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堺市
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平成25年度 里親シンポジウムの報告

更新日:2014年1月16日

 里親支援機関・堺市里親会・堺市の共催で、堺市里親シンポジウムを実施しました。関西大学人間健康学部教授 山縣文治氏の基調講演と、現役里親さんの体験発表を行いました。
 以下里親シンポジウムの報告を掲載しています。

開催日時等

 堺市里親シンポジウム「子どもの幸せを求めて~里親のことを知ってください~」  
 日時:12月7日(土曜日)、午後1時30分から午後4時00分
 場所:堺市総合福祉会館 5階 大研修室

プログラム 

第一部

  講演「子どもの幸せを考える~社会的養護と里親制度」 
    関西大学人間健康学部教授 山縣文治氏

  講師紹介:
  1954年広島県生まれ。大阪市立大学教授を経て、2012年より現職。 
  日本子ども家庭福祉学会副会長、社団法人家庭養護促進協会副理事長。
  堺市子ども・子育て会議会長ほか社会活動にも従事。
 著書:
  『「こうのとりのゆりかご」が問いかけるもの』
  『施設・里親から巣立った子ども達の自立』ほか

第二部

 里親からのメッセージ

第1部講演 「子どもの幸せを考える~社会的養護と里親制度~」の要約                                

・虐待の通告先はどこでしょうか?
 第1義的には児童相談所ではなく、市町村になります。その次が児童相談所です。法律上は福祉事務所も想定されていますが、福祉事務所はほとんど話題になりません。法律上は、まず身近なところである市町村で受けてくださいとなっています。一般市民の方が、どこに相談してよいかわからないときは、民生児童委員に言ってもらったら代わりに通告してくれます。堺で言うと市町村は区役所になります。子ども相談所はその次だということを理解していただきたいのです。
 大阪府全体の統計から見ても、多くの専門家(学校の先生、医者等)の、まず1番の虐待の通告先は市町村になっています。市町村がまず動き、児童相談所が一緒に考えるという仕組みになっています。全て児童相談所の責任ではなく、より早く子どもに接触し対応するという意味では市町村の協力なしではできないのです。

・堺市子ども相談所の相談内容はどうか?
 年間の相談件数について一番多いのは、虐待ではなく知的障害です。その次は育成相談で、虐待相談は3番目です。但し、しんどさや相談回数は別で、あくまでも量である件数の話です。知的障害の相談回数は1回2回で終わることもありますが、虐待相談は相談回数がとても多く、夜間になることもあります。

・児童相談所に相談すると親子が切り離されてしまう?
 切り離されるというのは、乳児院や児童養護施設、里親家庭等に行くということであり、親と一緒に生活できないということです。知的障害の子は、切り離されることは少なく、数回児童相談所に面接に来て助言指導で終わることが多いです。継続的に児童相談所に通ったりする継続指導もありますが、これもあまり多くはないです。児童相談所に行けば親子が切り離されるというイメージがありますが、決してそうではないのです。
 では、虐待相談なら分離されるかと言うと、虐待でも7割が助言指導です。分離も一般相談より多いですが、助言も一般より多いです。理由は、多くの通告があがってくるので、対応が助言指導だったり、継続指導や他機関への指導委託だったりするのであって、虐待が即分離とはならないのです。「私たちがせっかく通告したのに、児童相談所はなかなか分離してくれない。まだ親子が一緒に暮らしてかわいそうだ。」と言う人がいますが、子どもの福祉の仕事は、親子はできるだけ一緒に暮らすことができるようにしたいという思いがあります。分離してもできるだけ早く親子で生活できるようにしたいという思いがあります。保護者の元に返せない状況にあるのなら、それに代わる親子関係をつくることが大原則であって、分離の後のことも考えるのが大切です。

・分離後の場所は?
 これが今回のテーマの里親ですが、里親以外には、どんなところがあるのでしょうか?対象児童の年齢は、乳児院が一般には2歳前後ですが、法律上は小学校に入るまでです。2歳を超えたときには、児童養護施設になり、18歳ぐらいまで生活します。20年ぐらい前に、18歳まで生活できるようになりました。今は高校卒業年齢までは可能になりましたが、高校を中退してしまうと難しいところがあります。しかし制度上は、20歳まで可能です。3~4年前のこの時期に新聞TVで話題になった「タイガーマスク現象」というのがありました。その思いを受け継いで、子どもたちが大学に行けるお金を集めようというタイガーマスク基金というものもできました。大学まで進学できるようにという国の施策が十分に整っていない部分を、民間が請け負った形です。
 分離保護では、施設型と家庭型があります。施設型では、乳児院・児童養護施設・情緒障害児短期治療施設(子どもの心のケアをする専門職員がいます。)・児童自立支援施設があります。児童自立支援施設に入っている理由は、非行ですが、そこの子どもの7割は虐待を受け、虐待の結果非行に走っているケースもあります。虐待の被害者ですが、表面上は非行に分類されます。思春期の子どもたちは、表面的には非行問題を抱えていますが、子どもも育ちの中で、心には何らかの葛藤がありました。子どもの暴力的な行動に対しても、子どもの心の中でいったい何が起こっているかを丁寧に見てあげる必要があり、児童自立支援施設では子どもの心の中の対応もしています。
 家庭養護の中には、里親制度に基づく里親・ファミリーホームがあり、民法の制度では養子縁組制度があります。10日ほど前、TVで、「こうのとりのゆりかご」を取り上げた番組がありました。その中で、児童相談所が間に入ると養子縁組がなかなか進まないけれども、病院が直接扱うと養子縁組が早く進むという内容がありました。里親家庭、ファミリーホーム、養子縁組、どこかに行けば子どもはすべて幸せにいくとは限りません。一般家庭でもいろいろ起きるのが当たり前です。いろんなことが起こるから普通なんです。何か起こったときにうまく対応できるかが重要なんです。100%大丈夫というところはないんです。ゆりかごの制度ができてから7年ぐらいになりますが、匿名性が話題になっています。親が名乗らなくてもよいということです。しかし本当に親が分からないケースはほとんどないのが現状です。ゆりかごの制度を評価する人は、「子どもを預ける」と言い、評価しない人は「子どもを捨てる」という表現をします。預けた瞬間は親が分からなくても、いろいろ調べているうちに親が判明する場合があります。住民票が堺市にあっても、親が分からないときは、病院がある熊本市に住民票を置くことになります。しかし、親が堺にいると判明すれば、堺の子ども相談所が対応することになります。ゆりかごの場所に行かなくても、堺で相談ができるようになります。未受診出産の事例と似通ったところがあります。親は病院に相談しにくい現状があり、児童相談所にも相談しにくいところがあります。そういう人たちに対しては、今の児童福祉での対応は困難があります。だからこそ子どもに対応していく為に、民間の力を借りるか、法律を変える必要がありますが、私は法律を変えることが重要だと思います。しかし、法律を変えると隙間ができ、その隙間を民間が埋めるということになりますが、それはいつもいたちごっこになります。
 新しい仕組みとしてのファミリーホームがあります。預かれる子は、5~6人までです。ちなみに、里親家庭では、預かれる子は4人までです。実際に全国で200弱のファミリーホームがあります。担い手の大部分は、里親であったり元施設職員です。
 では堺市の4施設はどこにあるのでしょうか? 愛育社・泉ヶ丘学院・東光学園は中区にありますが、清心寮は北区にあります。みんな同じようなところにあるのが分かります。
 ショートステイを考えれば、この施設近辺の人は便利だけれども、その近辺以外の人は不便です。社会資源が集中したところにあります。しかも堺では、施設種別としては、児童養護施設1種類しかなく、その他の種類の児童福祉施設がなく、今後の堺市の社会的養護のあり方をどうしていくかは、検討をしているところです。
 次は、国際比較でみた里親制度について見ていきます。数年前の数値ですが、日本は12%ぐらいが里親さん宅で生活しており、国際的にも非常に低いというのがわかります。オーストラリアでは9割、アメリカやイギリスで7割、韓国で4割です。いろいろな国から比べて、日本は施設の数が多く里親が少ない状況です。国連の方では、日本に対してそのことを厳しく指摘しています。子どもの権利条約、それに基づく子どもの権利委員会より、3~4年おきに日本に勧告してきています。
 1つ目は、地域福祉を重視すること。これは簡単に親子を分離していけないこと。分離しなくてもよい施策をきっちりつくること。
 2つ目は、分離した後が施設中心になっていることから、里親など家庭養護を中心にやること。
 3つ目は、3歳未満児はできるだけ施設でなく里親に預けるようにすること。これらは、日本だけでなく世界に向けて言っていることです。また保護しても長期でなくできるだけ早く家に返す努力をするように言われています。また、できるだけ施設は小規模にすること。これは里親や養子縁組を推進していく方向であり、施設に対しては厳しい勧告になっています。
 また、学校に対しては、子どもの意見が尊重されていないと、もっと厳しい意見が述べられています。保健や衛生面に対しては、諸外国に比べ厳しく言われず、一定評価されています。
 日本ではその勧告を受け、まず社会的養護の言葉づかいを変えることになりました。一つは家庭養護と施設養護を分けることにしました。そして、施設養護には、本体施設とグループホームという考え方にしました。施設の方も、できるだけ家庭に近い家庭的養護にしていこうという考え方です。
 何が大きく変わったかというと、昔は里親を家庭的養護と呼んでいましたが、今は里親が家庭だという考えです。そして、施設を家庭に近い形にしていこうということです。
 私は家庭養護促進協会の副理事長をしていますが、その昔、家庭養護寮促進協会と呼んでいました。家庭が子どもの多い寮のようなところに住んでいたということでしたが、早くから名称を家庭養護という言葉に変えました。全体的に家庭的養護の促進ということになる。これが今の国の考え方です。
 今は家庭養護と施設養護が9対1ですが、これを将来十数年かけて、家庭養護、グループホーム、本体施設を、それぞれが1対1対1にしましょうということです。里親とファミリーホームを3倍増やすということになります。一方施設は違った形にして、子どもを移すことになります。これは大きな変化です。
 今後里親を増やしていくことになりますが、厚生労働省は、里親に対するガイドラインを決めました。その中には、里親委託優先の原則が出されました。これは、児童相談所が、委託先として里親を優先に検討するということです。しかし里親の数が少なく、さまざまな課題を抱えた子どもの現状を考えると、施設養護の役割も大きく、施設の質の向上も図っていく必要があります。里親を増やす上で、一定施設も必要であり、将来的に施設をなくすかどうかは慎重に考えなければならない問題です。
 里親とはいったいどういうものかという国の調査があります。里親の申し込みの動機は、養子縁組をしたいという人が多いと思われていますが、全体的には児童福祉への理解から子どもを育てたいという人が、3割から4割を占めています。養子里親だけで里親を増やしていくのは難しいです。児童福祉の理解や子どもを育てたいという意見を組み上げていかねばいけません。里親の家庭状況はと言うと、里親で養育するなら夫婦共稼ぎはできないのではないかという意見がありますが、半分は共働き家庭です。普通の家庭を経験してほしいなら、夫婦が働いている姿が今は普通です。家庭で、どうやり繰りしていくかということです。中にはひとり親だっています。
 里父の年齢はどうかというと、50代の人が一番多いですが、60代以上の人もいます。
 里子がその後どうなるかというと、多くが里親家庭から巣立っていくのではという考えが多いかもしれませんが、3割が家庭に帰っています。施設に戻っている子も3割います。世間でいう不調ですが、施設に戻る原因を解消しないと、施設養護派の不安と批判は解消できないし、子どもの幸せを考えるなら両方で話し合いをしていかねばなりません。
 また、資料では現在の里親と里子の全国の数を乗せているが、これを3倍に増やしていくというというのが国の考えであります。
 ざっと話してきましたが、私の話は一旦ここで終わらせていただきます。

 

第二部 里親からのメッセージの要約

 「とても充実しています!」   堺市養育里親 Aさん

 はじめまして。養育里親をさせていただいています。よろしくお願いします。
 今日は、私が養育里親になりたいと思ったきっかけから、現在までを、少しお話しさせていただきたいと思います。
 私は、20歳から35歳までの15年間、児童養護施設で保育士として勤めていました。児童養護施設とは、保護者のいない児童や、虐待を受けている児童など、家庭の事情で養育できなくなった児童を養護し、自立のための援助を行うことを目的とする施設です。そこでは主に、2歳から18歳までの児童が生活をしています。 
 私が勤めていた施設は、小規模グループホームを含め5つのホームに分かれ、ホームごとに担当職員がおり、生活を送っていました。ホーム制だったため、年齢ごとにホームの移動があり、移動とともに、担当職員がかわり、子どもの立場から言うと、特定の大人との定着した愛着関係の形成は難しかったと思います。また、子どもの成長を見守りサポートしていく職員の立場からしても、仕方のないことですが、一人の児童を継続して担当できるわけではないので、ホームが別々になると、一緒に生活を送ることができなくなることで、大切な子どもの成長を見逃してしまったり、子どものつまづきに気づくことができなかったりもしました。
 でも、私が子どもの一瞬を見逃してしまったとしても、そこは職員間の連携があるので、子どもの成長に支障が出るというわけではありませんので、心配することは何もありませんでした。施設は家庭に代わる環境ですが、たくさんの大人の手で育てられた、点で結ばれたような子育てではなく、できることなら限られた大人が関わり、一本の線でつながった子育てが理想だなと思いました。私は、勤めながら、私生活では結婚もし、子どもにも恵まれ、今では小学5年生の息子と小学3年生の娘がいます。
 私は、結婚しても子どもが生まれても定年までずっと、仕事を続けていくつもりでいましたが、自分に子どもができたことで考えがかわりました。それは、思っていた以上に、仕事と家事の両立が大変だったということもあります。家事といっても、子育てに費やす時間がほとんどを占めていました。子育てはじっくり時間をかけて、自分のペースではなく、子どものペースでするものなのに、時間に追われ、仕事での子育ても、自分の子育ても丁寧な子育てができませんでした。例えば、仕事面では、ひとりひとりの子どものために時間をとって、じっくり話しあったり、子どもと一対一で過ごす時間はほとんど持てていませんでした。私生活では、朝早くから夜遅くまで、子どもを保育所に預け、家に帰ると、バタバタと食事を済ませ、風呂に入り、寝かしつける、という繰り返しでした。イライラすることも多く、夫に八つ当たりをしたり、子どもに「早くして。」と言うことが多かったです。子どもを育てる仕事をしている自分が、自分の子育てはこんなのでいいのかと、悩みました。また、自分の子育てをすることで、今まで気づいていなかったこと、できていなかったことに気づくこともできました。
 例えば、子どもの交友関係ひとつにしても、自分の子どもの友達の顔、名前、どんなタイプの友達なのか、知っているのは当然のことでした。子どもがおじゃまする友達の家の場所はもちろん知っていました。また、友達の保護者の方とも交流を深めました。しかし、施設の職員としては、大きな集団の中のひとりの子どもに、そこまでの関わりを持つことは、限界もあり、できていませんでした。
 15年も務めた職場を離れることには、抵抗もあり、ものすごく悩みました。悩んでいるうちに、施設の職員を辞めても児童福祉には、ずっと関わっていたいという思いがわいてきて、里親になりたいと強く思うようになりました。
 いろいろな思いがあり、職場を退職することに決めました。
 でも実際、退職してしまうと、里親をしたいと思う気持ちを持ったまま、どっぷり家庭に入り、あっという間に月日が過ぎてしまいました。その間には、夫にも、子ども達にも里親への思いも話し、意見も聞き、家族みんなの了解ももらい、あとは私が一歩踏み出すだけでした。しかし、子ども相談所の電話番号を手に持ち、電話の前に座るだけで、「こんな責任重大なことが本当に私にできるのか?今のタイミングで里親になることはいいことなのだろうか。」などいろいろ考えてしまい、心臓がどきどきして、その一歩がなかなか踏み出せずに、5年が過ぎてしまいました。さすがに、こんなことをしていてはいけないと思い、思い切って子ども相談所に電話してみると、意外とスッキリして「やるぞー!!」と言う気持ちがわいてきました。そこからは、面接、研修、実習とスムーズに進み、去年の夏に登録されました。
 里親登録してから、現在まで3人の里子を養育させていただきました。最初に来た里子のCちゃんは、0歳10カ月の女の子でした。養育期間は一週間ほどで短かったのですが、家族みんなが、楽しみにしていて、みんな宝物のように扱っていました。しかし、Cちゃんが来て2、3日たった夜に、急に下の娘が「里子ちゃんばっかりずるい!」と泣き出してしまいました。今まで末っ子だった娘にとっては、突然自分より小さな子が家に来て、みんなが、「かわいい、かわいい。」とCちゃんばかりに気を取られるのは、いい気はしません。私も娘に対しての配慮が足りませんでした。「でもまだCちゃんは赤ちゃんであることや、急にお母さんやお父さんと離れて不安な気持ちであること、でもそのことで娘が我慢することはないし、思っていることはどんどん言ってほしい。」と娘に伝えました。すると、次の日からは、娘は、私への甘えを見せながらも、より一層お姉さんぶりを発揮してCちゃんのお世話をしてあげる姿が見られるようになりました。あっという間に家に帰れる日が来て、Cちゃんにとっては望ましいことではありましたが、私はさみしさもあり、複雑な気持ちになりました。Cちゃんが家に帰った夜は静かでした。5年生の息子も頭の中でわかっていても、さみしくて夜ふとんにもぐって泣いていました。そんな姿を見ると、子ども達に残酷な思いをさせているのかなと考えましたが、子ども達は立ち直りが早く、次の日には、楽しかった思い出話として話していたり、「次はどんな子が来てくれるかなあ?」と、次の里子ちゃんが来てくれることをとても楽しみにしてくれていました。
 2人目の里子ちゃんは、2歳の男の子でした。その里子のDくんも10日間ほどの短い養育期間でした。2歳にもなると環境の変化になかなかなじめず、緊張しているのが、ものすごく伝わってきました。警戒しているのか言葉も少なく、子ども達とも関わりを持とうとせず、しばらくは私との一対一の関わりしかできませんでした。そして環境にも少し慣れ、言葉数も増え笑顔も多く見せてくれるようになったころに、家に帰ることができました。
 そして3人目は、現在養育している1歳になったばかりの女の子です。その里子のEちゃんは生後一か月で我が家に来ました。一緒に生活を送るようになってもうすぐ11カ月になります。首も座らない生まれたての赤ちゃんから、寝返りができるようになり、お座りができるようになり、離乳食を食べるようになり、一日ごとに成長していく姿を見ることができて、毎日幸せを感じています。子ども達も本当の妹のように可愛がってくれています。娘ももう、やきもちを焼くことなく、お世話を焼いてくれています。地域の人たちも最初は不思議そうな目で見ていたり、興味津々に話を聞いてきたりしていましたが、今は自然に接してくれています。ですが、今養育しているEちゃんも、いずれ家に帰る日が来ます。そのときは今まで以上に、複雑でさみしい気持ちになることは、覚悟しておかなければならないことです。
 家庭の環境が整えば、いずれ家に帰る子どもを一時的に預かるのは、さみしく複雑な思いもありますが、家庭の事情で親と離された子どもが、さみしい思いや不安な思いを少しでもしないように、家庭の代わりとして、子どもが家に戻れるようになるまでの期間、お手伝いができればと思っています。またそんなふうに思ってくれる人が増えればいいなと思っています。
 私が、今こうして養育里親ができているのは、家族の協力が大きいのはもちろんなのですが、児童養護施設で勤めることができて、その中で子育ての経験を豊富にさせてもらえたこと、またそれが、楽しくやりがいがあったということが大きな影響となっています。
 でも、私のような経験がなくても里親に興味を持ち、子どもの事を想い、できることから何か、始めようと思ってくれる人が増えればいいなと、思っています。

「実は私、子どもが苦手でした」   堺市養育里親 Bさん

 正直に申し上げて、私は子どもがあまり好きではありませんでした。相手になって遊ぶのもせいぜい1時間が限界で、かわいいと思えても、そのうち振り回され始めるとギブアップです。なので、子どもが授からなくても、どうしても子どもが欲しいと感じたりすることもなく、その努力もしませんでした。授からないなら互いに夫婦だけの生活を満喫すればよいでしょうと、この数年は過ごしていました。
 しかし、人生80年の折り返し地点にさしかかり、このままで満足できるかという自分への疑問がふつふつとわいてき出したのです。当時、大阪で育児放棄によって2人の幼児が死亡したニュースが報道されていた時期でもありました。
 でも、私個人の一存で「子育てはじめます宣言」を発令することはできません。たいがいのことを尻に敷いている私ですが、このときばかりは主人をどう取り込むか頭をひねりました。ところが、主人の方から「死なしてしまうくらいやったら、家の前においたってくれたらよかったのに。」とニュースを見ていて話すのです。「こいつは落とせる!」と直感しました。
 里親制度のことは何となくの知識でしたが、ネット検索から週末里親の存在を知りました。共稼ぎ夫婦ですし、里親になっても看護師の仕事は続けたい強欲な私にとって、受け入れやすい制度でした。さっそく主人に、相談という名の「やるからええな!」という強制執行宣言を果たし、里親支援機関であるリーフへ問い合わせの電話をかけました。
 研修期間を経て、週末児童のF君とは2年前の夏に初対面しました。小学1年生でした。月に2回の外泊は、F君も私たち夫婦も待ち遠しいものでした。互いの実家にも紹介し、快く迎えてもらえました。孫が成人を迎えるころに7歳坊主がやってきて、新たなアイドル誕生でした。F君の方も、普段老人との関わりがないため、おばあちゃんの行動に興味津々でした。私の母が食後に部分入れ歯を取り出したときは、目が飛び出し息が止まるくらいの驚きようで、「何それ!見せて!もう一回やって!」と、入れ歯の出し入れをアンコールされ、何度もトランスフォーマーさせられました。
 初めての冬休み、7日間の長期外泊をしました。とても楽しいお正月が過ごせて、あっという間の7日間でした。このときの週末里親活動報告書の施設帰園後のF君の状況記載が、このようにありました。
 長い外泊のあとだったので、帰ってきたときは少し元気がありませんでした。少しさみしかったのだと思います。夕食のときに「さみしくて、夜に泣いたらあかんで~」と声をかけると、いつもなら「大丈夫やし!」と元気な声が返ってくるのですが、今日は言葉に詰まり、泣きそうな表情になっていました。たくさん甘えさせてもらい、よいお正月を過ごさせてもらったことが伝わってきました。この様子があったので、夜は少し気になりましたが、いつもの元気が戻り次の外泊を楽しみにしています。
 読んでからF君に対する愛しさが込み上げました。今までは知り得ることもなかった存在であるF君を、施設に送り届けるとき、「よろしくお願いします。」と託す違和感を覚えはじめたのもこの頃からでした。ちょうどそんなタイミングに、養育里親への声をかけていただきました。
 主人に今度は、真摯に本当の相談をすると二つ返事で「ええんちゃうか。」と、意外でした。徹夜での口説き文句を用意していたのですが、拍子抜けでした。でもよく考えたら主人も外泊ごとにF君と関わっていたのですから、3人に似たり寄ったりの感情が湧いていて全く不思議はなかったのでしょう。そして絶妙なタイミングで声をかけてくださった里親支援機関のリーフの方々にしてやられ、見事な戦力に「落とされた」瞬間でした。
 養育里親への変更を施設の担当先生が泣いて喜んでくれたことを、後日うかがいました。F君は実親と暮らす縁には恵まれなかったものの、周囲の愛情を受けて今まで過ごしてきた果報者であることが、とても嬉しく思えました。
 週末里親から1年2カ月後、小学2年生の2学期にF君との生活をスタートしました。
 ここからはF君のことを息子と呼ばせていただきます。養育里親宅で暮らすことへの不安は、迎える側の私たちより、生活環境や転校による友人関係の変化がある息子の方がはるかにありました。特に「転校するのが嫌や!」とこの感情だけは転校当日の朝まで解決できませんでした。「父と母とはずっと一緒にいたいけど、学校は今のままの方がいい。意地悪されたら嫌や。」とよく言っていました。新しい学校で誰も知らないのに、自分一人が入っても友達ができないと思い込んでいました。「そうやな、ドキドキするよな。心配やんな。でも思い出してみてな。初めて父や母と会ったときも同じ気持じゃなかったかな?心配やってドキドキした気持ちが、今はどんな気持ちにかわった?」と息子に尋ねました。息子は「嬉しいドキドキに変わったよ。」と答えてくれました。「母も同じ気持やで。初めてF君に会うとき緊張してドキドキしたわ。でもドキドキするから『会うのやめます。』って言わんでよかった。あのときやめてたら、嬉しいドキドキに変わらんかったもんな。」と話しました。「友達できるかな?」という不安は持続しましたが、「絶対、大丈夫!」とその言葉を繰り返しました。
 結局、転校初日の帰宅時に息子が「ただいま~。明日も学校行くで。楽しかったから、もう転校せえへんで。」の一言でこちらも安堵しました。
 里親としての私の唯一の心配の種は、他の子どもからの質問でした。息子自身は里親である私達が本当の両親でないことを理解しています。転校前に里親姓でなく自分の姓を名乗ることを選んだのも息子でした。施設のある小学校では子どもたちも普通に里親のことを理解していましたが、転校先での小学校は私も卒業生ですが、周りや友達にも里親と生活している子どもがいないので、ちゃんと説明できるか、理解してもらえるかの不安はありました。
 ご近所さんは、週末里親のころから年の近い子ども同士遊ぶ機会があったので、里親を始めたことや転校のことも親同士で話したりして学校行事を教えてもらったりしました。大人のほうは結構噂で広まるだろうと、思っていたのですが案外皆さん口が堅くて、毎回同じ説明するのも面倒になり、転校後の学級懇談会の自己紹介で一斉発信させていただきました。
 息子もクラスの友達と遊んでいるときに、「俺のお母さんやけど、ほんとのお母さんとちゃうねん。本当のお父さんは病気で一緒に暮らされへんからな。ほんで俺のお父さんとお母さんの代わりしてくれてるねん。」と説明していました。その説明ですむ子もいれば、病気のことや母親のこと等、自分が疑問を持ったことをどんどん聞いてくる子もいます。息子が知っている範囲で補足しますが、それ以上は「おばちゃんも知らんねん。」で終了しています。
 先日も家で同級生と遊んでいて、「お前、すごいよな。俺、パパもママもおらんの想像でけへん。そんなん最悪や。」と話しかけられていました。息子の返答は「そうかあ、俺結構幸せやで。まあ、もうちょっと優しい方がよかったけどなあ。」と褒めていただいたのか、けなされたのか。とりあえず「幸せやで。」というところだけ、母の胸に都合よく留めさせていただきました。
 夏休みには、息子と旅行を兼ねて実のお父様との面会もさせていただきました。普段と少し違う照れた息子の様子から、小恥ずかしい思いでした。別れ際にお父様が「よろしくお願いします。」と頭を下げてくださり、お父様の複雑な心情を、施設に送り届けていた頃の自分と重ね合わせ、想いを共にできたように感じられました。今も1カ月に1回くらい息子から電話をかけていますが、お父様と話しているときの息子は、体をくねくねさせて小恥ずかしそうですが、嬉しそうです。私たちに話しにくいことはお父様にいつでも電話していいと息子に話しています。将来、必ずお父様の存在が必要な時期も来ると思うので、この関係を大切にしていきたいとも考えています。
 なんだかんだと養育期間も1年がたち、小学1年生で出会った息子も少々生意気な3年生になりました。研修中に同席していた方が、「思春期の対応をどうしたらいいか」と悩んでおられましたが、我が家の場合、まだまだ先の心配の種のようです。先日の就寝前の布団会議では、「頻繁におもちゃ屋さんに連れて行ってもらうにはどうしたらいいか?」ということが一番の悩みと申しておりました。
 これらの様々なできごとも息子と出会っていなければ、全部なかったことになるのかと思うと、里親やってよかったと思います。施設でのお別れのとき、「F君は諸事情あって、施設でのお別れが2度目です。さみしい経験を乗り越えてきたのも、里親さんと出会うための運命やったんかなあと思います。」とおっしゃっていただきました。ちょうど養育を開始した時期に、地球人口が70億人を突破したと新聞記事になっていました。息子とは血は繋がっていませんが70億分の1の出会いです。奇跡と運命で繋がっている私達は家族です。
 もし里親どうしようと迷っている方がいらしゃるなら、やってみた方がいいと思います。不真面目な私でもなんとかなってます。里親支援機関や子ども相談所の皆さん、そして堺市里親つながり会の仲間達のバックアップもありますし、やらないで悩む時は一人ですが、やってみて悩むときは家族が増えていますし、仲間も増えています。
 子ども嫌いの私が言うのも変ですけど、子どものいる生活って毎日が楽しいですよ。
 もっか息子と、「弟や妹が欲しいよね。」と共同戦略を計画し主人と交渉中です。泣き落としや猫なで声が通じなければ、最終的には兵糧攻めも画策して家族増加計画進行中です。

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子ども青少年局 子ども青少年育成部 子ども家庭課
電話:072-228-7331 ファックス:072-228-8341
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