は数千年前、ここを安住の地とし、安らかに楽しく暮らしていました。400年前、中国大陸各地から移民が海峡を越え、台湾へやってきました。この期間、台湾はオランダ、スペイン、日本の統治時代を経て、台湾人の、意思が堅くて強く、勤勉で、寛容で、多彩な文化と風貌を形作りました。

 ここで私たちは言及しなければならないのですが、台湾は環太平洋地震地帯に位置し、台風が毎年やってきて、地震、台風、土石流、水害、すべての自然災害に頻繁に直面します。2005年世界銀行の研究によると、台湾は同時に3つ以上の自然災害にあう面積とその脅威に脅かされる人口が全体の73%で、世界第一位です。同時に2つ以上の自然災害にあう面積とその脅威に脅かされる人口は全体の99%です。

 台湾は発展過程において、深く儒家思想と各種宗教、信仰の影響を受けてきました。儒家は仁義道徳を重んじ、人はそれぞれ思いやりの心があり、仏教は慈悲喜捨を強調し、煩悩を捨て去り慈悲の心を持たなければなりません。道教の教えにも世界救済が説かれています。勿論、キリスト教の博愛精神もあります。私たちの事務所のそばには「龍山寺」があり、多くの信者や観光客が訪れます。
 台湾には次の言葉があります。「お香があれば、神のご加護がある」伝統的なお参りは、お香に火をつけて神に願いをささげます。
 今日、台湾の第三部門の各種非政府組織も台湾全土及び世界各地で慈善活動をしており、医療活動に従事する路竹会、子どもや家庭の世話をする台湾の子どもと家族の財団、医療、教育、慈善、人道的仕事に従事する慈済功徳会等、彼らの活動は各地に届いています。

 また、台湾の発展過程で、私たちも外からたくさんの愛と援助をいただきました。

1871年、カナダのマッケイ医師(Dr.George.Leslie.Mackay1844-1901)が台湾へ移住し、台湾のベニス、淡水を中心にキリスト教の布教、医療活動に努め、「偕医館」(現在のMackay Memorial病院)を設立しました。中仏戦争のときには傷ついた兵士を助けました。伝道師を育てるため、「理学堂大書院」(現在の台湾神学院)、また「淡水女学堂」(現在の淡江中学)を設立し、近代台湾女子学校教育の先駆けとなり、彼は実際の行動で世間の人々にキリストの博愛の精神を示しました。マッケイ医師は一生を台湾に捧げてくださいました。西欧歴史学者は彼をこう形容しました。「朽ち果てるなら、焼尽くしたい。(Rather burn out than rust out)」台湾の歴史上、他にも多数の西欧人が台湾に尽くしています。例えば、中部の蘭大衛医師(David Landsborough,1870-1957)、南部の甘為霖牧師(Dr.William Campbell MD,1841-1921)などがおり、彼らは、至る所で「愛に国境はない」ということを示してくださいました。その感化を受けて、台湾国民は、習慣として、我先に人のために尽くすということを教えられました。

 日本統治時代の50年の中では、ある部分では負の過去がありましたが、台湾の現代化建設には一定の貢献をしています。例えば、南北縦貫鉄道、基隆港、高雄港、烏山頭ダム、嘉南大■(土へんに川)などによって、台湾の交通や輸出が改善されました。その中でも、特に人々に賞賛されたのは、八田興一氏が建設した嘉南大■(土へんに川)と烏山頭ダムです。灌漑と排水を強化し、洪水、干ばつ、塩害などの問題を処理し、10万ヘクタールの土地を改良し、南台湾の肥沃な嘉南平原を作りました。

 台湾の年配の方は日本の教育を受け、日本へ留学した方もいて、台湾に対する思想、医学、美学、教育、文化等、とても大きな影響を受けました。私の父は日本で医学を学び、母は家政を学び、母の姉は薬学を学びました。

 1950年代、第二次世界大戦後の台湾の平均国民総生産は、145USドルでしたが、国民の奮闘、政府の計画、海外資金及び技術の導入で、今は2万USドルに達しました。2010年日台間の貿易額は700億USドルに近づき、50年来、日本が台湾に対しての直接投資金額が165億USドルを超え、アメリカに続き、私たちの経済成長は、国民の生活水準を改善し、私たちに貢献しました。台湾にはどこにでも日本の製品、レストラン、百貨店があり、たくさんの台湾人が日本へ留学し、観光し、年配の台湾人や若いハーリー族はすべて、日本に対して特別な感情を持っています。

 1999年、台湾中部大地震で深刻な被害を受け、2,455人の死者、11,305人の負傷者を出し、全国の経済損失は3,600億台湾元(約112.5億USドル)で、日本赤十字社は台湾赤十字社へ約9億台湾元を寄附しました。10年後、2009年台風8号による驚異的な雨量で、南台湾は深刻な被害を受け、洪水、山崩れ、土石流は道路、橋、民家、田畑を破壊し、699人の死者、1766戸の家屋が損壊し、被災者は51万668人にのぼりました。特に先住民がいる地域です。損失は1,998億台湾元に達しました。日本赤十字社も台湾赤十字社へ74万USドルの義援金を送り、南投県名間郷永久屋の再建に投入しました。日本赤十字社の援助に対して、私たちはずっと感激しています。

 「一滴の水の恩は、湧泉として返す」という言葉がありますが、台湾に災害があった際、多くの国々から支援と協力をいただき、その一つ一つへの感謝の気持ちが私たちの心に蓄積し、いつか能力と貢献する機会があるときは、私財をなげうって、皆様に恩返しをします。

 1959年の韓国の台風の被害から私達の活動は始まり、赤十字は台湾国民の真心と義援金を携えて、世界5大大陸の至る所、50近くの国と地域へ援助にまわりました。ここ10年来、2003年イラン地震、2004年末のスマトラ島沖地震、2008年ミャンマーのサイクロン、中国四川大地震、重要な国際人道支援活動にも参加しています。四川地震のとき、四川省、甘肅省、陜西省で学校を43校完成させ、43カ所の病院、1か所の障害者リハビリセンターをそれぞれ建設しました。
 2010年青海地震で、赤十字社はすぐに10万USドルを援助し、被災地へ救援車両と支援物資、医療援助を提供し、病院を建設しました。同年のハイチ地震では、政府と協力して、ハイチの首都ポルトープランスから車で4、5 時間の高原地区(Savane Diane)に馬総統が提案した200戸の住宅、学校、教職員宿舎、村役場、診療所等を含む「新希望村(New Hope Village)」を建設し、台湾の国際合作発展基金会(International Cooperation and Development Fund, ICDF)は付近の300ヘクタールの土地で農業技術を教え、市民の生計をたて、コミュニティ再建の概念から、新しい家をつくる協力をし、現在、給水計画改善をすすめています。ハイチ農業部部長Thomas Jacques氏は、ハイチの再建設で、台湾の新希望村はリーディングモデルの役割を果たしているとおっしゃっています。当然、私たちも東アフリカの深刻な干ばつ、難民の生活を懸念しています。私たちは118万USドルを支援し、国際赤十字社を通して、ケニア、ソマリア、エチオピア、ジプチの現地の赤十字社が、民衆の健康、栄養、給水、衛生の改善に協力しています。今年もイラン地震の救援物資を提供しました。

 災害の規模の大小に関わらず、台湾赤十字組織は専門性と熱意を持ち続け、最適なレベルまで支援ができるように願っています。これらの援助を通して、私たちも異なった国家、地区、文化、種族、生活習慣に直面し、尊重、寛容、すべてのものを大切にすること、を学びました。

 今年の初め、私たちが岩手県の若木保育園を訪問した際、園長の柏谷千代子氏が「今回の大地震で、台湾の愛は日本を救いました。将来、台湾が困難に直面したときには、この子どもたちは必ず援助の手を差し伸べるでしょう。」とおっしゃいました。

 台湾の国民の熱狂的な寄附の後、最も深く印象に残ったことは、日本の民間人有志が台湾の新聞に感謝広告を掲載し、こう書いたことです。「あなたの真心にとても感謝します。私たちは永遠に友達です。東日本大震災のとき、あなたがたの支援が私たちの心を温め、私たちはこの友情を永遠に忘れません」。

 よい行いは、国、種族、宗教、信仰、意識形態に関係なく、最も必要な人に提供できることを望みます。戦争、天災、人災は無くなることがありませんが、人道支援は生命で最も貴重な感情を呼び起こし、人間の輝きをみせ、人類の最低限の尊厳を守り、人道組織は愛と平和の架け橋となり、痛みをやわらげ、愛の種が援助を受けた人たちの心で育つでしょう。

 再建への路はまだまだ長く、とても辛いですが、「愛に国境はない」ので、私たちは被災された住民と一緒に立ち上がり、手を取り合い、一緒に努力します。これは台湾赤十字組織の誓いで、募金者への責任です。
 改めて、再度、台湾の赤十字を代表し、平和貢献賞を授与していただいた堺市に感謝を表明したいと思います。また、ここに、東日本大震災後、力を尽くしてくださいました日本各界の皆様、並びに世界各地からいただいた支援に敬意を表明したいと思います。
 貴国の復興が滞りなく進むように、被災された住民の日常生活が早期に回復することを心より願っております。皆様のご健康とご多幸、及び堺市の繁栄を願っております。
ご清聴いただき、誠にありがとうございました。

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