このページの先頭ですサイトメニューここから
このページの本文へ移動
堺市
  • 音声読み上げ・文字拡大・ふりがな
  • サイトマップ
  • 堺市トップページ

北区 住みたくなるまち ずっと永く住み続けたいまち
  • くらしの情報
  • 区の魅力
  • まちづくり
  • 区の取り組み
  • 区役所案内

本文ここから

北区域歴史探索事業「三街道(竹内・長尾・西高野)写真展」について

更新日:2014年3月17日

 北区では平成25年度歴史探索事業の一環として「三街道写真展 ~竹内・長尾・西高野の今と昔(昭和)~」を平成26年2月14日から3月16日にかけて実施しました。
 このページでは実際に展示していた三街道の今と昔の写真をご紹介します。

竹内街道

概要

 竹内街道は、堺の大小路付近から金岡を通り、松原市・羽曳野市・太子町を経て二上山の南・竹内峠を越えて、奈良県葛城市の長尾神社に至る全長27キロメートルの最古の国道といわれています。
 最古のいわれは、推古21年(613年)に「難波(なにわ)より京(みやこ)に至る大道(おおじ)を置く」と記録されており、「大道」は、大阪馬場町付近を起点に、天王寺を経て、金岡神社あたりまで南下、金岡から東進しながら竹内街道と同じルートを通り、長尾神社を経て、当時の京がおかれていた奈良県の飛鳥に至ります。
 金岡町では、金岡神社から街道に沿う町会名が「大道町(だいどうちょう)」として今も使われています。

竹内街道の今昔写真

長尾街道

概要

 今から1400年程前、難波の宮と飛鳥の都をつなぐ街道が整備され、難波の宮の朱雀門から一直線の難波大道(なにわだいどう)と直角に交わるのが大津道(長尾街道)と丹比道(竹内街道)です。二つの街道は二上山の長尾峠で合流しています。
 難波大道の跡は堺と松原の境界で見つかっており、幅17mの大きな道だったと分かっています。難波大道が廃れた後も、二つの街道は残り、現在の堺大和高田線のルートが、長尾街道に並行または重なっています。

長尾街道の今昔写真

西高野街道

概要

 高野街道には東高野街道、西高野街道、中(上)高野街道と呼ばれる三つの主街道と下高野街道があり、高野山への参詣として、平安時代末から鎌倉時代初期に街道が開かれました。
 西高野街道は、堺の大小路と大道筋の交差点から東に進み榎元町で竹内街道と分岐し、関茶屋の北では河内・和泉の国境沿いを南東に進み河内長野市で四つの街道は合流後一本の道となっています。
 現在、西高野街道は堺区の大小路橋から高野山女人堂(にょにんどう)を結び、ほぼ1里(4キロメートル)、ごとに13基の里程石(りていいし)(里道標石(りどうひょういし))が建ち、全て現存しています。

西高野街道の今昔写真

PDF形式のファイルを開くには、Adobe Acrobat Reader DC(旧Adobe Reader)が必要です。
お持ちでない方は、Adobe社から無償でダウンロードできます。
Get Adobe Acrobat Reader DCAdobe Acrobat Reader DCのダウンロードへ

このページの作成担当

北区役所 自治推進課
電話:072-258-6779、(美化担当)072-258-6865 ファックス:072-258-6817
〒591-8021 堺市北区新金岡町5丁1-4

このページの作成担当にメールを送る

本文ここまで



以下フッターです。

堺市他区のホームページ

堺市北区役所

〒591-8021 堺市北区新金岡町5丁1番4号 各課などの業務内容・お問い合わせ先はこちら
開庁時間 午前9時から午後5時30分まで(土曜・日曜日、祝日、年末年始を除く)
Copyright © Sakai City. All Rights Reserved.
フッターここまでこのページの上へ戻る