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堺市
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平成26年度 第4回 堺市博物館活性化戦略会議

更新日:2015年7月29日

日時

平成27年2月4日(水曜) 午後4時から

場所

堺市役所 4階 庁議室

会議録

ミュージアムディレクター(市長)挨拶

竹山市長

 この堺市博物館活性化戦略会議も第4回を迎えて、いろいろな方々にご出席いただいてきた。今日は中西先生にご出席いただけた。私たちの堺市博物館を育てていただいた先生から、また新たな見地からアドバイスをいただけるということで、本当にいい機会を持てた。
 私たちは、この戦略会議を来年度も引き続いて開催し、「堺市の博物館はどうあるべきか?」「堺市の歴史や文化はどう発信すべきか?」について、しっかりと議論していきたい。そして課題を一つ一つ克服していきたいと思っている。本日の中西先生のお話も踏まえながら、皆さん方と創意工夫をこらして、子どもからお年寄りまでに来ていただけるような、皆に感動を与えられるような博物館にしていきたいので、よろしくお願いしたい。

案件 中西 進 堺市博物館名誉館長による博物館活性化への提言

中西名誉館長

 私が堺市の政策に関して発言させていただくことは2度目となる。昔、幡谷市長のときに、審議会で、市是である「住みよいまちづくり」をテーマにして議論したことがあった。「堺らしいところはどこにあるのでしょうか?」というような発言を若気の至りでしたことを覚えている。「『市内には電気自動車でなければ入れない』ということを考えてみてはいかがでしょうか」などと申し上げもしたが、「なかなかそれは難しい」という答えが返ってきたと記憶している。この間、ロンドンの市長が「ガソリンで走る車は要らない」と発言されたことが新聞に載っていたので、「私はもう20年も前に堺市長さんに申し上げた」「少し時機が早かったのかな」と思った。
 今日は、「堺の文化力」と「歴史文化の発信拠点としての堺市ミュージアム」という2つの大項目を掲げさせていただいた。それぞれ3つずつの項目でお話ししたい。

<1.堺市の文化力>

◆文化は最大の福祉

 まず、文化力について、私は「文化は最大の福祉である」ということをいろいろな所で言い通してきている。福祉という言葉は、通常、金銭的に豊かな生活あるいは精神的に安定した生活といったものを実現することを表すようであり、行政では経済的な手当てであるとか施策の設計をすることになるかと思う。ただしよく考えてみると、私たちの最大の心の安らぎというものは、金銭ではあがなえないものがある。どんなに金銭的に豊かな生活をしていても心が貧しいということもありうるし、反対に、心が豊かであれば経済的に貧しくても満ち足りて生活することができる。
 つまり、「最終的な福祉は何が担っているのか。それは文化ではないのか」と私は思っている。文化的に豊かでなければいくら金銭的に豊かであっても住みよい住宅に住んでいても、孤独に閉鎖的に生涯を終わることになるのではないだろうか。だから、「行政機関では、文化は福祉として考えるべきではないか」というふうに思っている。どうも「市にはいろいろな事業がありますので文化予算は少ないのです」ということを堺市以外のいろいろな役所でよく聞くが、それは間違いなのではないか。むしろ、文化は福祉課に担当してもらったらどうかというようなことも考えたりする。
 文化の力は、これからは福祉として認識していただくことによって、堺市の未来をめざした施策ができるのではないかというふうに思う。心身、心と体の福祉をめざすべきではないかと思う。

◆堺市の文化的存在意義

 それでは、堺市にとって、文化というものが重要だと考えるに足るものかどうかということが問われてくる。堺市として文化を存在証明のように考えることが妥当であるかどうかということが次に問題となると思う。
 幸いなことに、堺市は、この大阪地域において文化面で重要な役割を担ってきた場所である。仁徳天皇陵古墳をはじめとする百舌鳥古墳群のユネスコ世界文化遺産への登録を私たちはめざしているが、この巨大な日本一の古墳は、仁徳天皇の御陵だとされており、仁徳天皇は5世紀に在位した天皇である。この5世紀というものは、日本にとってどのような時期なのかというと、私は日本の最初の国づくりの時期であると考えている。
 私は、5世紀から700年のスパンを持って時代を見ており、まず5世紀から第1期が始まり、その次には12世紀からが第2期、その次には19世紀から第3期がそれぞれ始まる。今の日本は第3期の国づくりをしていると考えている。この国づくりの始まりである5世紀に、仁徳天皇陵古墳をはじめとする巨大古墳が造られて、それが堺市にあるということは、そこから発信される情報が疎かにできないということになると思う。
 次に、もうすぐ「さかい利晶の杜」という立派な施設ができるが、千利休という人は私たちが誇るべき先人であり、12世紀から始まる第2期の日本の国づくりの時代の前半の国づくりの混乱期である最後の時期に、言い換えれば、後半の安定期である徳川幕府開府に少し先駆けた時期において、利休の「わび茶」が出てくる。後半の安定期である徳川の治世にまず先駆けて精神的な安定のステージを示したものが利休の「わび茶」ではないかと考える。残念ながら権力者によって切腹させられたが、それは時期を考えると必然の運命だったかもしれない。第2期の日本の繁栄の出発にあたって登場したのが千利休だと考えることができる。
 さらに、与謝野晶子は20世紀の始まりとともに活躍した女性であり、『みだれ髪』という歌集は20世紀の始まりの時期に出版された。私は、晶子が歌人としてだけ顕彰されることにはいささか不満を持っている。晶子が偉かったのは社会的な自覚と運動だったと考えている。例えば、晶子は労使問題について発言をしている文献が残っており、「日本には労使問題というものは存在しません」と断言している。「なぜなら、労は使が抱え込み、労は使を支えるから、労と使は一体であって別だったことはないのです」と言っている。対立項としての労使は日本では問題にならないと大正時代に発言しており、ほとほと感心をしたことがある。私に言わせれば、お札になる女性の第1は与謝野晶子であった。樋口一葉ではなかったのではないか。もし堺市紙幣なるものが出せるのであれば、その第1号は与謝野晶子にしていただきたいと、秘かに市長にお願いしておきたい。
 このように時代の節目節目に、堺市には非常に優れた人が出て、日本の歴史が造られてきたということだ。そういう堺市においては、やはり何をさておいても文化力というものを基本の力と考えることが必須であるのではないか。このような確たる証拠によって、私たちはこれらを継承するのだと言ってよいと思う。
 特に私は、後でも触れるが、「地勢」という言葉をキーワードとして人に語っている。それぞれの土地には大地の勢いというものがあると思う。普通、地勢というとその土地の成り立ちなどをいうようだが、私はそれと違う形で「地勢」という言葉を使うべきだと思っている。10年くらい前から47全都道府県の66の小・中学校を回り、いろいろな児童生徒と出会った。そのなかで非常に活発な小学生がいた場所が2つあった。1つは熊本県熊本市の田原坂の小学校だった。もう1つは福島県の二本松市の小学校だった。ご案内のとおり、田原坂は、明治10年の西南戦争での田原坂の合戦で少年たちが活躍をしたところであり、二本松は、それに少し先立つ戊辰戦争における戦いで14歳の少年までが戦死をしたところだ。そういうところの小学生は、活発で積極的だった。それはいったいなぜだろうと考えると、「地勢」、大地の過去の歴史が抜けないで残されているからではないか。大地のDNAとして残されているものが「地勢」なのではないかと、その時に思った。
 今、申し上げているような「地勢」というものを考えると、堺市も、先ほどから申し上げたような仁徳天皇、千利休、与謝野晶子という人たちの業績が大地の勢いとして残っているというふうに思う。中国の鄭州(ていしゅう)には、鄭州大学があって、学長さんとお話をしたときに、学長さんは「鄭州は田舎でしてねえ。昔はここには首都があったんですがねえ」とおっしゃった。そこで私は「いやあ学長さん。それは違いますよ。ここは昔は都として栄えたところでしょう。その大地の勢いは必ず残っているはずだから、その発言には私は賛成しません」とお答えした。それが影響したかどうか分からないが、今私は鄭州大学の客員教授だ。「地勢」というものを通して見たときに、堺市の文化的な存在は明確な輪郭を持って、私たちが顕彰していかなければならないものであると言えるのではないか。

◆大・大仙公園構想-「シビック・プライド」を醸成する文化・学術のシンボルゾーンに

 さて、それではその文化力をどのような形として考えていけばよいのかということになる。私は常々、博物館において「大・大仙公園構想」ということを申し上げている。現在は仁徳天皇陵古墳から履中天皇陵古墳までが大仙公園である。私が驚いたのは、この公園が人工の緑地だということだった。人工的なグリーンゾーンである大仙公園をもう一回り大きくした「大・大仙公園」を堺市として構想してはどうだろうか。仁徳天皇陵古墳の西側にある、いわゆる「大阪女子大学跡地」も含めて、全体をひとつの公園にする、緑地化するということが未来の姿ではないかと思う。そうならないと不自然ではないだろうか。
 ユネスコの世界文化遺産の登録では、遺産の周りのゾーンを大切にするという考え方がある。最近、インドのタージマハールを訪れた。ここは本当に見事な文化遺産である。ところがその周囲は、思わず「ここにはバッファゾーンがあるのだろうか」と思うような、大変に混乱を極めた風景であった。新たに登録をするところが割をくっているような感じがした。かつては良くても今は厳しくなっていて、これは世界文化遺産推進室長が苦心されているところでもある。だから、「あれを世界文化遺産にしたのならば百舌鳥古墳群だって良いではないか」と、インドでつぶやいてきた。また、一昨年世界文化遺産登録となった富士山では、静岡県の三保の松原も構成資産となったが、ヨーロッパ的な「巡礼」の概念から疑問視された。しかし、日本では、西欧の概念では分からない「はるかな景色」「遠景」というものを身近に確実なものとして認識する伝統を持ってきた。伊勢神宮には「遥拝」という概念がある。九州にも伊勢神宮を「遥拝」するところがある。伊勢の二見ヶ浦は、なぜあの二つの岩が尊いかといえば、あの間から富士山が見え富士山の上に太陽が昇るからだ。たった一日だけだがそれで聖地になっている。遠景をさらに超えた「遥景」というものを認めているわけである。このような点を考えると、三保の松原は、やはり富士山と一体となったものであると当然なる。
 話を戻して、そういう点から考えると、将来の話になるだろうが、大仙公園と女子大跡地を一体化し二つの場所を引き裂いている道路を迂回させるとか地下に移すとかして、あの一帯を大きな緑地にすべきではないかと考える。そこに、一大文化ゾーンをつくっていくという考え方が「大・大仙公園構想」だ。そうしてはじめて、あの一帯は堺市民の誇るべき憩いの場になるように思う。
 まさにこれは、市長が常々おっしゃっておられる「シビック・プライド」、プライドとしての都市が、この地域の完成で実現するのではないかと思う。「シビック・プライド」は、とても重要であり賛成だ。私は京都に住んでいるので残念ながら堺に市民税は払っていないが、堺市の景観条例の策定に加わったことがあり、そのときにも「誇るべき景観は単に行政が守るのではなくて、そこに暮らす住民が守らなければならない。だから住民税は少々高くても良いのだ」と意見を述べたことがある。誰も賛成はしてくれなかったが、私は今でもそう思っている。それがまさに「シビック・プライド」なのだと思う。市長も同じ考えだと思っているが、堺にとって非常に大事な文化・学術の拠点、戦略的文化・学術のシンボルゾーンにすることは、適切な判断になると思う。
 ピースフルネスという言葉がある。これを「平和」とだけ見てしまうと国家間の問題で個人の問題ではないような気になる。家庭の場合は、「平和」などというと崩壊寸前の家庭になるので「安寧」という表現になるだろうし、住民の場合は、「幸せ感」「幸福感」というような言葉がふさわしいだろう。「緑のピースフルネス」をあの一帯に展開するということが一番の願いではないだろうか。そういうことから考えると、あの一帯が「大・大仙公園」として緑を共有するとともに文化ゾーンになるということがふさわしいのではないかと思う。その文化の中身については、次の大項目の一番最後の項目である「有形・無形文化財の拠点にふさわしい総合ミュージアムをめざす」というところで、お話をさせていただきたいと思う。

<2.歴史文化の発信拠点としての堺市ミュージアム>

◆公立博物館としてのミッションとは。地域に根ざす独自の文化の顕彰

 次に、歴史文化の発信拠点としての堺市ミュージアムについてお話ししたい。博物館の将来計画をどう考えていけばいいだろうか。堺市博物館は公立博物館である。これがどんなミッションを持っているのかといえば、いうまでもなく、公立であるから、地域に根ざした独自の文化を顕彰するということになる。このときに一番大事なものは、地域の認定ということが重要である。
 結論を言えば、「市の政策と市民とを結ぶ」ことがミッションの最初にして最後のものであると思う。堺市では幸いなことに市長がミュージアムディレクターにご就任されて、先頭に立って、このような戦略会議を開き、博物館の活性化について考えていただいている。このような市の取り組み姿勢は、博物館にとって、とてもありがたいことだ。戦略会議には、関係する副市長さん、局長さん、部長さんもたくさん参加されているので、市の総体的全体的な市の政策と博物館の事業とが結びついていくことができると思う。総体的な市政とそれを生活者として享受する市民とが存在しており、その間に位置する我々が独自の効果というものを発揮しなければいけないということになる。
 必ずしも数というものに限られるわけではないが、私が堺市博物館で館長そして名誉館長として仕事をさせてもらって7年目になるが、7年前は、だいたい5万人というのが年間の入館者の基準だった。そこで、「入館者をもっと増やそうではないか」と、歴代の副館長さんといっしょに腐心してまいったわけである。当時は、一つ一つの開催の間の期間が長すぎるということが課題になっていたので、開催期間を縮めていった。それだけではなく、生活者としての市民に向けて言葉が伝わるような情報の出し方にしなければならないということに気が付いてきた。つまり、従来のようなクローズドな施設としてではだめだということになろうかと思う。どこの地域でも、日銀の支店に次いで堅牢な建物が博物館であると皮肉られる状況がある。守り一方で文化財を守ってきたのがこれまでの姿だったと思う。
 極端な言い方をすれば、「本物が大事だ」というのであればそれはしまっておいて、バーチャルでもいい、レプリカだけでもいい。今いったことは極論だが、要は、「開く」ということ、「館の外へ向けて出す」ということが大事。このような仕事をいろいろな所で20年来やってきたので、貸し借りということを考えれば貸すのは損になる。必ず傷むからだ。そういうことも分かったうえで館の外へも出しながら、「開かれた博物館」をめざしたい。まず、見せ方が大事である。タイトルという言葉によって伝達をしていくことを重視したい。展示が持つ意義もタイトルに入れて伝達しながら見せるということが大事だ。さらに、展示を狭く考えてはいけない。展示ケースの中に入れて見せるという観点だけでは、これまでの「閉じた博物館」と変わらない。展示に合わせて音楽会や講演会などを企画し、「音楽会も展示の一環だ」ととらえて充実すればよい。
 このような考えで博物館を運営していただいたおかげで、今年は12万人をすでに超える来館者数になっており、私が来てから初めて10万人を超えることができた。今後とも、地域に根差した展示をさらに進めていかなければならないと思っている。幸いなことに、堺市博物館は所蔵品に恵まれていると思う。重要文化財が3点ある。例えば、観音菩薩立像は、残念ながら、両方の手の部分を失っているが、他に類例のない仏像であり、最古のものではないかと言われている。また、地域からの寄託資料の中には、非常に美しい仏像もある。

◆文化力の永遠の回帰性

 このように私たちは重要な文化財を持っている。文化財の特色は、永遠、エターナルということ、つまり時間や時代を超えたところに価値がある。「できごと」は一回で終わりだが、「できばえ」というようなものが残れば、これは永遠のものになる。文化財が大事と言うのではなく、文化財の持つ無形の力、文化力が大事であり、私たちはそこに感動する。時間と場所を超えて永遠に文化力を発揮する。
 文化力こそが、文化財を所蔵している博物館が持っている根源的な力であると思う。この力を市民の皆さんにどんどんお届けしなければならない。これを学芸員が中心になって担うことになる。学芸員は、専門的な立場から絶大な能力を提供して館の方針を出すという役割がある。その仕事に誇りと喜びをもって携わっていっていただきたい。もちろん、学芸員だけが担うものではないことは言うまでもない。博物館全体で文化力の永遠の回帰性を外へ打ち出していく、広めていくことをめざしたい。
 さきほどタイトルについて申し上げたが、ただ面白おかしくということではなく、何が本質なのかということを考えなければならない。2つの考え方がある。1つは、「博物館なり美術館が提供するものは主観を交えずそれだけを見せるのがいいのだ」という考え方である。しかし、これは全く読めない古文書をそのままにして「さあ、読んで」ということと同じだと思う。本物主義の人、「そのほうが本物に触れられるのだからいいのだ」という人もいる。私はこの説を取らない。まずはやさしく現代語に訳したものがあり、展示品を見ていただくことが大事だろう。見に来る人の手助けをする展示、方向性を示す展示が必要なことだろう。その意味でも、企画展などのタイトルには苦心しながら決めてきた。それが多少とも入館者数を増やすことに貢献しているのではないかと思っている。具体的な方向性として、永遠の回帰性というものをどのように導き出していくか、このような覚悟が大事なのではないか。そして、館長や市長の方針をもとにいいものにしていっていただきたい。各部署を超えた総合的な力でご支援いただきたいと思うので、皆さんにもよろしくお願いをしたい。

◆有形・無形文化財の拠点にふさわしい総合ミュージアムをめざす

 最後の項目になるが、私は、堺市博物館が有形・無形文化財の拠点にふさわしい総合ミュージアムをめざすことを強く希望している。有形文化財として仁徳天皇陵古墳をはじめとする百舌鳥古墳群があり、無形文化財に関係して、アジアにおける研究センターが幸いなことに数年前に堺市博物館に開設することが決まり、市長の決断によって予算も付けていただくことができた。先日、他の用事で文化庁にいったときに、「いやあ、堺市さんにはお世話になっております」と感謝の挨拶をいただいたところだ。館の前には旗をあげるポールが3本立っており、国旗、市旗とともに国連旗がなびいている。「国連旗がなびいている博物館は日本では堺市博物館だけだ」と、館の職員が自慢しているところだし、私もそう思う。他の館が真似のできないことをやっており、日本的な存在になっていると思う。
 古墳や無形の研究センター、このような有形・無形の文化財をしっかりと保護し発信している博物館の機能が一体になることが必要だろう。堺市の文化精神の高さと言うものを発信していくことだと思う。そうすると今のような「博物館」という言葉に規制されることがいささか疑問になってくる。「博物」という言葉は、江戸時代の終わりごろに平賀源内を中心としてできた言葉で、「いろいろなものを集めてくる」という意味で、いわば好事家の遊びから始まったような概念である。歴史的な過去の遺産だけを集めて展示するだけではもういけないのではないか。ご案内のとおり「美術館」というものも世の中にはある。両方とも英語では「ミュージアム」となる。美術館を併設している博物館もある。そのような館を比較してみると断然入館者数が違う。美術館のほうがはるかに多い。桁違いと言ってもいいくらいだ。分かりやすいし感動する量も多いのだろうと思う。
 先ほどふれた館にある日本最古の仏像といえども、「どんなふうに鑑賞したらいいのか」と戸惑う方もいらっしゃる。そのお顔のほほえみとか精巧な木彫りであるとかは素晴らしいものであるが、何回も見ないと分かりにくいものだ。モナリザが展示されればそれだけで何百万人と集まるだろう。そのような美術館機能も含めて、堺市のミュージアム、英語で言えば「コンプレックス・ミュージアム」をつくっていくべきではないかと考えている。そうすれば私たちが模索していることが成功するのではないか。
 のみならず、ミュシャの絵の保存形態も変わっていくのではないか。ミュシャの絵は素晴らしく、世界に誇るべきものだと思う。ミュシャは、チェコのプラハの誇るべき画家であるが、さらに堺市にとってもふさわしいと思うのは、グラフィックなデザイナーとして出発して、祖国が脅かされる戦争が起こると祖国に戻ってたいへん勇敢な愛国者になったことだ。このようなミュシャの社会的な関心は、与謝野晶子の社会的な関心と非常に似ている。通ずるものがある。晶子も最初の歌集『みだれ髪』をはじめ本の装幀に使い、最後まで手放さなかったのは、晶子の社会的な関心がミュシャと一致していたということからだろうと思う。このような点から考えても、晶子の館とともに、「ミュシャ美術館」なるものを堺市ミュージアムのひとつの分館として、大阪女子大跡地など開設してはどうだろう。赤い煉瓦造りで蔦が茂っているような風情がいいと思う。
 総合施設としての堺市ミュージアムこの「大・大仙公園」の中につくることが必要ではないかと思う。もちろん、ガイダンス施設が必要であり、まず早急にあそこに整備しなければならない。無形の研究センターも含めて、有形・無形の文化財を統括するような複合ミュージアムをつくることで、先に申し上げたようなピースフルネスな自治体となるのではないかという気がする。もちろん、これには中・長期の計画が必要だろう。
 美術館として何を顕彰していくかと考えたときに、都市にとって大切な産業という面を忘れてはいけないと思っている。堺の産業をどのように堺市の博物館機能に組み入れるか。例えば、昔の農具を展示するということがある。さらに、目に見える具体的なモノだけのことではなくて、堺には中小企業が多く、特有の美を持っている。これをしっかりと保存していく支援していくべきではないだろうかと思う。以前に「けし餅」について書いたことがあるが、餅という伝統的な和菓子に「けし」が入っているという点、まさにこれが堺という国際的な交流の歴史の中からできてきたものだ。「けし餅」の中に堺の歴史が入っている。自転車もさかのぼれば鉄砲や古墳時代の金属加工にいきつく。千年、二千年あまりの歴史をたどって堺市の今がある。私は、堺のつくった爪切りでないと爪を切れないということでずっとそれを使っている。些細なことかもしれないが、そのような小さくてもキラリと光るものが日本を代表するものだと誇るような産業の育て方を考えたい。大企業ばかりがすべてではない。小規模でも地域にかなった企業を大切にしたいと思う。

意見交換

竹山市長

 私は今日、「メディカル ジャパン 2015 大阪」<注>という医療器具の展示会に行った。堺の企業が何社か出展しており、やはり、堺のものづくりの技術、金属加工の技術が微細な技術にまで及んで進歩していることがよく分かった。これが、まさにものづくりの「地勢」ではないかと思った。そして、やはり文化力を高めていくことは、市民力を高めていくことが必要であって、市民がいかにして自分の知恵や知識を共有しあえるか、これが文化の力につながっていくのだと思っている。個人の財産ではなく共有できる財産になるところから、文化力が高まっていくのではないかと思っている。市民力の強化は災害のときだけではなくて、文化を向上するときにも大事なんだと思う。ぜひそういう意味で、先生からサジェスチョンいただいたことを活かしていきたいと思った。
<注>リード エグジビジョン ジャパン株式会社が主催、関西広域連合が特別協力したイベントで平成27年2月4~6日にインテックス大阪で開催。市長もテープカットに参加。

中西名誉館長

 堺の刃物は素晴らしく繊細な切れ味を持っている。堺独特の技術ではないか。

竹山市長

 植木ばさみなどでも、切れるところの曲面に本当に微細な加工をほどこしてある。職人技、堺ならではの凄いテクニックで、これがまさに「堺の匠のDNA」だと私は思う。

商工労働部長

 市長にもご覧いただいた「メディカルフェア」でも堺の中小企業がキラリと光っている。商工労働部では堺の中小企業とお付き合いをさせていただいている。非常に厳しい時代ではあるが、皆さん頑張っておられる。「シビック・プライド」と同じように、クラフトマンとしてのプライドが大事だと思う。伝統産業の後継ぎの方をどう育てていくかという、後継者の育成が今の我々に課せられた大きな任務だと思っており、そのためには、クラフトマン、匠の人の「志」が大事だということをつくづく感じている。DNAと未来。過去を振り返りながら未来を見るという作業が大事だと思う。

広報部長

 今日は非常に面白い視点を教えていただいた。地域に根差した文化をつなぐ機能が博物館にはあるという点で、かつての文化とか歴史の残像を飾るという博物館ではなく、次の世代の市民に「地勢」の内容を具体的に伝えていく拠点にするということになる。そうすると博物館での展示や見せ方もすっかり変わっていくのではないか。市民が参加をし、市民力を発揮できるような機能や仕掛けづくりについて、どう工夫し考えたらよいだろうか。

中西名誉館長

 市民参加はいろいろな面で可能だと思う。一つ重要なことをお願いし忘れていた。堺市博物館は既成のもので空間が100%埋まっている。従来型の博物館だ。今の時代の博物館には、もっと自由な空間がもっと必要だ。例えば、展示を見ながら絵を描いてもらえるようなスペース、その絵を展示できるスペースなどだ。そのために、館でも既成のものを工夫して、今までの研修室のような部屋を改修して「ホール」と名前を変えた。防音のために壁を厚くしたり扉を2重にしたりと、私が見ていても涙ぐましい努力を職員にはしてもらっている。そんな工夫を一つずつ進めていっている。私は「予算がないからできません」という人は嫌いだ。「なければないで、できるような工夫をしたらどうなの」と言う。ただ、今の堺市博物館は、常設展示を片付けて特別展や企画展を開催している。堺では常設展示も大事なので、アネックス、分館があればと思う。そこは市民力の拠点にもできる。

副館長

 博物館は狭い、狭いとよく言われているが、まだまだ使いきれていない場所や空間がたくさんある。1つずつ工夫して活用できるようにしていきたい。

学校教育部長

 「地勢」のお話の中で、田原坂や二本松の小学校には勢いがあるというお話があった。田原坂や二本松の事例のように、利休や晶子などの偉人や堺の歴史は「地勢」につながるがどうか。子どもたちが地域に誇りや愛着をもち、地域を大切に思う心を育てることについて、お考えをお聞きしたい。

中西名誉館長

 利休は具体的なことを起こした人であり物が残っているが、晶子はたくさん作品を書いたので残っているが、文学者はほとんど物が残らない。私も各地で文学館の仕事に携わってきており、今も3つほど関わっているが、文学が展示に向くのかと言われれば本当は向かない。老眼鏡やペンを飾るとかになる。心や精神や理念をどう伝えるかが大事になる。各地には偉人館や先人館があるが、郷土の企業人を顕彰しなくてよいのかと常々思っている。
 現在、富山県のミュージアムで仕事をしているが、そこでは、郷土の偉人も顕彰の対象としている。タカジアスターゼを発明した化学者の高峰譲吉やセメントで有名な実業家の浅野総一郎などのブースもある。「どのような苦労をして成功を収めたか」というプロセスを「これは一つの物語ではないか。物語は文学の一番の根幹なのだから、物語としてその方たちの生涯をとらえ、むしろ、これを忘れるべきではない」という思いで展示している。企画展のテーマとして「浅野総一郎の生涯」もありえると思っている。堺でいえば福助の創業者やヒストリックカーやミュシャの絵を寄贈していただいたカメラの土居さんも、彼らの生涯と言う物語を文化遺産として後々の人に伝えるということは大事なことではないかと思っている。これは偉人館がなければできないかというと、必ずしもそうではない。博物館でもできると思う。

竹山市長

 大阪商工会議所の企業家ミュージアムは、まさにそういう意味があるということだろう。

中西名誉館長

 大切なお考えだと思う。実業家を顕彰するということは、その地域の使命かもしれないだろう。

狭間副市長

  「展示というものをもう少し広くとらえないといけないな」という思いがする。例えば、音楽会も人を寄せるために開くというものではなくて、それも一つの展示であると考えて開くことができると感じた。それから、今度オープンする「さかい利晶の杜」も展示には苦労しているし、これからも苦労すると思う。利休は物をつくったけれども堺にはほとんど残っていないので、利休と堺のまちとの関係や利休が作り出そうとしていた思想や精神を展示で表現するむずかしさがある。文字で書いてもなかなか限界がある。そういう展示のとらえ方に悩んでいたが、今の先生のお話をお伺いして、「茶の湯のお点前そのものも展示だと思えばいいのかな」と思った。展示というものの幅の拡げ方をどのように考えたらよいかお教えいただけたらありがたい。

中西名誉館長

 おっしゃる通りだと思う。利休が何を伝えたかったのかと言うことを受け取って、その見せ方が大切だ。館の役割、使命だろう。具体的に利休について言うと、昨年1年、ある月刊誌に連載をして、利休が考えたいろいろな言葉を取り上げた。極めて高い思想性があった。これは十分にビジュアル化できるものだと感じた。「つくばい」は「つくばう」、つまり「うずくまる」とか「平伏する」という意味があり、「にじり口」は、「にじる」、膝行には「座ったまま前に進む」という意味がある。これらを美学にまでするという利休の思想の凄さがある。これを分かりやすい形にして見せることだろう。しかし、これを嫌う人もいる。「それは意見の押し付けではないか」と言う。しかし、私は、そうではなくて、節度ある適切な解説は大事だと思っている。晶子も同じだと思う。

報告事項

1)堺市博物館・みはら歴史博物館 平成26年12月までの入館者数について

2)その他

◆堺市博物館企画展「不思議の国へようこそ-西洋古地図の中の日本-」について
◆無形文化遺産理解事業「南インドの社会と音楽・舞踊」について

(なお、報告事項については配布のみで質疑応答はありませんでした)

ミュージアムディレクター(市長)挨拶

竹山市長

 今日は中西名誉館長に素晴らしいお話を聞かせていただいた。言葉一つひとつに思いと哲学が入っているので、いろいろと考えることができた。私たち自身がやはり少し立ち止まって考えることは非常に大事だ。行政という仕事は非常に忙しくて、即断をしなければならないことが多いが、ゆっくりと考える時間を持つことも大事だと思う。まさに文化だ。先生にお教えいただいたことを活かしながら、私たちの文化行政を進めていきたいと思う。ありがとうございました。

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このページの作成担当

文化観光局 博物館 学芸課
電話:072-245-6201 ファックス:072-245-6263
〒590-0802 堺市堺区百舌鳥夕雲町2丁 大仙公園内 堺市博物館

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