このページの先頭ですサイトメニューここから
このページの本文へ移動
堺市
  • 音声読み上げ・文字拡大・ふりがな
  • サイトマップ
  • くらしの情報
  • 子育て・教育
  • 健康・福祉
  • 観光・歴史・文化
  • 産業・ビジネス
  • 市政情報


本文ここから

平成28年度 里親シンポジウムの報告

更新日:2017年12月15日

 里親支援機関・堺市里親会・堺市の共催で、堺市里親シンポジウムを実施しました。特別養子縁組をテーマにしたドラマ「朝が来る」のプロデューサーの方のご講演と、現役里親さんの体験発表を行いました。
 以下里親シンポジウムの報告を掲載しています。

開催日時等

 堺市里親シンポジウム「子どもの幸せを求めて~里親のことを知ってください~」  
  日時:平成28年12月10日(土曜日)、午後2時00分から午後4時00分
  場所:栂文化会館

プログラム 

第一部

 『特別養子縁組をテーマにしたドラマ「朝が来る」の舞台裏から』
 株式会社テレパック プロデューサー 井上李子先生

第二部

 里親からのメッセージ

第1部講演 『特別養子縁組をテーマにしたドラマ「朝が来る」の舞台裏から』の要約                                

『特別養子縁組をテーマにしたドラマ「朝が来る」の舞台裏から』

 今回この話を頂いたのは、「朝が来る」というドラマを制作した事がきっかけです。2016年4月から6月末まで毎週土曜日の夜11時半から1時間放映していました。 特別養子縁組で子どもを授かった育ての母親と、子どもを生んだけれども自分で育てられなくて、特別養子縁組に出した生みの親、2人の女性のお話でした。
 今回この講演のお話をもらったきっかけがこのドラマでして、最初、会社に「特別養子縁組の支援をやっている者です」という方から電話がかかってきました。ちょうどオンエアが終わった7月とか8月だったと思います。最初、苦情の電話かと思っていました。そしたら「ドラマを見ました」、「面白かったです。すごくいいドラマで、とても面白かったので、ぜひシンポジウムで話してくれませんか」と言われました。
 私はドラマをつくったけれど、私自身は結婚もしていませんし、子どもいませんし、正直に、出演者の方とか原作者の人とか脚本家の前でも話していたんですが、子どもをほしいと思ったことがないんです。生みたいと思ったこともないし、自分で育てられるとも思ってもいなかったので、このテーマをドラマ化したいと選んだのも私やもう1人のプロデューサーでしたが、実際に子どもを養子縁組で授かった方の前で話すのは非常にハードルが高いなと思い、お断りすることも考えました。しかし、せっかくの機会ですし、このドラマを制作するにあたって、自分自身も、「子どもは好きじゃないから」とか、「子どもをほしいと思ったことはない」といった気持ちが制作していく中で少しずつ変化が出てきたり、考えたことがありましたので、そういったことを皆様と共有できたらいいなと思い、参加させていただきました。
 ドラマを見たことがない方もおられると思いますので『よく分かる「朝が来る」』ということで映像を持ってまいりました。『朝が来る』というドラマは小説の原作があるドラマです。宣伝用につくった3分の映像を一度見てください。
〔映像 3分〕
 私の友達が辻村深月さんを大好きで、「面白いよ」と言われて読んだのがきっかけです。この原作を読み、「いつもの辻村さんとちょっと違うな」と感じたこと、今回は、「出産をめぐる女性の実情を描く」という切り口が面白いなと思って、それでドラマにしようということになりました。この作品では、特別養子縁組で子どもを授かった夫婦が、とても幸せに過ごしていたのに、「子どもを返してほしいんです」といきなり電話がかかってきたことが物語の始まりです。養子の朝斗君が今6歳で、このご夫婦は、6年前に一度、赤ん坊を受け渡されるときに生みの母親に会っていました。その生みの母親に久々に会ったら、全然違う金髪の女性になっていた。いったい純真無垢だった少女にこの6年間何があったんだろうというのが描かれているサスペンスです。
 なぜこの作品をドラマ化したいと思ったかというと、特別養子縁組を描きたかったというよりは、「この作品、面白いな」との思いから、育ての母と生みの母の人生というのを描きたいなとの思いがあり、そこに特別養子縁組という問題があったというのが理由で、それがきっかけで特別養子縁組のことも調べるようになりましたし、結果、特別養子縁組について描かれたドラマとして、今回こういう機会を設けていただいたということになります。
 でも、興味がないわけではなく、私と一緒に製作したプロデューサーたちもみんな30代後半くらいの人が多く、子どもがいません。子どもがいない3人のプロデューサーと、子どもがいない50歳くらいの脚本家で、このドラマの本をつくっていたというのが裏話なんですけれども。子どもがほしい気持ちとか、そのために一生懸命になる人々の気持ちというのは本当に100%わかるかというと、たぶんわからないと思うんです。ですが、その気持ちに寄り添うことはできるなと思いました。それぞれの人生があるといいますか、そういったものを知ることで、また新しい物語がそこにあるんだなと感じ、ドラマにしていけたらいいなというのが、つくろうと思ったきっかけでした。
 このドラマには生みの母親の葛藤がすごく大きく描かれています。生みの母親というのは14歳で子どもを生んだ、片倉ひかり。今、20歳になっているんですが、6年前なので14歳の時に子どもを生んで、本当は自分で育てたかったけれども、育てられる環境ではもちろんなく、母親からも反対され、「もうなかったことにしろ」と言われて、気づいたときには、おろせる時期を過ぎていたので、どうしても生まなければいけなかったという状況でした。自分で育てるという結論を親は出させてくれなかった。彼女としては本当は育てたかったけど泣く泣く養子に出すという彼女の葛藤がすごくあるドラマでした。
 逆に、育ての母親の佐都子さんというのが、安田成美さんが演じてくださったんですが、この人は完璧な母親で、非の打ちどころがない。迷いがないので、葛藤があまりなくて、いろんな養子縁組の団体の考え方があると思うんですが、真実告知をしなければならないという問題に対しても、きちんと真実告知を子どもが2、3歳のときには行っていて、周りの人にも「私の子どもは養子です」というのを告げていて、そこに何か迷いがあるかというと、特に迷いはないという、神様みたいな女性だなと思いました。育ての母のドラマというより、生みの母のドラマなんじゃないかなというのが私としての入り口でした。
 でも、実際にドラマをつくっていく中で、物語を膨らませる必要があり、この佐都子という育ての母が何を考えているかというところも足していくということで、佐都子という人物も葛藤のある、少し魅力的に映る母親につくり上げていったという経緯があります。
 ドラマをつくる中で私が一番考えたのは、いろんな人が世の中にはいる。いろんな母親というのがあっていいんじゃないかという部分でした。
 私が子どもを生みたくないなとか思ったのは、私が子どもを育てたら子どもが不幸になるかもしれないと思ったからです。自分のことしか考えていない私なんですが、でも、「そんな母親ももしかしたらいてもいいのかもしれないな」って製作しながら思い、「いろんなお母さんがいていいな」というのが製作していく中で考えたことだったりしました。
 次は、佐都子の「4分間で分かる佐都子」という映像をつくってきたので、ご覧ください。

〔映像 4分〕

 揺るがない女性ですよね。今のVTRの中でありましたが、朝斗は、生みの母親のことを、「広島のおかあちゃん」という形で、今のお母さんとは違う広島のおかあちゃんがいるんだということを素直に受け入れている男の子です。
 朝斗がそんなにすんなり受け入れられたのは、両親が、生んでくれた人に感謝する気持ちをきちっと伝えたからなんだと思います。正直、養子をもらうということに対して少なからず先入観というのがあると思います。例えば、昼ドラ的にいうと、養子というのが分かるというシーンで子どもがぐれるとか、家を飛び出るみたいなイメージです。そこまではないかもしれませんが、やはり養子であるということを自分の子どもに伝えるとなると、考えて、考えた末に伝える。なかなか言えないと思います。真実告知をしないといけないからといって、周りの人に言えるというのは結構強いことだと思うし、それができるというのはすごいことだと思うんです。そこにはとても葛藤があると思うんです。製作スタッフ間では、6歳の頃に真実告知をするという方向で話もでていました。
 しかし、原作者の「この物語は、子どものころから、小さいときから、物心ついたときから真実告知をしているというところから始まらないと全く意味がないし、成り立たないんです」という思いから原作の通りに製作しました。先ほどの映像でもありましたが、親友の理沙さんという友達と初めて会ったときに「養子です」と伝えるシーン、あれは佐都子にとってもやはり迷いがあったところだと思います。今回の監督からも「このドラマの新しいところは、理沙さんと会ったときに『養子なんです』って正々堂々と言えること。今までに見たことがない形だから、やっぱりそこを変えちゃ駄目なんだよね」といった言葉もありました。
 次に、ひかり、生みの母親の人生もちょっと見てみたいなと思います。

〔映像 4分〕

 ひかりは生みの母親なんですが、生むことや育てることを許されなかったというのがひかりですね。
 20歳のひかりを演じてくれた川島海荷ちゃんも、この役を演じるにあたって本当に金髪にしてくれて、自分で子どもを育てることができなかった、その後の人生をすごく体現してくれたなと思います。このひかりというのは、母に愛してもらえなかったというのがすごく根底にあって、母親に愛してもらえなかった、ずっと愛してもらいたかったという思いがずっとぬぐえないまま成長してきて、子どもを生んで、子どもを養子に出すことで、さらにその思いが強くなっていくという、ちょっと不幸な女の子です。、子ども(朝斗)を手放したことで、その先の自分の人生も見失ってしまった。あの子さえいれば違った人生が歩めたのに育てられなかったというのが、彼女の人生を変えてしまった要因になっています。
 このひかりを生んだ母が咲子といいます。彼女は、本当は子どものことを愛したかった母親なんですよね。ですけれども、何かボタンの掛け違いで、子どもを愛することができなくなってしまった。虐待をする母親っていうのは、本当は愛したいけれど愛せないというジレンマからついつい殴ってしまうというのをカウンセラーの先生から聞いたことがありますが、まさにこの人は、本当は愛したかったけれども、何かちょっとうまくいかなくて、ひかりに対してはものすごくひどいことを言い続けていて、子どもに絶対言ってはいけないだろうということも言ってしまう母親です。
 咲子語録をつくってきました。「やればできる子なんだから」「なかったことにするの、妊娠を」と。「やればできる子なんだから」はたぶん言ってはいけないんじゃないかと思います。けれども、それをずっと言われて育ってきたので、こんな母親のところにいたくないという思いから、大好きな男の子をつくって、妊娠して、そして、ひかりの人生が変わっていった。また、咲子は、「あなたの将来のために。あなたのことを考えている。あなたの将来のことを考えている。今これをすることはあなたの将来のために一番いい」という押し付けがましいこともいっぱい言いますね。「私はもう、あなたを娘とは思わない」、さらには「ひかりが生んだ子どもなんていないも同然だ」と、ひかりにひどいことばかりを言っている母親でした。
 咲子がこれは言ってはいけないだろうという極めつけのせりふが入っている渾身のVTRがあるので、見てください。

〔映像 3分〕……「あんたなんて生むんじゃなかった」。

 この一言がきっかけで、ひかりは最後は身投げをしようとします。母親というのはひかりにとってとても大きな存在で、自分の母親だから愛したいけれど、本当はひかりは母親のことをすごく好きなはずなんだけど、常に言われたくないことを言われてしまう。だから、さらに負の連鎖に陥るという咲子という女性がいました。
 咲子みたいな母親もいるんだということを象徴として描きたかった。そして、この母親に育てられたことでひかりが変わってしまったということを描きたかった。咲子は重要なキャラクターの一人です。
 
 最後に、後藤香澄という家族に対して否定的だった女の子がいます。佐都子の夫の清和の部下です。男女関係に対しては破綻していて、妻子のある人と不倫をしているという、「ザ・昼ドラ」みたいな女の子です。彼女もドラマのオリジナルのキャラクターとして作りました。私は、たぶん一番、香澄の気持ちが分かるなと製作中に思っていました。
 「香澄という母」と書いたのは、香澄は不倫相手の子どもを妊娠してしまいます。自分が母になることなんて考えられないから堕ろそうとずっと思っていますが、この物語の8話を通じて、最後に生むという決意をするという物語を描きました。
 この香澄というのも母に愛されなかったというところが、家族への不信感とか、母にはならないという決断に至ったというところがあります。母になることを迷うというのも、自分の母のことがあるから迷いがある、というところを描いています。
 香澄の映像も見てみたいと思います。

〔映像 4分〕

 香澄は、壮絶な体験をしたことで家族を毛嫌いしているようで、家族に一番執着しているという象徴が、香澄というキャラクターだったんじゃないかなと思います。だからこそ、不倫をしてしまったり、「子どもを生みたくない」と言ってみたりするのですが、最終的に、栗原家、佐都子と清和という夫婦と、その2人に育てられている朝斗君という養子と接することによって、彼女の中にも「私も母親になってみようかな」という変化が表れます。
 このドラマを改めて見たときに、私たちはいろんな母親をつくってきたなと思いますが、いろんな母親が存在してもいいんじゃないかというのが、ドラマをつくる中で一番言いたかったことだと思います。
 いろんな母親がいて、いろんな家族がいる。決まりきったもの、“母はこうでなくてはいけない”とか、“家族はこうでなくてはいけないんだ”というのがあるわけじゃない、ということをこのドラマの中で誰かに感じてもらえたらいいなと思っていました。自分自身にもそういうふうに問い掛けたりしました。
 最後に、辻村先生と話をして、原作にないオリジナルのストーリーでつくった部分があります。ベビーバトンという特別養子縁組団体に子どもをあっせんしてもらうんですが、里親になるために、里親とは、特別養子縁組とはということを伝える説明会のシーンをドラマで作りました。佐都子と清和が説明会で話すというシーンです。その説明会のシーンというのが、私たち制作者サイドとしてはすごく難しいシーンでしたたが、結果、このドラマで言いたかったこととか、私たちが考えている養子縁組ってこういうことですという事だと思います。スタッフの誰も養子縁組をして子どもを授かったことがないので、当事者の人からしたら「いや、違うよ」ということもあるかもしれませんが、攻撃するわけでも傷つけたいわけでもなく、私たちが考えた結果こういうことが養子縁組じゃないかなと思ったということを描いたシーンなので、ちょっと見ていただければと思います。

〔映像 9分〕

 ちょっと神妙な顔付きで子どもを生むかどうか悩んでいた香澄が説明会に参加しており、このあと、香澄は、これで子どもを生むという決断をすると思いきや、二人の夫婦に「全然響きませんでした」って言いに行くというオチがあるんです(笑)。しかし、そのあとにまた気持ちが変わり、ちょっと響いているからこそ、そう言ってしまうという香澄ですが。
 それはさておき、「子どもが幸せになるということが、家族、親も幸せになることだ」ということなんじゃないかと思います。今回のこのシンポジウムのテーマが「子どもの幸せを求めて」というふうに聞いたときに、今回のドラマと共通のテーマでもあるなと思いました。子どもが幸せになるということは、イコール、育てる親も生んだ親も幸せになれるということ。そういうことなんじゃないかなと思いながら、このドラマをつくりました。それが一番分かるシーンかなと思いました。 「血のつながりは関係ないんじゃないか」と私みたいな人間がいうと、他人ごとのように感じてしまうかもしれませんが、先ほど養子縁組里親さんとお話を少ししたときに、「血のつながりは関係ないよね」というふうにおっしゃっていて、本当にそういうふうに思います。誰かからいただいた子どもであっても、自分の子どもであっても、一緒に暮らしたり、一緒に向き合える関係がつくれるということが家族だと思うし、血のつながりにとらわれることはないのかなと考えました。特別養子縁組というものを描いたドラマをつくっていろんなことを考えたんですが、そこが一番大きいかなと思っています。

第二部 里親からのメッセージの要約

 堺市養子縁組里親 Aさん

 里親の認定を受けたのは4年前になりますが、実際に娘と初めて会ったのが2年前です。初めて会ったときの印象は「ちっちゃい」です。とにかく小さい子で、声も小さくて、「このまま大丈夫かな、育つのかな」というのと、「このままうちの子になってくれるのかな」という不安でいっぱいでした。
 養子縁組までの流れは、乳児院でまず半日娘と一緒の部屋で過ごしました。娘にとったら赤の他人の私たちで、それまで2年間乳児院で育ててもらっているので、そこからどうやって親子になっていくか。半日の後は、1日一緒に過ごし、1泊2日、2泊3日を続けていきました。家に連れて帰るときには、ずっと行き帰り泣いていました。そのときの娘の口癖が、乳児院のことを「あっち、あっち」と言い、「アンパンマン、嫌」と言っていました。とにかくずっと泣き叫んでいる子どもを連れて帰るという状況で、夫と二人で「誘拐しているみたいやな。外で、この声聞こえたら、何て思われるんやろうな」って言いながら家に連れて帰ってきたのを覚えています。
 初めて1泊2日で家に連れて帰ったら、「お外に散歩に行く」って言い出し、散歩に連れて行くと「あっち」「こっち」と進んでいくので、ずっと曲がり角を好きなほうに曲がらせていったら、乳児院を探している事がわかりました。ここを曲がったら、自分が育ってきた乳児院に帰れるかもしれないという事でずっと探していました。それに付き合いながら、「ああ、探しているな」と思っていました。それを乳児院の先生に言ったら「それはそうですよ2年間ずっと乳児院で育っているんですから」と話してくださり、「ああ、それもそうだな」と思いました。
 そこから特別養子縁組も成立、今4歳になっています。 一緒にいるときには、怒ったり笑ったりしながら一緒に育てているので、実際、血のつながりというのはあまり私自身は気にしていません。子どもが2歳になって私と出会っていますので、当然、乳児院のことも覚えています。乳児院へは遊びに連れて行ったり、里親会とかで同じ特別養子縁組の里親さん、もしくは養育で子どもを委託されている里親さんの子どもたちと一緒に遊ぶような機会があります。
 そういう機会を絶対になくしたくないと思っているのは、これから大きくなったときに自分の出生で悩むときがきたらどうしようと思い、当然、それは親に聞けないかもしれないですが、同じ立場の子どもたちだと、話し合いができるんじゃないか、相談ができるんじゃないかと思っています。ですので、私は、里親会などの会への参加はずっと続けていきたいと思っています。
 今はまだ4歳なので、真実告知という形ではまだ言葉として伝えてはいないですが、子ども自身が聞いてきたときにはきちんと答えてあげたいと思っています。実際に生んでくれた方がいないと、うちに娘は来なかったわけですから、生んでくれた方にはもちろん感謝しています。
 私の家族がなぜ特別養子縁組を考えたのかというと、私は子どもができなくて、不妊治療を5年、6年続けていました。はっきり言って疲れました。もうやりたくないという感じです。それでやめてしまいました。
 その後、私の実の母が、「実の母」とはいうんですが、血はつながっていません。私自身も養子です。「養子を迎えたらどう?」と提案してくれました。私自身もどこか頭の片隅では考えていました。私自身が、私が養子であるということを聞いたのは18歳くらいのときです。それまで一切知りませんでした。私自身が新生児の時に養子に来ているので、全然記憶もありませんから。私が18歳で聞いたときは、びっくりしたので泣いただけで、その後は、もう一回実の親に会いたいとかそういうことは一切思いませんでした。スッとそのまま流してましたので、「ああ、そんなものか」「そうなんか」と思っただけでそれで納得しました。なので、私も血縁がないということをそんなに重く考えていません。将来的に、もしかしたら、私とは違う性格の子どもですから、どうなるか分からないですが、それはそのときに考えたらいいことかなと思っています。
 ですので、私たち4人家族ですけれども、全員血縁がございません。私と私の母親も血縁がありませんし、当然、夫とも血縁がありませんし、娘とも血はつながっていません。でも、家族として私自身は成り立っていると思います。楽しく過ごせていると思います。
 特別養子縁組を考えるというときに、私は、不妊治療をあんなに長くしなければよかったと思いました。しんどいですし、お金も掛かります。特別養子縁組で子どもを育てるにも、年をとればとるほど体力がなくなるんです。ですので、子どもに付いていくのにすごく大変だなと思ったので、「ああ、もう少し早く決断しておけば、いっぱい遊べていたかな」と思ってはいたんですが、もう少し早かったら娘と会えていなかったので、それはそれで良かったのかなと思っています。
 ご近所さんは、私たちが養子縁組をしたことをみんな知っています。今まで子どもがいなかった家に急に2歳の子が1人増えるんですから、普通にご近所付き合いしていれば、周りは知らないわけがないですよね。ですので、「養子でもらいました」というお話は皆さんにしています。
 幼稚園のほうは、入園したあと、親しいお母さんには話しています。親しいお友達にも話していますが、「えっ」って言われることも多いです。私と娘が似ているので、「えっ、うそ?」って言われることのほうが多いです。
 娘が外泊を始めた当初は、ほとんど夜寝ていないような状態で、毎日ヘロヘロになっていましたけれども、私の母と同居だったので、母に助けてもらいました。それが2、3カ月くらい続いたでしょうか。「試し行動」と世に言われるものなのかどうなのかは分からないですが、少しずつ夜寝てくれるようになりました。朝起きて夜寝るという、やっと人間らしい生活ができるようになった時には、夜は眠くならない状態だったので、朝起きて、朝ご飯を一緒に食べて、母に「頼む」と言って、私は布団に入って昼過ぎくらいまで寝るという感じでした。そうしないと体がもちませんでした。
 ですので、もし、これから特別養子縁組である程度大きい子どもを迎える方は、できれば周りに助けがある方がいいと思います。そういう方を確保してお迎えになるほうが、自分がちょっとラクができるかと思います。自分がラクできるということは、子どもに対して余裕があるということなので、子どもに対して優しくしやすいということです。はっきり言って、憎たらしいときもあるし、かわいいときもあるので、憎たらしいときにガッと言ってしまったりしそうになる心を抑え付けないといけないので、助けてくれる人とかが要ると思います。普通の子育てでもたぶん一緒だと思います。一般的に自分で生んで育てている方でもすごく大変なので、それも同じだと思いますが、これから迎える方は、できるだけいろんな方に助けてもらってやっていただけたらいいんじゃないかと思います。

 堺市養育里親 Bさん

 現在、2歳10カ月になる元気な女の子を預からせていただいております。家庭での一コマをちょっと紹介させていただきます。
 ごく最近のことですが、♪~夕焼け小焼けで日が暮れて 山のお寺の鐘がなる お手てつないでみな帰ろう カラスと一緒に帰りましょ~♪ 「これでひまわり組のカラスのパン屋さんを終わります」という、こども園で習っていて来週発表会があるんですけれども、それを家でやってくれます。
 また、ある一コマですが、おもちゃを部屋の中で散らかしていて、私の妻が「いいかげんに片付けや」って言うと、ちょっと体をはすに構えて「ああ、こわ」って最近言うんですね。
 また、あるとき、いすの上に登って高い所の物を取ろうとするんです。そのときに、妻が「危ないから降りなさい」と言いますと「心配ご無用!」(笑)。2歳10カ月になりますと、もうそういうことを言うようになるんですね。
 また、見るもの聞くものすべて自分がしたいという、ものすごく要求をするんです。「○○ちゃんがする、○○ちゃんがする」。将来、世話好きで何でも気のつく大阪のおばちゃんになるだろうなと思うような、活発な子どもです。
 実は、私が里親になるきっかけとなりましたのは、5年ほど前に、知人から「大阪市の子どもを預かる一時保護所が今満床だ。もういっぱいなんだ。一時保護をしてもらえないか」と言われたことです。「私なんかでもいいんですか」ということで妻と相談もしました。実際に何らかの理由で親と一緒に住めない、暮らせない子どもがたくさんいるんだということを訴えられまして、「自分らにできることなら、させてもらったらいいじゃないか」ということで、家族とも相談して手を挙げさせていただきました。
 それで面接を受けて登録させていただき、約半年後に小学生の男の子を預からせていただくことができたんです。大阪市の関係ですが、一時保護ですので3カ月であるとか、短い子どもだと1週間とかいう子どももおりました。これまで6人ほど預からせていただくことができました。
 また、大阪市の児童相談所職員の方がお話されていた『大阪市の社会的養護の現状と課題』という講演会に行かせていただく機会がありました。当時の相談所職員の方からお話を生で聞かせていただいて、その後、キーアセットの職員を紹介されました。私は、キーアセットという名前も初めて聞きますし、何のことか分からなかったんですけれども、私が堺市在住との事でお話しさせていただきました。
 実は堺市内にもいろんな事情で親と一緒に生活できない人がたくさんいるという事を知り、早速、私、友人を含め4組の家族、お話を聞きに来ていただいたのは6人か7人だったと思います。キーアセットの中村さんに来ていただき、里親についてや研修について話を聞かせていただき、実際に3組のお父さんお母さんと研修を受けさせていただきました。
 そして、8月に登録をさせていただくことができ、その日に、堺市子ども相談所から「3人の子どもを一時で預かっていただけませんか」と話しがありました。「おいおい、今、登録したところやで」「早速ですが」ということで早速一時保護を受けさせていただきました。
 そのとき、まだ大阪市の子どもを1人預かっていましたので、そのときは4人一度に預かったんです。夏場でしたし、どこで寝ても風邪を引くこともないし、楽しくさせていただきました。
 そして、9月に、今預かっている○○ちゃんを7カ月で緊急に保護するということで預からせていただきまして、11月から本格的に里子としてお預かりすることになりました。
 私、大阪市のお子さんを一時的に預かることをさせていただいたんですが、本格的な里親の研修を受けさせていただくことで、今まで知らないことがいっぱいありました。乳児院というのも聞いたことがある程度でした。今までは小学校の中学年くらいまで養育の希望を伝えていましたが。今回小さい子は初めてだったんですが、7カ月から預からせていただいて、今2年ちょっとですので、本当にすくすくと育っています。 今預かっている子どもが初めて私どものところに来たときに、子どもの生年月日を見たら私が初めてキーアセットの中村さんから説明を受けた日と同じでした。この子が生まれた日が、私たちが数名の家族と一緒に里親の研修をスタートした日だったんです。本当はそんな深い思いでさせてもらったこともないですし、最初はそんな覚悟があってさせてもらったわけではなかったんですけれども、初めてこの子を預かったときに、私たちが里親のスタートを切った日に生まれた子どもだと思えば、何かものすごく縁を感じるんですね。この子はまだ7カ月でしゃべることもできませんけれども、生年月日を見たときに、この子からのメッセージがあるんじゃないかと思わせていただきました。
 ○○ちゃんは、月に1、2度実のお父さんお母さんと交流をしています。私が決めたんですが、うちでは「お父さん、お母さん」、実のお父さん、お母さんのことは「パパ、ママ」というふうに使い分けています。
 実は私、長男と同居しておりまして、長男の2歳2カ月になる子どもと、9月に生まれた、まだ2カ月の女の子と同居しています。孫が「おじいちゃん」って言うんです(笑)。孫とは双子みたいに大きく育っています。○○ちゃんがお父さん、お母さんのところへ何とか帰れるように、いろんな方のご支援もあって進めさせていただいています。
 私、自分の子どもは5人いるんです。もうみんな大きくなり、家族が一緒になるということがだんだんとなくなってきました。子どもを預かるようになりまして、子どもを通しての会話がまた増えました。この子どもを通して本当に元気をもらっているなと感じています。子どもを育てさせていただくことを通して自分たちの幸せも叶えてくださっているんだなと思っています。
 私が里親をさせていただくことになって、自治会の方に「こんなこと(里親)をさせてもらっているんですよ」と言うと、「えっ、里親って、犬や猫を預かるのとちがうの?」って。実際そんなことを言う方もおられます。年配の方は「あんたとこ、ようけ子どもおるのに、また養子もらうんか」とか、まじめな顔で言う方もおられます。そういう認識はまだまだ世の中ないんだなと。私もそうでしたから。
だから、少しでもそういう子どもさんたちの育ちの上で自分が役に立てることは何かなと思ったときに、一歩踏み出させていただくことができたのは、知ったからだと思うんですね。何もかも分かってやっているわけでは全然ないんですけれども、させてもらうことで、「本当に尊いことをさせていただいているんだな」と後から思わせていただいています。また、まだまだ知らないことばかりですけれども、自分たちの生きる励みにさせていただきたいと思っております。ありがとうございました。

このページの作成担当

子ども青少年局 子ども青少年育成部 子ども家庭課
電話:072-228-7331 ファックス:072-228-8341
〒590-0078 堺市堺区南瓦町3番1号 堺市役所高層館8階

このページの作成担当にメールを送る

本文ここまで



以下フッターです。
Copyright © Sakai City. All Rights Reserved.
フッターここまでこのページの上へ戻る