このページの先頭ですサイトメニューここから
このページの本文へ移動
堺市
  • 音声読み上げ・文字拡大・ふりがな
  • サイトマップ
  • くらしの情報
  • 子育て・教育
  • 健康・福祉
  • 観光・歴史・文化
  • 産業・ビジネス
  • 市政情報


本文ここから

常設展の概要

更新日:2012年12月19日

 堺市は、伝統ある歴史と文化を誇りとする町です。
 かつて、大小100以上の古墳が集まった百舌鳥古墳群には、仁徳陵古墳に代表される巨大古墳が数多くあります。海を渡ってきた人々は、権力者の力を見せつける巨大なモニュメントに、驚きの声をあげたことでしょう。しかし、いったい何人の人々が参加し、どれくらいの月日で、どのようにして造りあげたのでしょう。まだ解き明かされていない数々のなぞがあります。
 交通の要所として発展しつつあった堺の町が、応仁の乱の影響で遣明船の発着港となってから、会合衆とよばれる有力商人たちが中心となり、自由都市・貿易都市として栄えました。キリスト教の宣教師が「堺は日本のもっとも富める港」と記すほどの繁栄ぶりでした。この富を背景として文化が花開き、堺商人の一人である千利休が茶の湯を大成しました。アジアではもちろん、ヨーロッパからも注目される重要な役割をはたしていたのです。
 大坂夏の陣の余波により町は全焼しますが、江戸幕府によって堺の町域が広げられ、碁盤の目状に整備されます。江戸時代初め頃までは、生糸の貿易で栄えましたが、しだいに商業の中心は大坂へと移っていきます。古来の伝統でつちかわれた堺鉄砲の生産技術が、江戸時代の平和により終息していくと、煙草庖丁をはじめとして今日まで続く庖丁へと引き継がれていきました。ほかにもすり鉢・瓦・織物など、江戸時代の堺は職人の町・工業の町として成熟していきます。
 慶応4年(1868)につくられた堺県は後に大阪府に吸収されますが、明治22年(1889)に市制が敷かれ、堺市になりました。港が改修され洋式灯台が設置されました。レンガや自転車など、新しい製造業が生まれました。明治6年(1873)に浜寺公園が、ついで、幕末の砲台跡に大浜公園が開設され、大浜海岸は海水浴場となり、明治36年(1903)の第5回内国勧業博覧会で水族館が設けられました。大浜公園は潮湯場、少女歌劇が行われた公会堂など大阪近郊のリゾート地としても発展しました。
 堺市博物館では、常設展で堺の歴史と文化を紹介し、特に、2つのテーマ「仁徳陵と自由都市」に焦点をあてるとともに、様々な展示企画を実施しています。

このページの作成担当

文化観光局 博物館 学芸課
電話:072-245-6201 ファックス:072-245-6263
〒590-0802 堺市堺区百舌鳥夕雲町2丁 大仙公園内 堺市博物館

このページの作成担当にメールを送る

本文ここまで



以下フッターです。
Copyright © Sakai City. All Rights Reserved.
フッターここまでこのページの上へ戻る