吉川俵右衛門と堺の港
更新日:2023年8月21日
吉川俵右衛門(1730年~1810年) (『堺市史』第三巻より)
吉川俵右衛門(よしかわひょうえもん)は、宝永元年(1704年)の大和川の付替え以来、土砂がたまり、船の出入りに支障をきたしていた堺港の修築に功績のあった人物です。
俵右衛門は、江戸浅草の商人でしたが、商用で訪れた港の様子に一念発起し、堺商人の協力もとりつけて、寛政初年(1790年)頃に修築を開始します。その後多くの困難を乗り越え、文化7年(1810年)までのおよそ20年がかりで工事は完成し、現在の堺旧港の原型がこのときつくられました。
明治33年(1900年)、俵右衛門の功績をたたえ、堺港をみおろす北波止(きたはと)町に顕彰碑(けんしょうひ)が有志の手により建設されました。
2000年7月、俵右衛門の顕彰碑周辺を整備し、説明板をリニューアルしました。新しい堺旧港のシンボル「龍女神像」も間近で見ることができます。
地図情報は「堺市e-地図帳(外部リンク)」をご覧ください。
吉川俵右衛門顕彰碑
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