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第2章 円筒埴輪とは

更新日:2012年12月19日

 円筒埴輪は、形象埴輪と比べてはるかに多くの数が用いられています。5世紀の百舌鳥古墳群では、たとえば仁徳天皇陵古墳(大山古墳)に幾重にも並べられた円筒埴輪を勘定すると、3万本も使われていたと推測されています。これほど多くの埴輪を用意するわけですから、作り方に一定のマニュアルを決めて、それにならいながら大勢の人が埴輪作りを行っていました。このマニュアルの内容は、新たに古墳を造るごとに少しずつ変わっていきました。そのためにこの作り方を比べることで、百舌鳥古墳群のなかで古墳を造った順番を明らかにすることができるのです。

 最初に、5世紀の円筒埴輪の作り方について簡単に解説します。
1 板の上に、ひも状にした粘土をらせんを描くように積み上げ、筒状のものを作り上げます。一定の高さに仕上がったら、板状の木製工具で表面をならし、成形します(1次調整)。この時、工具に年輪の凹凸があり、ならした後、埴輪の表面にハケで描いたような細い筋が多くできるので、この工程を「ハケ」と呼びます。この工程では、筒に対して縦方向になでるので、「縦ハケ」と呼んでいます。ある程度乾燥したら上に粘土を積み上げていき、上記の工程を繰り返します。

円筒埴輪外面調整模式図

2 筒状に仕上がったものに粘土の帯を貼り付けます。古墳や埴輪の大きさによってその条数は変わりますが、3から7条貼り付けられています。これを「突帯」(とったい)とよびます。突帯の間隔は古墳ごとにそろえられている場合が多いです。

円筒埴輪突帯の変遷模式図

3 突帯にはさまれた間の表面を板状の木製工具でならします(2次調整)。多くは横方向に行う「横ハケ」です。その後、ナイフ状の工具で窓をくり抜きます。あけられた窓を「透(す)かし」と呼びます。

4 乾燥させた後、焼きあげます。焼成方法には薪を積み上げて焼成する野焼きと穴窯による窯焼きの2通りの方法があります。次に、作り方の変化について時代ごとに解説します。ここでは川西宏幸氏の研究を基本にして述べます。2期 百舌鳥古墳群が造られはじめた頃にあたります。横ハケは、工具を動かし得る範囲を超えたときはいったん埴輪から離し、再度この工程を繰り返して行う「A種横ハケ」という方法を用います。突帯は突出しており、断面形が長方形となっています。透かしは長方形や三角形です。焼成は野焼きで行います。3期 2次調整は、工具を埴輪から離さずに連続して横方向に施す「B種横ハケ」という方法が登場します。A種横ハケと異なり、工具の静止圧痕が残されているのが特徴です。突帯は2期に比べると突出の度合いが弱まります。透かしは円形のものが主流となります。焼成は2期と同じく野焼きで行います。4期 2次調整はB種横ハケを施しますが、後半には2次調整を省略した縦ハケのものも登場します。突帯は3期のものより低くなる傾向があり、特に後半ではM字型のものや扁平なものが作られるようになります。透かしは円形です。焼成は、窯焼きが登場し、普及します。5期 2次調整を省略した縦ハケのものが主流を占めるようになります。突帯は扁平化が進み、さらには底部に最も近い突帯を貼り付ける際に親指と人差し指で連続してつまみあげることによって突帯を成形する「断続ナデ技法」が施されるものも作られています。透かしは円形です。焼成は窯焼きです。

円筒埴輪透かし穴模式図

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