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堺市
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平成27年度 里親シンポジウムの報告

更新日:2016年12月12日

 里親支援機関・堺市里親会・堺市の共催で、堺市里親シンポジウムを実施しました。里親さん宅での生活経験がある方の体験発表と、現役里親さんの体験発表を行いました。
 以下里親シンポジウムの報告を掲載しています。

開催日時等

 堺市里親シンポジウム「子どもの幸せを求めて~里親のことを知ってください~」  
  日時:平成27年12月12日(土曜日)、午後2時00分から午後4時00分
  場所:サンスクエア堺2階 第1会議室

プログラム 

第一部

 「自らの体験から語る社会的養護」
 東北福祉大学 特任教授 草間 吉夫 氏

第二部

 里親からのメッセージ

第1部講演 「自らの体験から語る社会的養護」の要約                                

『私の歩んできた道~里親家庭で育ってよかった~』

 このシンポジウムに参加されている皆さんは、里親や施設の子どもたちの福祉を守りたい、あるいはその子どももたちと家族をつくっていきたいという人たちの集まりだと思います。ぜひ、子どもたちのより良い福祉のために、サポートあるいは何らかのアクションをしていただけたら有り難いと思っています。プロフィールは資料に書いてあるとおりです。
自分が結婚しないでできた子どもであることを知ったのはずいぶん後になってからのことです。そんな私も1994年に結婚し、先々週、22年目を迎えました。
 自分の戸籍を見たことがなかったので、このことを知ったのはずっと後のことなのですが、生後3日目で乳児院に入り、乳児院から児童養護施設に来ました。婚姻届を出すときに戸籍の父親の欄を見ましたら、空欄でした。
 戸籍係に聞いたところ、「これは私生児ということです」と。20数年前ですから、「私生児」という言葉を使ってもそんなに問題はなかったんでしょう。今でしたら、「非嫡出子」とか「婚外子」ということです。とても驚いて、やはり動揺したわけです。
 施設にいるときに、自分に親がいないのは、母は入院しているからだということは聞いていました。「父親って?」「いや、今は会いにこられないのだ」と、そういう施設職員の返答だったので、「ああ、離婚したんだ」って分かってはいました。施設職員からすれば言えなかったのです。しかし、子どもが出自を知りたいというのは、人としての根源的な要求です。これは里親にとっても同じだと思います。
 ただ、養子を迎える、養子縁組をする、つまり自分の子どもになっていった場合には、これはまた別かもしれません。でも、現実問題としては、難しさがあります。私の知人の例でもそうですが、周りから言われてしまうと、本人は傷つくわけです。「なんでお母さんは言ってくれなかったの?」となるわけです。
 だから、真実告知というのはとてもデリケートで難しいのです。告知のタイミングを計り迷う親にとっても。それを受け入れる子どもにとっても、ものすごいエネルギーがいる。だから、養子縁組を迎える里親さんに対しては、軽々に「大事だ」となかなか言えないのです。施設には、虐待で入ってきている子どもが6割ですから、親がいるわけです。そういう場合にはきちっと伝えていく。自分の生い立ちを信頼する職員の方やケースワーカーと一緒に作業していくというイギリスからもたらされたライフストーリーワークが、日本の現場で少しずつ取り入れられています。そういったものを通して真実、事実を伝える。真実告知はとても大事です。
 養育里親の場合や養子縁組を前提とした場合には、家族になっていくわけですから、施設とは違う難しさがあります。しかし、4・5歳の幼い子どもにどういうふうに伝えるかという教材があります。子どもたちがそれを聞いたときに少しの動揺はあると思いますが、信頼関係ができていれば越えられると思います。なぜかというと、家族になるからです。    
 子どもがいて私自身が感じるのは、最初から家族にはなってないのです。血がつながっている、つながっていないは関係なく、家族はつくっていくものだと思います。
 藤原智美さんという芥川賞作家の方が、「家をつくる」といった本で「家族はつくり上げる」ということを書いています。私は、自分が子どもを育てることを通して、それを実感しています。血のつながりに関係なく、プロセスはみんな同じです。幼い子どもを迎えたら、おしめを取り換えて、授乳させたりミルクをあげたりし、子どもと一緒に成長していく。そして、子どもの成長を通しながら、親の気持ちを育んでいく。親育ちを私は長女から教わりました。だから、結論からいうと、結婚してとてもよかったと思っています。
 しかし、私にとって、結婚もなかなか怖いものでした。また自分も施設に入れてしまうのではないかなと。統計をとっていないので軽々しく言えませんが、里親家庭で育った人と、施設で育った人では、里親家庭で育った人のほうがその恐怖心は少ないかもしれません。
 全国の施設入所期間の平均は、約4年です。私は2歳から19歳になる直前に施設を出るまで17年間の間施設にいましたのでいろんな子どもたちの家庭を見てきました。私が将来結婚しようとなったときに、自分も子どもを施設に入れてしまうのではないかという恐怖を持っていました。施設で育っただいたいの人は持っていると思います。
 施設職員をやっているときに、子どもたちの部屋の隣に住み込んでいました。入り口は別ですので完全に独立しています。今まで暗い所に入っていても何ともなかったのが、この暗さ、真っ暗な所に一人で帰っていくときにさみしさを覚えたんです。さみしさを覚えたことは学生時代もありましたが、それとは違う、つまり家庭を欲しているような、気持ちでした。たぶん結婚したいとかそういうのがあったのかもしれません。それでたまたま縁があって、現在の妻と結婚し21年目を迎えます。
 生まれてすぐに措置されているということで、たぶん私は18年と9カ月、行政の保護下にあったわけです。こういうときにしか思い出さないんですが、今ならば、里親委託だったと思います。今は国が大きく舵を取って里親さんへの委託の割合が増えてきましたよね。 皆さんの資料では、両面刷りの「都道府県推進計画」というのがありますね。これは2029年、今から14年後の状態を示しています。里親さんとファミリーホームが3分の1、グループホーム、小規模ケアが3分の1、従来型の児童養護施設の形が3分の1という記載があると思います。今、施設の中でも努力されていて、家庭的養育を推進しており、ユニット型などの小規模ケアを行っています。ただ、国の支援がちょっと足りないのです。家庭に形を近づけても職員の数を増やしてもらえないと、職員に過重な負担がきてしまう。過重な負担がきてしまうと、職員の定着率が悪くなってしまう。
 児童養護施設が堺市内には4施設あるそうですが、その6割が被虐待児童です。2割が何らかの障害を持った子どもです。残り2割が、親が精神疾患であったり、あるいは服役中であったり、行方不明であったりとかという理由です。非常に難しいお子さんが今、施設で生活をしているのです。
 私は、家庭復帰が見込めなかったわけです。母は精神疾患で、25歳で私を出産してすぐに入院をして、今から24年前に亡くなりました。ずっと病院暮らしでした。父親はいないということですから。家庭復帰が見込めない子どもにとって一番大事なのは、キーワードでいうと「一貫性」です。同じ人が同じ部屋で、そして同じ方針のもとで関わっていく。一貫性です。
 施設に行くと、交替制勤務の場合には、朝の職員と昼の職員が替わるケースがあります。里親さんの場合には、朝見る顔と夜見る顔同じです。こういう違いがあるのです。
 それから、勉強を見る時間も、月曜日の先生と水曜日の先生、学習時間、勤務のシフト等職員が替わると方針が変わります。養育目標とか基本方針は施設で作っていますが、職員の考えで少し変わるところもあります。そこで担保されていないのは「一貫性」というものです。だから、私みたいに長く家庭復帰が見込めない場合やほぼ見込めない場合は、里親家庭で育つことが一番いいと思います。私は、里親家庭で育ってもっと安定した環境の中で育つことができたら大学もハーバードに行っているのではないかなと・・・。(笑)

 私の里親さんとの出会いについて話します。私は、家庭の生活体験がありません。そのため、大きくなって家庭を持つというときに、家庭のイメージがない。父親像、母親像は施設の指導員の先生とか園長先生を通じて得られるけれど、家庭のぬくもりみたいなものは、施設では物理的になかなか難しいです。今は私がいたときよりもユニット化や小規模になっていて、キッチンも付いていたりと、家庭型になっていますが、当時はそのようなことはありませんでした。
 私が小学4年生の時、当初6年生の子が行く予定であった週末里親家庭に一人の子が大けがをしてしまったため、「おまえ、あさって、里親に行くから準備しなさい」と言われて、行くことになりました。向かった先が当たりでした。当たり外れってあるわけです。子どもはそう思っていると思います。
 現職の2期目の市長さんの家でした。施設長が市長に相談に行って、市長、助役、収入役、教育長あと市長の後援会の土地持ちの人など6人くらいの人にお願いしたのだと思います。ここから20キロ離れた山合にある古い家でした。
 最初の日のことを今でも覚えています。市長はいませんでした。小学校4年生から中学校2年生まで通っていました。
 高校になってもずっと行きたかったのですが、「受験生だから」と言って中2でとぎれました。おばさんが「今日何食べたい?」と聞いてくれて、一番好きなのはカレーでしたので、「カレーが食べたい」と言うと、「じゃあ、一緒に買いに行こう」と言ってくれました。カレーに何が入っているか分かっているけれど、施設では調理師さんが作ってくれるため、最初から最後まで見たことがありませんでした。里親さんからは、「手伝いなさい。」なんて言われて、背中から、間近で見られるのです。
 そのおうちの隠し味は、リンゴと月桂樹でした。ちょっと施設で食べているカレーとは違うので、おいしかったです。「ああ、これがおふくろの味なのだな」と。
 次の日のお昼も「何が食べたい?」ということで、私はまたカレーを頼んだため「施設では食べさせてもらえないのかな」と思われたかもしれません。
 施設では栄養士が作ってくれていたので、施設のご飯はとてもおいしいです。だから、私は19歳まで健康体でいられたのは、やはり施設のおかげです。今、このベースをつくってもらえたのは施設のおかげだと思っています。
 施設職員が翌日の3時か4時くらいに迎えに来ます。最初は1泊2日でした。広いから隠れていましたが、しびれを切らした先生が「吉夫、出てこい。帰るぞ」と言って、それで施設へ帰ったのですが、その日の夜は、夕方ご飯を食べて、普段だったらみんなで一緒に遊ぶのですけれども、「あそこの家庭のおうちの子だったら」と思って涙が出てきました。
 それが最初の出会いでしたがとてもいい関わりをしてくれたのです。「何が食べたい?」と聞いてくれたというのが、とてもよかったと思います。
 それからずっとつながりがありまして、私が結婚するときには、仲人もしていただきました。
 この市長というのは、とても良くて、私にとっては足長おじさんのような気がします。市内に養護施設があったということ、それから里子を持っていたということで、年2回ほど施設に来てくれたのです。
 本人直接ではなかったのですが、里子に行った2人、私ともう1人の子にいろんなお菓子の詰め合わせを渡してくれました。私のためにしてくれるというのがとても良かったです。節目のときにも贈り物をしてくださいました。
 中学校入学のときには、「昔でいえば元服だ」と言って、万年筆をいただきました。
 大学に入るときには、「君はこれから大学に行くのだから、手元にこれ一冊は教養として置いておきなさい」ということでもらったのが、国語辞典です。
 それから、大学時代に入っても時々手紙をくれたのです。そのときは市長を引退されていましたけれども。星野富弘さんって知っていますか。体育教師で脊髄損傷して、口で絵を描いて、詩を書く。あるとき、星野さんの画集詩集を送ってくださったのです。同封していた手紙にこう書いてあるのです。「私も、政治をやっていても、いろんなことをやっていても、つらいときがある」と。「ああ、市長でもつらいときがあるんだ」と。「私はこの人の詩集を読んで自分を励ましているんだ」と。そのとき市長とグッと近くなった気がしました。
 この市長ご夫妻はもう亡くなられ、13回忌が終わりました。私が市長のときはもうお亡くなりになっていましたが、やはり徳がある方だったなという気がします。現在では、市長の息子が私の後援会長になっています。市長の家族はみんな応援してくれて、今でもずっと関係が続いています。
 昔、許斐有(このみ・ゆう)という児童福祉の学者の方より赤毛のアンを紹介されました。里親としてアンを育てて、血がつながっていなくても、家族になれる。そして、里親の自慢の娘、すてきな女性に成長していくという物語で、とても感動的です。読んでいただければ、励まされることと思います。想像力豊かな女の子アンがとてもいいです。子どもたちにも読んでもらうのもいいかもしれません。特に年ごろの子どもに読んでもらうと、子どもも励まされることと思うので、この本を通じて共感し合えることがあると思います。
 私は血のつながった縁には恵まれませんでした。でも、他人の縁には非常に恵まれたのです。だから、愛の形というのはいろんな形があると思います。血のつながらない人の交流として愛を感じて、そして愛を今度は次につないでいく。そういう愛の多様な形というものを学んだような気がします。
 これからは、家庭的にハンディキャップを持たざるを得ない、あるいは持ってしまった、あるいはそういう状態になってしまった子どもたちには、家庭に近い形のケアがこれから推進されていくということです。
 一方、従来型の養護施設は、従来型の今のある形を家庭に近づけることと、里親さんをバックアップしていくような形にたぶん移行していくのだろうと思います。
 モデルは、イギリスにあると思います。イギリスは日本と同じような変革をしていっています。もう1つは、子ども家庭福祉士。ここで児童養護士と書いてありますが、そういう資格ができてくるということです。
 今、里親さんの名称が変わるという議論もされています。これから子どもたちの健全育成を考えると、家庭菜園がいいと思います。塾に行ったり、クラブだったりと、子どもは非常に忙しい。親も親で、共働きで忙しい。夏休みなどの長期の休みあるいは連休を通して、家族で一緒に何かを作ること。土いじり、農業っていいなと思うのです。我が家でもすくすくと子どもたちは育っています。
 ということで残り5分弱あります。あと質問を受けて、私の話を閉じたいと思います。ご清聴ありがとうございました。

第二部 里親からのメッセージの要約

 堺市養子縁組里親 Aさん

 小学校3年生、9歳の女の子と、今月誕生日を迎えました1歳の男の子を養育しています。「養育」という言葉を使いましたけれども、平凡に、毎日子どもたちと一緒に笑ったり、けんかしたり、また感動したりしながら、忙しくもありますけれども、にぎやかな楽しい毎日を過ごしています。
 私が里親になろうと思ったきっかけは、3人の息子たちが成人し、男の子なので大きくなったらほとんど口もきいてくれなくて、さみしさを感じて、もう一回子育てしたいなと思って家族を説得しました。夫と一緒に里親研修を受けて、里親登録することができました。
 夫は、里親研修の間も「僕が里親?」という感じで半信半疑だったのですが、施設実習に行ったときにたくさんの子どもたちが「おじちゃん、だっこ、だっこ」と言って集まってきてくれて、これだけ僕の愛情を必要としてくれているのだということで、里親になろうと強く思ったみたいです。
 里親側も子どもの希望を聞いていただけまして、うちは男の子を育てたので、女の子を育ててみたいと思いました。堺市には乳児院がなくて、乳幼児期の愛着関係がとても大事だということを伺っていたので、そして私も小さい子どもが大好きなので、乳幼児を希望しました。当初はまだ子どもさんをお預かりするということに対して責任の重圧を感じていましたので、実親さんが病気療養中などの短期養育を希望しました。
 登録して2カ月後に、今一緒に住んでいます女の子のお話がありました。彼女は、当時4歳で、彼女の背景から長期養育が必要だということを聞いて、「自分たちで育てていけるのかな。この子が二十歳になったとき、自分たちはいったい何歳だ」という不安もありましたが、せっかくのご縁を大切にしたいなと思ってお預かりすることになりました。そして里親生活が始まりました。
 今思えば、長期養育で本当によかったと思います。彼女がいない生活は今は考えられませんし、彼女が望んでくれるなら、我が家からお嫁に出すことを夢見て楽しみにしています。5年間、もう「かわいい、かわいい」で子育てしてきて、ちょっとわがままに育ててしまったかなと思って、「きょうだいでもいたら少しは違うかな。我慢することも自然に覚えるかな」と思っていたところ、今年の3月に、今一緒に住んでいます男の子のお話がありました。
 彼は当時、生後3カ月で、お母さんが検査入院するので3日間預かってほしいというお話でした。家族みんなで「赤ちゃんが来る」と言ってとても楽しみにしていたんですけれども、今一緒に住んでいる女の子は、もう娘と思って育てているので、娘と呼ばせていただきますが、その娘が、預かる日の前日に風邪をひいて熱を出してしまって、3日間で風邪をうつしては申し訳ないということでお断りしました。
 しばらくして、そのお母さんが検査の結果、入院手術が必要なのだということで、今度は1カ月間預かってほしいというお話があり家族みんなでまた喜んで、その生後3カ月の赤ちゃんを受け入れました。
 生後3カ月後半から4カ月の間、うちにいたのですが、成長もとても著しいので、お母さんのもとに帰ったときに少しでもお役に立てるかなということで、毎日、育児日誌を書きました。我が家で寝返りも打てるようになったので、その様子とか、お食い初めの時期でもありましたので、お祝いをしてその様子とか、桜の時期だったので、お花見に行った様子とかを写真に撮って、アルバムを作って、お母さんに育児日誌とアルバムをプレゼントしようと思いました。
 あっという間に1カ月がたって、お母さんのもとに帰る日が決まりました。孫のような息子ですけれども、息子と呼んでいるので、息子と呼ばせていただきます。息子の顔を見て、「よかったね。お母さん、退院されてよかったね。お母さんと一緒に暮らせるようになってよかったね。幸せになってね」と言いながらも、さみしさが込み上げて涙していました。相談所のほうでお母さんと会って、アルバムと育児日誌を見ながら、我が家にいるときの様子などをお伝えして、彼はお母さんのもとに帰っていきました。
 病気もけがもなくお母さんのもとに無事に帰せてホッとしたとのと同時に、彼のいる1カ月間はとても充実していたので、脱力感で何も手にすることができませんでした。しかし、彼がいた1カ月間、仕事もお休みさせていただいていたので、彼の幸せを願いながら自分も頑張ろうと思って仕事復帰の連絡を職場に入れました。
 ですが、次の日、相談所から「1週間前に帰った彼ですが、今度はお母さんの子育て環境が整うまで預かってほしい」という連絡がありました。電話を受けて、「ああ、また彼と一緒に暮らせる」という喜びと、1週間前にあれだけ幸せを願ってお母さんのもとに送り出したのにというむなしさと、前日に「仕事復帰します」と連絡を入れたばかりだったので、どうしようという気持ちと、とても複雑な気持ちになりました。
 息子を保育園に入所させていただいて仕事復帰しようと思ったのですが、仕事というのが訪問型病児保育といって、依頼があったときに活動するという不定期な仕事で、保育園を申し込んだんですが、不定期なのでなかなか入所する条件にはならなくて、保育園は決まらずにいました。
 幸か不幸か、私の母が入退院を繰り返しまして、赤ちゃんを連れて病院に行ったり、また実家の父のお世話をしたりで、とても大変な時期があり、役所のほうに相談したら、就労と介護と2本建てで保育条件が整うということで、やっと保育園も決まりました。とてもいい縁で、私も保育園見学に行かせてもらったのですけれども、すぐに気に入って、そこに入所させてもらうことになりました。彼も、今、毎日笑顔で楽しそうに通園しています。
 娘は、乳児院、児童養護施設でずっと育ってきて、24時間365日集団生活をしてきた為かとても緊張の強い子で、対人関係がとても苦手でした。我が家に来て、うちの家は安心して落ち着ける場というのが分かって、うちに来るお客さんを受け入れるようになり、お客さんというのは娘にお土産とかも持ってきてくださるので、それで人が好きになって、それから外に出ても人と関わることを怖がらなくなりました。今はお友達もいっぱいできて、とても明るい、天真爛漫な子どもに育っています。
 息子にいたっては我が家の癒やしで、毎日の成長がとても楽しみで、私の母もまだ入院していますが、たまに病院に連れて行ったら、「ああ、来てくれたんか。ありがとう。どんな薬より、この子の笑顔が元気になる一番の薬やわ」と言って息子に会うのを喜んでくれています。
 実家の父も、子どもたちに会うのをとても楽しみにしてくれているのですけれども、娘はもう今、おじいちゃんよりもお友達がよくて、なかなかおじいちゃんのところには行ってくれなくて、今、息子がその役目を代わってくれています。
 私たち夫婦も、子どもが来てからは、お誕生日とかクリスマス会の行事の楽しみもあり、どこそこへ遊びに行こうって、遊びに行く計画を立てたり、本当に楽しみが増えたりして、子どもたちには感謝しています。
 私事ですけれども、この10月に孫が生まれまして、誕生したときに駆けつけたんですけれども、息子も私も、お嫁さんに「よく頑張ったね。ありがとう。頑張って生んでくれてありがとう」といたわりの言葉を掛けて、生まれてきた孫にも「生まれてきてくれてありがとう」と、祝福のオーラで幸せいっぱいに包まれていました。家に帰って、子どもたちの顔を見て、この子たちの出産シーンはどうだったのかなと思ったら、生んでくれたお母さんのこともとても愛おしく思いますし、また子どもたちのこともとても愛おしくて、「大事に育ていかなあかんな」と思います。
 先ほど「血のつながりは関係ない」とおっしゃっていましたけれども、ついこの間、孫のお宮参りがあって写真館に写真を撮りに行きました。孫と娘と息子と3人で写真撮るときに、孫が主役なのですが、息子はまだ11カ月で座らせてもすぐ立とうとするので、一生懸命彼の名前ばかりを呼んでいるのに気づきました。やはり血のつながり関係なく、一緒にずっと住んでいる息子と娘のことをすごく気に掛けています。
 一人でも多く、施設で育っている子や子育て困難な家庭の子を里親家庭に迎え入れてもらって、幸せになってもらいたいと思います。
 「里親、どうかな」と思われている方は、一歩踏み出してみてください。案ずるより産むが易しで、私も最初は「里親として一生育てるのはちょっと責任重いかな」なんて思っていましたが、今はもう娘と息子なしの生活は考えられません。どうぞ一歩踏み出してみてください。

 堺市養育里親 Bさん

 皆さま、こんにちは。よろしくお願いします。
 私の家は、主人と私、愛犬の2匹の4人家族です。子どもはおりません。
 私が週末里親になろうと思ったのは、私自身、施設に勤めておりまして、そこの子どもさんを、時々家に連れて帰って、お盆や正月を過ごしたこともあります。そして、めいっ子、おいっ子たちだとか、友達の子どもも私の家に1日、2日泊まったりしていました。その子たちも二十歳になり、学校も卒業し、施設も卒業して、今は幸せな家庭を持っていますが、ふとしたときに子どもとの時間をまた持ってみたいと思い、週末里親を希望させてもらいました。
 今預かっている子どもさんは12歳、小学校6年生の女の子です。Aちゃんと呼ばせてもらいます。Aちゃんと会ったのが、今から約7年前。Aちゃんは当時5歳でした。すぐ6歳の誕生日を迎えたんですが、7年間の間、本当にいろんなことがありました。そして、いろいろ楽しい思いもさせてもらいました。子どもがいないので、子どもを連れて買い物に行ったら何か得しますね。お店の人に「幾つ?」とか声を掛けられたり、会話が弾んだり。ディズニーランドに行ったときは、そこのクルーの方が「何々ちゃん、幾つ?」とか声を掛けてくれたんですよ。夫婦二人では経験したことのないこともいろいろ経験させてもらいました。
 当時、Aちゃんは縄跳びが得意で、すごく人見知りをするというふうに聞いていました。初めて会うとき「ああ、人見知りされたらどうしよう」、「来なかったらどうしよう」と思ったんですが、施設の先生が「明日、おばちゃんが来るからね。会いに来てくれるからね」というのを本人に言ってくれていたので、そのまま人見知りもなく施設の庭で遊びました。そして、いずれは外出・外泊で私の家に連れて帰るのに、Aちゃんと私と取りあえず関係づけをして、信頼してもらおうと思って、「知らない所に行ってもおばちゃんがいたら大丈夫や」と思えるように、面会を何回か重ねました。もちろん主人とも面会していきました。
 面会している途中でAちゃんよりも小さい女の子が私のところに寄ってきたんですが、Aちゃんが間に入って、「Aちゃんのおばちゃんやから来んといて」って言ったんです。「ああ、ちょっと受け入れてもらっているのかな」という感じでうれしく思いました。
 Aちゃんを初め見たときに、私のめいが2人いるんですけれども、Aちゃんを入れたら3人きょうだいかなと思うくらいちょっと似ていたんです。それで初め会ったときに身内に会ったような思いがしました。
 そして1対1の関係をつくっていって、「おばちゃんのおうちにいっぺん行ってみたい」ということを言ってくれたので、連れて帰りました。初めは遊んでいたんですけれども、やはり夕方になって時間が経つとともに、「いつ帰るの?」って何回も言ってくるんですね。「もうちょっとしたら帰ろうな」と言って、それで施設のほうに送っていくようなことが何回か続きました。
 順調に行って、外泊もできるようになったんですが、我が家にAちゃんの居場所「ここにいてもいいんや」と思って思えるように、まず、おはし、お茶わん、コップ、お皿、パジャマとかお洋服を少し、「ここにあるんやで」というふうにそろえてみました。
 そして、それから初めて我が家でお正月を迎えたんですが、我が家は親戚の人がたくさん来てくれるんです。そしたら人見知りがそのときに出て、食事を一緒にしているんですけれども、じっと下を向いているんですね。よく見たら目に涙をいっぱいためて、やはり人見知りというか、知らない人たちのところでグッと我慢しているんです。「もうこれはあかん」と思って他の部屋にだっこして連れて行ったら、ワーンって泣いたんです。「わあ、我慢してたんだな。ごめんな」と言って、ひとしきり泣いたらスッとしたんでしょうね。そのまま食事もしました。そういうこともありました。
 そして1年くらいたったときに、私が2階のベランダで洗濯物を干していたんです。そしたらトットットットと上がってきて、何やらガリガリと音がしました。「もしかしたら壁に何かいたずらをしているのかな。落書きをしているのかな」と思っていました。でも、「どんなのを書いているのかな」って私ものんびりしていたんです。壁に描くのは良くないので、「一緒に消したらいいわ」と思い、洗濯物が終わって、「何書いているのな」とふっとAちゃんの顔を見たら、ニコって笑うんです。「え、何やろう。いたずらしたのにニコって笑っているわ」と思い書いてあると思う所を見たら、「おばちんへ いつもありんこ」と書いていたんです。まだ字も書き始めたころでした。 見たときにすごく嬉しく、「わあ、ありがとう」って言ったんですが、壁に書いたら都合が悪いので、「壁に書いたらあかんよ。今度からは紙に書こうなと伝え、一緒に“おばちん”と違う。“ち”と“ん”の間に小さな“ゃ”が付くんやで」と。そして、“ありんこ”とかって書いてあるのは、「ここは足りないよ」って。鏡文字にもなっていたので、「ここは違うよ」とか言いながら話をしました。本当に受け入れられて、私と関わることを「ありがとう」と思ってくれたことが本当に嬉しくて、今でも消していません。
 ただちょっと薄くなったので見えないところもありますけれども、思い出としておいていて、寝るときにそれを見て、「こんなん書いているわ」「あんた、書いたんやで」っていう感じ。忘れているのかは分かりませんが、「これ、うれしかってんで」って言っていました。もうそれから壁には書かなくはなりました。その1回だけでした。
 我が家に来ていろんな体験をしてほしいと思っています。いろんな所にも遊びに行きました。海に行ったときは、海ではウミケムシに刺されました。私の主人の田舎は四国なんですが、そこにお墓参りに一緒に行った時には、ハチに刺されました。本当に心配になり、「大丈夫かな」と思っていました。 私が心配性なのかも分かりませんけれども。
 また連れて帰って、親族づきあいをしたいと、この子を含めてやっていきたいと思い、家族にもまず紹介しました。
 めいが2年前に結婚したんですが、「結婚披露宴にAちゃん呼んでもいいかな」って言ってくれたんです。Aちゃんの席順ですが、5歳からずっとつきあっていたので、紹介するときに「もういとこでいいよな」って。式当日もいとこと書いて、相手の親族の方にもいとこと紹介してくれました。それが嬉しくて、一員になったんだなというふうに感じました。
 今年のお盆に、私の実家と親族が集まりまして、親族の写真を撮ったんですが、その中にAちゃんも当然写っております。
 それと、去年、外泊を拒んだときがあったんです。「朝は楽しみにしていたんですけどね」って先生も言ってくれていましたが、3回くらいふられていまして。それが一転何のきっかけかはちょっと分からないんですが、「おばちゃんのところに電話する」と言って、電話を何回か先生を通じて掛けてくれました。「そしたら迎えに行くからね」と言って迎えに行って、今は外泊を楽しみにしています。
 この間、外泊して施設に送るときに、ぼそっと「帰るの、嫌ややな。帰るの、嫌ややな」って二言言ったんです。複雑な気持ちです。週末里親なので、やはり施設で生活をしているので。「そうか。また今度な。また迎えに行くから待っててや」と言ったら、「ふーん」って言ったんですね。我が家が家のようになってきてもらえたのかなと思いました。
 今6年生ですが、周りが見えてきたのか、自分の生い立ちというか、そういうのが分かったのかどうか分かりませんが、テレビのニュースで、母親が子どもに対して虐待したりといったニュースだったと思いますが、Aちゃんがそれを見て、「子どもを棄てる親なんか最低や」って言ったんです。ドキッとしました。何と返事したらいいか正直分かりませんでした。
 自分のことを何かと今重ねているとか、そういう自分の立場を分かってきたのかと、その時は捉えていました。我が家であったことは全部施設の先生方に報告させてもらっています。また、帰ってからの施設のことも聞かせてもらっています。
 7年弱預かっていたんですが、この前初めて我が家で38度以上の熱が出たんです。午前中は遊んでいたんですが、けれども、お昼ご飯を食べたあたりから、食欲もそんなになかったので熱を測ったら38度ありました。その後、布団を敷いてずっと寝ていたんです。その日は施設に帰る日だったので、電話をして「寝かせて落ち着いたら帰ります」と伝えました。熱があることを分からなかった自分を責め「ああ、分かってあげられなかったな。ごめんな」と言って氷のうを当てたりして、横にいました。熱がちょっとあったんですが、一眠りして気分がよくなったので、その日に施設に帰ったんですが、施設に帰ったら、ベッドの中で涙をためて、ポロッと涙を流して泣いていたそうです。「なんで?」って先生が聞いたら、「さみしい」って一言言ったようです。そういうふうに言う子どもではないというか、強気で、涙をためていても「泣いていない」みたいなことを言うような子なんです。その子が涙を流して「さみしい」と言ってくれたことは、何かこの子に変化があったんだなと思いました。
 そして、いずれは施設も卒業します。やはり社会に出たらすごく戸惑うというのをよく聞きます。我が家で体験してことを思い出して生かしてくれたなと思って、これからも活動していきたいと思います。
 Aちゃんと会ったことで私たち夫婦もすごく変わりました。卒園式にも行かせてもらいましたし、もちろん小学校の入学式にも行きました。ちょっとスーツが入らなくて新調したんですけれども(笑)。授業参観も発表会も何度か行かせてもらいました。授業参観後「おばちゃん、がんばったで」「そうか。そしたらきょうお昼何か食べに行こうか。何食べに行きたい?」って言ったら、「おすし。」って言うので、寿司を食べに行きました。食が細かったんですが、10皿と、おうどん半分と、デザートを平らげたんです。来たころは、洗面所の鏡もいすを持ってきて見ていたんですが、「いす、持ってこなくてもいけるわ」って。「昔、いす持ってきたな。そのいすがプーって鳴ったな」って話をしたり、そういう感じで思い出話も最近よくしてくれます。背が伸びることが本人もすごく嬉しかったようです。
 子どもが来て、友達に「家族ごっこやな」って言われたことがありました。そのとおりかもしれません。「ごっこ」だと思います。でも、私は、最高の「ごっこ」をして、その「ごっこ」が卒業後役立つように主人とも頑張っていきたいと思います。これから思春期を迎えて幾つもの壁があると思います。また、施設の先生方とも一緒にその子を伸ばしてあげたいと思っています。これからも週末里親としてこれからも頑張っていきたいと思いますので、よろしくお願いします。

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