このページの先頭ですサイトメニューここから
このページの本文へ移動
堺市
  • 音声読み上げ・文字拡大・ふりがな
  • サイトマップ
  • くらしの情報
  • 子育て・教育
  • 健康・福祉
  • 観光・歴史・文化
  • 産業・ビジネス
  • 市政情報


本文ここから

【本編】1600年の時を超えて 世界文化遺産登録をめざす百舌鳥・古市古墳群(シナリオ)

更新日:2013年7月26日

1:プロローグ -Prologue

『私(僕)たちの街には、古墳がある。』

2:古墳ってなに?

『僕の街には古墳がある。僕が生まれるずっとずっと前からある。でも…古墳ってなんだろう?』

 古代の日本。そこでは土を高く盛り上げた墳丘を持つ墓が数多く造られました。それが古墳です。古墳は3世紀中頃から8世紀はじめ頃まで、およそ450年にわたって造られ、その数は日本全国におよそ20万基ともいわれます。
 古墳にはさまざまな形があります。代表的なものは、鍵穴の形をした前方後円墳、丸い形をした円墳、四角い形をした方墳などです。
 古墳の発掘調査現場では築造当時の古墳の表面を保護していた葺石(ふきいし)が見つかることがあります。当時の姿を再現した古墳を見ると、墳丘は葺石で覆われ、埴輪で飾られていたことがわかります。かつての古墳は、今わたしたちが見ているものとまったく異なる姿をしていたのです。

3:百舌鳥・古市古墳群の魅力って?

『私の街には古墳がある。すごくたくさんの古墳がある。百舌鳥・古市古墳群の魅力ってなんだろう?』

 百舌鳥・古市古墳群は、堺市にある百舌鳥古墳群と、羽曳野市から藤井寺市にまたがる古市古墳群で構成されています。複数の古墳が一定の地域にまとまって築かれているものを古墳群と言います。日本各地には多くの古墳群がありますが、巨大な古墳と共に様々な形の古墳がまとまって築かれている点で、百舌鳥・古市古墳群は日本を代表する古墳群なのです。
 なかでも、百舌鳥古墳群において圧倒的な存在感を放つ古墳が仁徳天皇陵古墳です。墳丘の長さ486メートル、三重の濠を含めた長さは840メートルにも達する世界最大級の墳墓です。
 古市古墳群の応神天皇陵古墳は墳丘の長さ425メートル、濠を含めた長さは700メートルを超え、日本で2番目に大きな古墳です。日本の巨大古墳のトップ3の全て、トップ10の半数が百舌鳥・古市古墳群に属しています。百舌鳥・古市古墳群は5世紀を中心に造られました。百舌鳥古墳群には44基の古墳が現存し、古市古墳群には45基の古墳が現存しています。
 5世紀は、5世代におよんで中国南朝に朝貢したといわれる「倭の五王」の時代でもあります。百舌鳥・古市古墳群は「倭の五王」と、その親族や王に仕えた人々の墓が集まった古墳群だと考えられているのです。
 また巨大な古墳の周囲には陪塚(ばいちょう)と呼ばれる中小の古墳が築かれています。陪塚(ばいちょう)とは大型の古墳に葬られた首長の親族や臣下の墓です。
 古墳の大きさや形の違いは、葬られた人の地位や力の大きさを示していると考えられ、日本の古墳文化の特徴のひとつです。百舌鳥・古市古墳群は当時の社会構造を伝える貴重な証です。律令国家が成立する前段階に有力な首長の政治連合のもと、墓のあり方で統治するという世界でも珍しい統治形態があったことを示しています。
 百舌鳥・古市古墳群のもう一つ大きな魅力は、埋葬者とともに納められた副葬品の豊かさです。百舌鳥・古市古墳群からは、副葬品として、金銅製の装身具、金銅製馬具、鉄製武器などが出土しています。これらの品々には、中国や朝鮮半島などの影響が見られます。百舌鳥・古市の地に古墳がたくさん造られた5世紀の頃、中国には「宋(そう)」と「北魏(ほくぎ)」という二つの国があり、朝鮮半島では高句麗・新羅・百済・加耶のそれぞれが覇権を競っていました。その中で日本も朝鮮半島との関係を深め、鉄をはじめとする資源や、高度な技術がもたらされました。東アジアとの交流を盛んに行っていた時期に築かれた百舌鳥・古市古墳群は、日本が本格的な国際化の時代を迎えていたことを今に語りかけているのです。

4:何のために大きな古墳を造ったんだろう?

『僕の街には古墳がある。すごく大きな古墳がある。一体何のために大きな古墳を造ったんだろう?』

 仁徳天皇陵古墳は、総面積が46万4千平方メートル。クフ王のピラミッドをはるかに凌ぐ大きさがあります。
 当時の工法で仁徳天皇陵古墳を築造するためには、1日最大2000人、延べ680万人を動員し、15年8カ月もの歳月がかかるとも試算されています。これは古墳を造るだけの労力でこれにさらに埴輪の製作作業が加わりました。
 百舌鳥古墳群が築かれた頃は、大阪湾の海が今よりもずっと近くまで迫っていました。巨大古墳の威容と存在感は海上からも感じることができたでしょう。山を越え、都のある大和の地に向かう人々は、古墳群の壮大さに圧倒されたはずです。巨大古墳は、当時の人々に「王」の偉大さを視覚でアピールするためのものだったのです。

5:1600年間どうやって守られてきたの?

『私の街には古墳がある。ずっと私たちの街で守られてきた古墳。長い間、どうやって守ってきたんだろう?』

 百舌鳥古墳群の古墳の多くは、現在国によって管理されています。
 しかし、かつては付近の人々が墳丘の木を薪として使ったり、濠の水を灌漑用水として用いるなど、生活に利用することで古墳を守ってきたのです。古墳は暮らしの中に溶け込み、親しまれる存在でした。かつてそんな堺の街と古墳の間柄を象徴する出来事がありました。
 百舌鳥古墳群のほぼ中央にある「いたすけ古墳」。この古墳は昭和30年頃住宅造成工事で壊されそうになりました。しかし、市民が保存運動に立ち上がり、破壊をまぬがれたのです。そこから、出土した衝角付冑型(しょうかくつきかぶとがた)埴輪は、堺市の文化財保護のシンボルとして堺市博物館に展示されています。
 そして今も、古墳を守り、美しく保とうとしている多くの人々がいます。そのひとつが市民の皆さんによって結成された「仁徳陵をまもり隊」です。「仁徳陵をまもり隊」は仁徳天皇陵古墳をいつまでも美しくしていたいという願いを込めて、定期的に周辺の清掃活動を行っているのです。

仁徳陵をまもり隊 事務局長 草野利夫さん『小学校から高校生の方々や、70代から80代のみなさまが、延べ300名くらいが集まって清掃活動を行っております。地域の宝物である仁徳天皇陵古墳を末永く次世代までも守っていきたいという心の中でそういう人が集まっていただいていると思います。これからも地域のみんなと、一緒になって守っていきたいと思います。』

6:世界文化遺産に登録するための取り組みって?

『私の街には古墳がある。世界文化遺産登録をめざす大切な宝物。世界文化遺産に登録するためにどんな取り組みをしているのかしら?』

 世界文化遺産は世界のすべての人々が共有し、未来の世代へ引き継いでいくべき人類共通の「宝物」のことです。平成22年11月、百舌鳥・古市古墳群は世界文化遺産の候補として、世界遺産暫定一覧表に記載されました。
 堺市では講演会やシンポジウム、写真のパネル展を定期的に開催するなど世界文化遺産登録の意義と目的、そして古墳の魅力を理解していただく取り組みを推進しています。
 また、古墳の調査なども進めており、平成24年にはニサンザイ古墳の調査を宮内庁と同時に行いました。現地説明会には多くの見学者が来場し、改めて古墳に対する関心の高さが示されました。

7:エピローグ -Epilogue-

 百舌鳥、古市古墳群が築かれてから1600年。私たちはずっと、古墳とそこに葬られた人への畏敬の念を持って共に暮らしてきました。
 古代の人々が私たちに託した価値ある遺産を守り、次の世代へと受け継いでゆくためにも、堺市は大阪府、羽曳野市、藤井寺市と共に、百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産登録に取り組んでいきます。

『古墳は、私(僕)たちの宝物。』

このページの作成担当

文化観光局 世界文化遺産推進室
電話:072-228-7014 ファックス:072-228-7251
〒590-0078 堺市堺区南瓦町3番1号 堺市役所高層館5階

このページの作成担当にメールを送る

本文ここまで



以下フッターです。
Copyright © Sakai City. All Rights Reserved.
フッターここまでこのページの上へ戻る