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堺市
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平成25年5月15日開催(建築都市局 若手職員対象)

更新日:2013年5月15日

 今回は、建築都市局の若手職員19人が参加して、「都市づくりを担う建築都市局の役割について考える」をテーマに開催しました。

市長メッセージ

1 高度経済成長以前の堺のまち(別添資料参照)

堺3つのDNA

 現在、私は各地域に入ってタウンミーティングをしていて、市民の方々と今後の堺のあり様や都構想について話をしてる。その中で一番最初に伝えるのは、次に挙げる「堺3つのDNA」のことである。
 一つ目は「挑戦の遺伝子」。中世に南蛮貿易をして世界各地に行ったという挑戦の遺伝子をすべての堺の人は持っている。
 二つ目は「ものづくりの遺伝子」。5世紀中ごろ、仁徳天皇陵を築いたという事は、大規模工事をする能力と技術があったということを表している。そして仁徳天皇陵の中にあった銅器や鉄器は、やはり我々の先祖が作ったものであることが明らかになっている。そういうふうなものづくりの技術がその当時から堺にはあったのである。
 三つ目は「自由の遺伝子」。千利休が豊臣秀吉の理不尽な要求に対して腹を掻っ切って自刃したというのは、自分の信念を曲げたくなかったからである。その自由の遺伝子を我々の先祖は持っていた。
 タウンミーティングでは、堺市民はこのことを誇りに思わなくてはならないと常に伝えている。
 この3つのDNAの話は、堺出身の作家、中谷彰宏さんが言ったことだが、彼と私が、それらのDNAを大事にしていくことが、我々堺人の務めであると認識を同じくした。ここに私が脚注をつけてるのは、堺に生まれた人だけがこの3つのDNAを持っているのではないということである。堺に住んだり、堺で働いたりすることによってもこのDNAが受け継がれるというふうに言っている。

堺の発展と地域の変遷

 堺は明治元年「堺県」だった。そして明治9年に奈良県を併合した。それは、河内と和泉と大和を合わせたもので、面積も人口もケタ違いに大きかった。
 明治22年に市町村制が施行され、堺市として生まれ変わった。その当時はこのあたり(堺東周辺3.67平方キロメートル)だけが堺市だった。その後、徐々に周りの町村と合併して市域を広げていった。
 私の住んでいる黒土町は、南河内郡金岡村だったが、昭和13年9月1日に堺と合併している。その時一緒に合併したのが五箇荘村と百舌鳥村だった。
 私は祖父に、当時の村の人々が堺と合併するかどうかということを、何年もかけて議論し、将来の金岡村のありかたを考えた時に堺と合併するほうがよいだろうという結論を出したという話を聞いた。金岡村は、もともと堺の穀倉地というか、お米を提供したり、野菜を提供したりして、堺と結び付きが非常に強かったのである。
 そういう風に、先人が合併するにあたって色々考えて、議論して、判断して、21町村が堺と合併してきて、最後は、美原町が平成17年2月1日に合併したのである。
 そのおかげで平成18年4月1日、我々は政令指定都市になったわけである。

大阪都構想について

 このように堺の歴史というものは、市民合意の歴史である。
 金岡村との合併、美原町との合併など、みなそれぞれ大いに悩んだ末、一緒になってきた。我々はこの想いを大事にしていかないといけない。「堺市・美原町合併新市建設計画」をはじめ、合併するにあたってした約束はしっかり守っていかないといけない。
 今議論にある大阪都構想というのは、25万人や30万人という人口で、人為的に分ける。また、税収で分けるといっている。今、大阪市で検討されているのは、できるだけ税収の差がないようにと、中央区と浪速区と西成区は一緒にするということだ。それはもともとの歴史からいうとおかしい。私は橋下大阪市長に、「堺も都構想に入りましょう?」と言われた時に、「入りません。」とはっきり言った。「堺は歴史的にも地理的にもみんな一つになって運営しているのに、何で今ごろ2つや3つに、しかも25万人や30万人の人口規模で分かれないといけないのか。政令指定都市であるというのは重たいことですよ。」と言ったのである。まちのありようというのはやっぱり、人々の営々たる営みがあって、絆があってこそ、そこに存在しうるのである。
 建築都市局の皆さん方には堺発展の歩みと地域の変遷について、よく理解してほしいと思っている。

昭和の堺

 ここに「堺市の昭和」という写真アルバムがある。堺市がどんなまちづくりしてきたか、技術職として堺のまちづくりに携わっている皆さん方にはしっかりみて、深く知ってほしい。
 特に昭和30年代、40年代のまちは、ものすごい活気があった。綾之町や、宿院には、映画館が何軒もあった。また、芝居小屋まであった。堺東も、ものすごい人が溢れていて、私はその堺東の面影を知っているから、今の堺東を残念に思う。また、歴史をたどっていくと、水族館や少女歌劇、大浜潮湯というのがあったこともわかる。
 とにかく、堺には人がたくさん集っていた。それはなぜか。うちの母親の実家が、鉄工所をやっていたのでよくわかるが、堺には、高知県や鹿児島県からの中学卒業者の方々がたくさん来ていたのだ。当時、地方では定時制高校も行けなかったので、堺に来て働きながら定時制高校に行っていた。
 堺は、若者にものづくりや商売について教育していたわけである。それが堺第二工業高校であったり、堺第二商業高校であった(*現市立堺高校の前身)。鹿児島や熊本や福岡の人は中学卒業後は、東京まで行かずに堺や大阪で、働き学んでいた。そういうふうに若年雇用力を吸収するようなところが大阪であり、堺であった。だから映画館などは、土日満員で、若い人達が娯楽を楽しんでいた。

2 多極分散型国土形成の時代

なぜ、堺に人が少なくなったのか

 これは国の政策である。三全総、四全総(*第3次及び第4次全国総合開発計画)の「国土の均衡ある発展」という名目のもとに、一定の均等所得を日本のどこに住んでいても得られるよう「工場等制限法」がつくられた。これによって、もう大阪市や堺市には工場をつくらせず、滋賀県や岡山県やそのあたりで工場をつくるという政策をとった。それによって大都市は活力がなくなっていった。
 しかし、東京への一局集中はどんどん加速され、大阪の企業もまた東京まで進出する状況になった。
 多極分散型国土形成は一定の成果は果たした。しかし、少子高齢化社会になっていく現代は、やはり大都市を中心とした投資を効率的にやることによって日本の国の力を維持していかなければならないと思う。

3 低成長時代、成熟社会を迎えて

子育てなら堺

 私は、「堺では中学3年生まで五百円玉2枚で医療費が無料。」と宣伝している。「市長は子どもが好きですね。」という人もいるが、子どもが好きというだけではない。生産年齢人口を吸収することによって税収をあげようという意味で、私たちは子育てがしやすいまちづくりを考えていかなければならない。

歴史文化による堺の魅力発信

 昨年秋、堺市は「実際に住んで良かった街」ランキングで関西圏ベスト6に入った。これはマンションを買った人が評価してくれた。今後はさらに、大阪市や和泉市や京都市など堺市以外の人に、行きたい、住みたいと思われるまちにしたいと思う。そういう意味において私は歴史文化のまち・世界遺産のまちとして、仁徳天皇陵をしっかりと売り出して、日本から世界から多くの人に来てもらって、堺の交流人口を増やしていきたい。

ものづくりのまち堺

 堺は企業が創業しやすいまちということを発信したい。それは企業からの税収を期待するものである。最近は、ものづくりの地産地消ということを語っている。堺の道路は堺の建設業の人につくってもらい、堺で建物を建てるときは堺の業者に建ててもらう、そういう風に経済を堺のなかで回していくことが大事なことだと思っている。

3(3つの挑戦)プラス1(安全・安心)のまちづくり

 子育て施策を重視して歴史文化やものづくりに特化したまちを売り出すとともに、平成23年の3・11東日本大震災を受けて、安全、安心なまちづくり、災害に強いまちづくりが重要であると思っている。
 格好いいものを作っても、耐震面で危ないものをつくってはいけない。また、体育館の吊天井なども、よく考えてみると危険である。
 さらに、過剰投資を戒めることも大切である。技術職の方々には、コストというものを十分加味しながらやってほしい。まずB/C(費用対効果)である。B/Cがいきてなかったらダメ。B/Cを意識しないまちづくりの絵をかいてはいけない。

堺市のめざすまち

 堺市は、世界都市・大阪市の真似はしない。大阪市は、中国や韓国、ヨーロッパの方がきてくれるまちであり、どんどん買い物もしてもらったらいいと思う。私たち堺市は、その何分の1かに来てもらって、「なかなかここは風情があるまちや。」と思ってもらいたい。
 知る人ぞ知るという、やはり一味違う良いまちと思ってもらい、住んでもらう。それは、住んでる人がそう思わなければいけない。住んでる人がそう思ってこそ、来る人もそう思ってくれるはずである。そういう風な「一味違う都市」「心が和む都市」「ほっとする都市」、そんな都市をめざさないといけないと思う。
 私はまちづくりの専門家ではないけど、常にそのあたりを意識しながら仕事に取り組んでいる。是非とも、みなさん方にもそういう意識を持って仕事をしていただきたい。

職員の主な意見

参加者
 市長は、多忙な公務の中、何をモットーにお仕事をされていますか。
市長
 自己実現である。自分は市長なので、こういう風なまちにしたいという思いを持っていて、それに向かってやっている。そして、やはり市長職というのは、365日仕事しないといけない。そして、市民と直接会って話すというが何より大事であると考えている。私にとって市長職は、自己実現の場と思っている。

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このページの作成担当

総務局 人事部 人材開発課
電話:072-228-7194 ファックス:072-228-8823
〒590-0078 堺市堺区南瓦町3番1号 堺市役所本館5階

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