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堺市
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平成26年度 第3回 堺市博物館活性化戦略会議

更新日:2015年7月29日

日時

平成26年10月14日(火曜) 午後2時から

場所

堺市役所 4階 庁議室

会議録

ミュージアムディレクター(市長)挨拶

竹山市長

 日曜日に少し時間ができたので、博物館の特別展「日本発掘」を見てきた。日本全国の考古資料を展示する事業を堺の博物館でやっていただき、非常に光栄であると思っている。堺市は、歴史文化をしっかりと守っていくという姿勢をこれからも貫いていきたいし、市民の皆さんがそれに共鳴していただけるような土壌もつくっていかなければならないと思っている。今日は鷲田先生から、さまざまな角度から博物館のありようについての問題提起をしていただけると思うので、ぜひ。先生と一緒に考えていきたい。

案件 鷲田清一さん(哲学者 せんだいメディアテーク館長)による博物館活性化への提言

鷲田さん

 現在、大谷大学に勤めながら、月に1回、4・5日まとめて、せんだいメディアテークに行き、非常勤の館長として仕事をしている。私は、非常勤職はどこまで責任を持てるか心もとないと思っているので、あまりお引き受けしないことにしているけれども、東日本大震災が3年半前にあって、どういう形であれ、お手伝いできることがあれはという思いで、お引き受けした。
せんだいメディアテークは、市民活動の支援を行う複合文化施設であり、ミュージアムではないが、年に1度、大きな美術展覧会を開いている。仙台市立の図書館も入っているので、年間の入館者は百万人を超える施設となっている。
 博物館の課題や将来の方向性について、どれだけ皆さんのお役に立てるか非常に心もとないが、「市民とミュージアムをつなぐ」ということについて、博物館や公立の文化施設が、現時点で、そして、今後、社会や都市行政において持つ意味や意義について、お話ししていきたいと思う。

◆都市のプライド

 今日、堺市博物館を見学してきた。改めて、堺の歴史について知らないことがたくさんあると思った。歴史の厚みに驚いた。私は京都市に生まれて、これまで京都市で暮らしてきたが、堺には平安京どころか平城京よりも古い歴史がある。16世紀にヨーロッパで描かれた日本地図では、都(=京都)と堺という二つしかまちの名前がないという、日本の都市の象徴のようなところもある。ルイス・フロイスが「日本のベニス」と呼んだこともある、日本における国際的な貿易都市の先駆けでもあった。
 これまで、私が堺に対して抱いていた一番のイメージは「自治都市」「自由都市」であり、ヨーロッパの都市が石壁で囲われていたように、濠に囲まれた都市の中で、商人が中心になって自治的な都市運営をしていたというものだった。また、1931年は大阪大学が創立された年だが、この年に日本で初めての公的な市史である『堺市史』を発刊したことも印象的だ。これも「都市のプライド」のさせる技だと思う。
 堺に少し遅れて、江戸時代には大坂が自治的都市として発展していった。大きな都市の中では武士が少ない都市で、たしか30人に1人くらいしか武士がいなかった。今の区長さんにあたる「年寄」は、市民が選挙で選んでいた。しかも、その人たちが都市運営、財政、土木などの全てを担っていた。
 そういう意味では、近代以前の近世に、京都も含めて関西は、自治都市という形をとっており、関西人が一番誇るべきところだと思っている。堺人、大阪人、そして京都人も含めて、関西の町民のプライドというものは、「大事なことはお上に任せないで自分たちでする」ということだと思う。私自身、大阪大学の総長をやっていたこともあって、大阪にある「大事なことはお上に任せない」という歴史を大事にしてきた。

◆寄付の文化

 寄附の文化も発達していた。戦後、大阪に対するイメージが変わってしって、大阪人は「ケチだ」「がめつい」というイメージが定着してしまったが、歴史を見れば、大阪人ほど気前の良い町衆はいない。始末はするし無駄金、死に金は使わないで合理的にお金を使う。大事な事には金を惜しまないで出した。江戸時代から、大阪の川に架かっている橋の半分は寄附でつくられた。江戸では、昌平黌という官立の学校がつくられたが、大坂では、懐徳堂も適塾も町民がお金を出し合ってつくられた。明治時代になると、中央公会堂のような市民の集会所のほうが当時の市役所よりもはるかに上等な建物であり、それも市民の寄附で建てられた。
 大学もそうで、大阪大学が中之島に、大阪外国語大学が上本町に、それぞれできたときも、土地は民間から提供していただいた。大阪外国語大学は建物も寄附してもらった。だから、大阪大学は帝国大学といっても私立の大学みたいなものだ。東京よりも大都市になった大正時代の大阪にとっては「大阪に帝国大学を誘致する」ということは悲願であったのだが、「関西にはすでに京都帝国大学がある。関東には1つしかないのになぜ関西に2つも必要なのか」と国は見向きもしなかった。そこで、知事、財界の方々みんなが力を合わせて陳情して、やっと昭和6年に大阪帝国大学ができた。「土地と建物は全部こちらで用意する」「むこう3年間の運営資金も8割がたは、われわれで面倒を見る」という、まさに民間の力でつくっていただいた。大阪大学は、むしろそのことを誇りに思ってきた。大阪城天守閣の再建には市民の寄附があった。最近でも、大川の桜並木、繁昌亭がそうだ。
 大阪でずっと続いてきた寄附文化の素晴らしさも、私が訴えてきたところだ。

◆関西の地盤沈下

 関西の地盤沈下が言われて久しい。日本の中での存在感は落ちてきている。奈良も京都も元「都」であり、それをしのぐほどのプライドを持てるものがなく、少し屈折している。例えば、京都の人は「最近の京の町は汚のうなりましたわ」という形で自らの美意識の高さを示す。以前、高校生の放送部のコンテストにかかわったときに、奈良の放送部の女子高校生は「今や滋賀にも追い抜かれる」という危機感を持っていて、「奈良で自慢できるものは何かないか」と必死で探したら「ピアノの保有台数が日本一だ」ということを見つけてくるなどしていた。そして、彼女たちが言うには、「うちらの近所は日本史の教科書にいっぱい出てくる」「日本史の最初のほうはうちらの近所の話ばっかしや」というもので、それが最後の拠り所になっていた。大阪の人は、そこは屈折しないでストレートに言う。友人の佐々木幹朗という詩人に教わったのだが、大坂の人は悪口を言われると、「そやそや、そやから大阪はあかんねん」と悪乗りして受け入れてしまう。でも反省はしていない。「ここまであかんのは大したもんやろう」とまで言う。
 大阪も京都も奈良も昔は都だったが、現時点では辛いものがある。

◆都市のプライドに必要なものは歴史

 私は、「都市のプライド」「市民のプライド」というものは、歴史を知っていることが重要で、「歴史の中からしか汲み上げなれないのではないか」と感じでいる。歴史という点では、大阪、京都、奈良以上に、堺は歴史の厚みを持っている。単なるローカルな場所としてではなく、国政の中心であったとか、国際社会での窓口であったとか、都市のサイズ以上に日本の歴史の中で存在感があるとあらためて思う。堺市民のプライドは、そこに根を張っているはずだし、また、張り続けていないといけないと思う。
 そういう視点から見たときに、「都市のプライド」を支えるために大事なもの、「市民のプライド」の源泉としていくためにどうしても必要なものが2つあると思う。一つ目はアーカイブ、いつでも歴史を調べることができる資料庫であり、二つ目はまつり、地域の心の支え、ハレの場である。
 歴史を語るときに「これはわれわれの歴史なんだ。お上の歴史ではないんだ」と言えること大事だ。野球にはプロ野球と草野球がある。日本の野球のレベルが高いのは、草野球の土壌があって、その中でしのぎをけずった選手によってプロ野球が存在しているからだと思う。「大阪がお笑いのまちだ」というのも同じ構造だ。市民の会話自体がお笑いの構造を持っていて、そんな中でプロとして認められようとするならば、相当なことをしないといけないし、お金を取れる芸人にはなれない。いずれの例も、市民の中に豊かな土壌があることが力の源泉だ。同じことが歴史についても言える。
 アーカイブには、お役所がその力を使えるだけ使ってつくった「正史」とともに、草野球にあたる「野史」、市民が自分たちで語り継ぐ歴史としての「野史」の二つが存在する。「野史」という豊かな土壌があって初めて「正史」に魂が込められ豊かになると思う。堺や大阪、京都など歴史に地力のあるまちに共通することは、いつも外から支配者が来て、入れかわり立ちかわり戦争をして、まちをぐちゃぐちゃにするけれども、市民の知恵と技でまちを、自分たちの暮らしを守ってきた歴史があるということだ。その中で、支配者の「正史」ではなく自分たちの歴史である「野史」を語り継いできた。それは文書であり、しきたりであり、工芸品という形もある。「野史」をしっかり持っているまちは、プライドが持てるまちだ。アーカイブとしての博物館は、「正史」と「野史」の双方を持っていて初めて、市民の方々が「ああ、このまちに博物館があってよかったなあ」「ここは自分たちのための場所なんだ」という意識を持てるのではないだろうか。

◆市民力の低下

 最初に申し上げたように、堺のまちは「自由都市」「自治都市」で、市民が行政のお客様ではなく、「市民が都市の主(あるじ)である」という意識を持っていて、自分たちの「野史」を持っていて、歴史について物語れるというまちだと思う。
 大阪の適塾で勉強した福沢諭吉は、明治政府ができてまだ10年も経っていないときに、「人民は『主客二様』の役を務むるべきものなり」という警鐘の言葉を残している。「主客二様」とは、近代の市民社会の時代には、市民は、普段は行政サービスを消費するお客さんでいいのだが、いざ行政サービスが劣化したり機能が停滞したりしたときには、いつでも主に戻って、「そんなやり方ではあかんのだ」と問題を指摘したり、「こうやったらどうか」と指示したり、場合によっては「お前たちには任せておけん。わたしたちがリスクをしょってやるから税金を下げろ」と言ったりできなければいけないということを表現した言葉だ。しかし、日本の人民は、新政府ができて10年も経たないのに、郵便やガス灯をはじめいろいろな行政サービスができたとたん、「新しい政府はようやってくれるわ」「ありがたいな」と言って受け身の姿勢に変わってしまっている、これではいけないと、福沢諭吉は指摘した。
 その福沢が今の日本の市民のあり方を見たときに、何と言うだろうか。明治以降この150年ほどで、日本は成熟してきたのに市民力は劣化していくばかりだったように思う。なぜそのようなことが起こったのか。明治政府は、「日本が西洋の植民地になってしまう」という強い危機感を持っていて、「西洋に追い付け追い越せ」を至上命題にした。そのとき、国力の増強には、議会や産業などのしくみづくりと同時に国民の体力や知力の向上が必要だった。私が「命の世話」と呼んでいる、生きていくために必要なもの、食材の確保と流通、排せつ物の処理、出産の手伝い、子育て、教育など次世代を育てること、そして、医療、看護、介護、看取りなどは、それまでは民間で相互にケアしあっていたのだが、明治政府以降は、国力の増強のために、国がプロフェッショナルを要請して全部引き受けるという仕組みに変えた。これが大きな要因だったと思う。
 医学校をつくって医師を養成し、必要な試験をつくって資格を与え、医療行為を国や自治体がつくった病院で行うというように、医療行為は国民がしてはいけない、プロにやらせるということにした。知力を育てる教育も、国が教員を養成する師範学校をつくり、そこを卒業した者に資格を与えて、学校をつくってそこで教えるという仕組みにした。不特定多数の人に食事を提供していいのは、保健所の許可を得た調理師免許を持った人だけに限った。免許を持たない人がやれば犯罪になる。
 このように、「命の世話」をするのは、国家資格を持ったプロフェッショナルが担うことになった。その結果、今やヨーロッパを完全に追い抜いて長寿社会になった。ヨーロッパの数倍のスピードで長寿化し世界一になった。日本の教育レベルは、今は少し陰りが見えるが、最近まで世界のトップを走っていた。また、停電の起こる率や郵便の遅配率の低さ、電車の発車時刻の正確さなどは、今でも世界一だ。女性や子どもが深夜に街を歩いても滅多な事では犯罪に会うことがない、こんな安全な町というのも世界にはそうそうない。このように都市生活のクオリティが上昇した。「命の世話」をプロフェッショナルにやらせるという手法によって、西洋列強を一挙に抜いてしまった。

◆市民力を復元するには

 一方、ヨーロッパでは、日本のようなことをしなかった。「命の世話」を全部国に任せ、それに対して税金を払うのではなく、大事な部分や身近な部分はコミュニティがするという余地を残してきた。理由ははっきりしている。ヨーロッパでは、言葉も文化も違う諸民族が地続きであり、絶えず戦争で国境が変わり、国の支配者が変わるということを経験してきた。自分たちの上に来る国の形態や支配者が変わっていくので、国に全てを委ねては危ないからだ。だから、市民でできるように力をコミュニティに蓄えておいた。その中心になったのが教会だった。教会や職人のギルドという中間集団が力を蓄えて、全部を国に渡さなかった。日本のように全部プロがやるというわけではなかったので効率は悪かったけれども、いざというときはいつでも自分たちができるという利点もあった。そういう形で市民力を保持し続けてきた。
 日本では、今や出産の手伝いは誰もできないし、食材を自分たちで調達するわけにもいかない。下水道が詰まっても自分たちではできない。亡くなった方の清拭をできる方もまちにはいない。今や、市民ができることはクレームをつけることだけだ。クレーマーは特別な存在ではなくて、今はクレーマーにしかなれない。福沢諭吉が言ったように、公共のサービスが劣化したら「お前たちには任せておけん。わたしたちがリスクをしょってでもやるから税金を下げろ」と言えてこそ主なのだが、自分たちでできないので、「税金やサービス料は払っている。こちらに落ち度がないのだからお前たちが悪い」と言うしかない。クレームをつけるというのは一番の受け身の行為だ。なぜなら、それは「安心してシステムにぶら下がらせてくれないと困る」という依存の要求だからだ。
 そういう意味で、本当に市民の自治、市民が主である近代市民社会の運営のためには、150年にわたる「おまかせの歴史」を書き換えていかなければならない。市民力をもう一度蓄えていくことがこれからの課題だ。東日本大震災から3年半たつと、あの直後の緊張感も薄まりつつあるが、福島第1原子力発電所の爆発直後には、「東日本壊滅か」という恐怖感が一瞬あった。「もし、西日本でも同じようなことが起きたら、もう私たちは日本から脱出しなければならないのでは」という思いを持ったはずだ。
 施政者が変わる場合だけでなく自分たちが難民化して生活の場が変わる場合でも、お互いに「命の世話」ができる、自分たちの歴史を語れる、この二つのことは大事だ。

◆せんだいメディアテークの実践

 せんだいメディアテークは、2001年に開館した。とてもユニークな建物で、最初はそれだけで有名になった。「垂直の柱がない」「壁がない」「覆いがない」施設で、ガラス張りで外からも良く見え、中は壁がないのでとても開放的だ。図書館を利用する高校生も、わざわざそういう開放的な場所にきて勉強している。そうすると、大人たちがどんなことをしているかが耳に入ってくる。それが逆に良い雰囲気になっている。もちろん館長室もないので、いつも丸見えの所で仕事している。
 開館前、宮城県知事と仙台市長が立て続けに不祥事を起こして、市民の側に「我々が政治の主人公にならなければ」という意識が高まっていた。そこで、行政が何かをするのではなくて、市民の自発的な活動をバックアップする施設として、資材を貸す、スペースを貸す、事業のノウハウを提供する目的でつくられた。仙台市は、一時期まで日本のNPO活動の最先端を行っていた都市だった。市民活動団体と仙台市行政とが対等の立場でチームをつくって、市役所の職員も現場感覚を持ってもらうためにスタッフとして入っていた。さらに、NPOが政策的な提案もできるように支援をした。
 ただ、先進的な都市ほど気が付いたら最後進になってしまうことが多い。先進的なモデルを始めると、それが全国に広がり、影響を与える中で、他の都市はさらに知恵を加えてどんどん進化していくからだ。絶えず自分の殻を破っていかなければ先進を続けることはできない。開館して10数年が経った今、あらためてミッションと機能を再確認すべき時期に入っていると思う。

◆「野史」のアーカイブづくり

 先ほどのアーカイブについて、3・11東日本大震災以降、せんだいメディアテークが取り組んできたことをお話ししようと思う。大震災に関する「正史」は今、国でつくられつつあるので、われわれは、「野史」、つまり、仙台市民が経験したことを精力的に集めている。市民が自分たちの被災体験を語るという映像をアーカイブの中に入れていっており、すでに何百点かはDVD化して一般にも見ていただけるような形にしている。大震災の日に市民が携帯電話で津波や被害状況を撮った映像も公募している。被災後、初めて食べた食事を映した映像も集めている。これは市民の皆さんにも好評だ。
 もう一つ、大震災とは直接関係はないが震災後にやり始めたことがある。博物館と協力して、「どこコレ? 教えてください昭和の仙台」というプロジェクトを行っている。博物館に保存されている昔の写真をメディアテークで月に1回張り出して公開し、「これどこ?」と尋ねる事業だ。田舎のあぜ道や里山の写真、市内のすでに取り壊された建物など、今の学芸員にはどこの場所を撮影した写真か特定できないものがたくさんあるので、市民の人に知っている情報を書き込んでもらう。「このころを知っている隣のおっちゃんがおるから、今度、連れてくる」という書き込みもある。そして、場所が確定したら「調査完了」の判子をボンと押して知らせていく。博物館とメディアテークが協力して初めてできる事業であり、市民の人にものすごく喜ばれている。「俺のおかげでこの調査ができた」という気持ちになるし、このことがきっかけで、昔の友達に声をかけて連れてくることができるからだ。市民は、「野史」、自分たちの町の歴史には能動的に関わってくださる。メディアテークでは、そのような「野史」をつくることを積極的に行っている。
 市民が自分たちの歴史を語るためにはどういう場が必要かを考えていかないと、行政側からの取り組みばかりになってしまう。それでは、市民は受け身の形にしかならない。博物館は、図書館やアーカイブ施設といっしょになって、市民が能動的に自分たちの歴史を語るための学びができる場づくりをしていくことが重要だ。これからのもっとも大きな課題ではないか。これは、先ほど話した、明治以降150年あまりの市民力の低下、自分たちでできることを失ってきたという歴史を180度転換するための大事な課題になるのではないかと思っている。

◆対話空間としての図書館

 博物館の変化は比較的スピードが遅いが、図書館は今、激動の季節を迎えている。公立図書館は、いろいろな機能をどんどん民間に委託しており、大学図書館も8割以上が民間委託になっている。その良し悪しも議論になっていて、私は良い面もあればなかなか困った面もあると思っているが、それは少し横に置いておいて話を進めたい。
 中谷さんが「やかましい博物館」を提言されていたが、図書館では、そのような動きが今、全国で始まっている。「ラーニングコモンズ」という、ディスカッションが可能な学習・対話スペースを設ける取り組みだ。これまでの図書館は静かに集中して本を読み自分の世界に入る場所であり、おしゃべりは厳禁という施設だった。ところが、ラーニングコモンズは、おしゃべりする場所や機会を確保しようということだ。大学の図書館ではすでに9割が導入している。大阪大学は全国の大学で初めて設置した。図書館でみんながディスカッションをする、読書会をする、書評カフェをするなど、学びの場所、対話の場所として図書館を変えていくという流れになっている。日本では、ここ10年あまりの間に急激に広がった。
 しかし、対話空間としての図書館は、何も新しい流れではないと思う。図書館は、もともとは対話空間だった。一見すると一人の世界に入って本を読む空間のように見えるが、本を読むことは自分とは考えの異なる著者と対話して、視野を広げる手がかりとなるものだ。哲学や思想の本などは、1回読んでも2~3割ぐらいしか分からないけれども、根本的にものを考えているので、心をわしずかみにされて何度も読み返す。自分が今まで生活してきた時代や場所や文化とは全く違うところで書かれた本に出会い、自分が当たり前だと思っていたことが実は当たり前ではないということを経験する場所が図書館だ。図書館で本を読むことは。最初から、出会いと対話をめざしていると言える。さまざまな人が集まってきているのだから、その人たちと読書会をしたり一つのテーマを取り上げて議論したりする場をつくることは、図書館の本来的な機能だ。

◆異世代交流の大切さ

 今、わたしたちの社会で一番問題なのは、社会が学校化してしまい、お役所でも会社でも年齢別の大根切り社会になってしまっているということだ。友だちというものが学校の同窓生や会社の同期生になってしまって、先輩後輩とは親しくしゃべれない社会をつくってきた。異世代の人と友だちになるのは奇跡的なことになっている。ギリシア時代から、友だちの一番理想的なモデルは「おじいちゃんと少年」だった。若さ、経験など、お互いに欠けているものを補い合うという関係になれる。今のほうが異常だと思う。同じ歳の人しか友だちになれないので、団塊の世代も女子高校生も、非常に狭い世界のコミュニケーションしか取れていない。
 老いも若きも男性も女性もさまざまな人が集まって、「家族って何やろう」「市民ってどういうことなんだろう」「働くってどういうことなんだろう」などについてストレートに話せる場が全くない。私は、大阪大学で「哲学カフェ」というものを17、8年やってきた。80代から10代まで男女1人ずつを集めて、10数人で先ほど言ったようなテーマで対話するというものだ。簡単には答えの出ないテーマだが、参加した方々が満足してくれた。80代のおじいちゃんからは、「わしの孫みたいな高校生と、知り合いでもないのに、いきなり『家族とは何か』について話すなんて、こんなことは生涯一度もなかった」と喜んでくださった。この「哲学カフェ」は、北海道と沖縄以外の都道府県で実施してきた。

◆博物館を市民同士の対話の場に

 昔の日本では、江戸時代までは、お寺が世代間交流の場、コミュニティセンターだった。奈良時代の布施屋、悲田院の例からも、単に宗教施設であるたけでなく、病院、旅館、世話所、看取りなど、今でいう「ホスピタリティ」という機能を全て持っていた。「ホスピタリティ」は、ラテン語の客という言葉「ホスペース」からきている。今の「ホスピス」「ホスピタル」「ホテル」さらには「ホステス」「ホスト」も同じ語源だ。
 私は、市民社会のコミュニティセンターとして、博物館をはじめとする公立の文化施設がその役割を引き受けてほしいと思っている。市民力を取り戻すトレーニングの場所としての博物館であってほしい。市民同士が語り合える場所、市民が何でもできるフリーなスペースがもっともっとあっても良いと思う。
 せんだいメディアテークには、そのようなフリーなスペースがものすごくある。さらに、テーブルは黒板でできているから、話し合うときには、そこにいろいろと書き込めてメモもできるし、すぐ消せる。もちろん、立てたら黒板として使える。机にも黒板にも壁にも使える。仕切りがないので、自由にレイアウトできる。マイクを使ってもスピーカーの配置を工夫すれば、隣の声も全然気にならない。1階のレストランやカフェにも壁がないので、食事をしながら、シンポジウムなどをそれとなく聞いているお客さんもいる。
 以上、中谷さんの「やかましい博物館」というご提言を、理念として受け止めて、どう展開していくかについてお話させてもらった。

◆自由と旦那とまちづくり

 最後に、「自由都市」の「自由」は、英語では「リバティ」と表現する。その語源である「リベラル」は、実は「自由主義の」という意味だけでなく、辞書を引くと「(1)気前が良い、(2)寛容な、(3)豊かな、(4)自由主義の」という4つの意味を持っている。(4)から名詞の「リバティ」が出てくるのだが、重要なのは(1)の「気前の良さ」という意味で、名詞の「リベラリティ」につながっている。つまり、「自由」という言葉を「自分の大事なものを他人に提供する、気前のよい」という意味からとらえたならば、堺や大阪の寄附の文化につながり、「自由都市」の「自由」のイメージとがピタリと重なり合う。
 もう一つ、ヨーロッパにある「ドナー」(臓器提供者)や「ドネーション」(提供する人、寄附する人)という言葉がある。実は、この言葉は元々サンスクリット語の「ダーナ」からきている。「贈り物」「一番大事なものを他人のために振る舞う」という意味だ。それが東に行き中国から日本に入ってきて、同じ意味の言葉として残っている。それは「旦那(だんな)」だ。「ダーナ」というサンスクリット語が西に行くと「ドナー」になり、東に行くと「旦那」になった。一番大事なものを他人のために振る舞う、気前のよい人の呼び名だ。
 この公共性の精神が、これからのまちづくりを支えていくのではないか。この「旦那」の精神を持った人に、まちづくりで活躍してもらうことも必要ではないか。

意見交換

竹山市長

 堺市博物館は、有形を取り扱うだけではなく、無形の部分にも力を入れている。ユネスコのアジア太平洋の無形研究センターがある。ただ、「無形」や「野史」の部分がまだまだ弱い。博物館の将来方向として、ここに力を入れながら、堺のプライドを持てるようにしていきたい。
 それから、お上のつくった「正史」は非常に脆い部分があるように思う。私は、それが堺県であったと思う。堺県は河内だけでなく大和、今の奈良県も取り込んでいた。明治14年から明治19年まで奈良は堺県だった。今、関西広域連合に入らないのは、そのときからの感情があるのかもしれない。お上の下知によってそうされたことが、奈良のプライドに響いてきている。
 だから、私は、歴史文化や昔からのつながりを大事にしていかなければならないと思っているので、「堺はひとつ」ということを私の原点にしている。今まで培ってきた人と人との営みや文化は大事にしなくてはいけない。堺の博物館はその根源を求めていける、「シビックプライド」が醸成される場所でなければならないと思っている。

鷲田さん

 全くその通りだと思う。シビック、市民が鍵だと思う。

副館長

 市長のおっしゃるように、堺市博物館は「シビックプライド」を呼び起こす施設でなければならないという視点でさまざまな事業を展開している。博物館は1980年に開館したが、当時、12億円もの市民の寄附があってできた施設だ。それで「堺市立博物館」ではなく「堺市博物館」という名称になった。博物館には、堺の市民のDNAが込められていると思っている。その観点からの質問だが、鷲田館長が市民との意思疎通を深めるために、メディアテークのホームページでおやりになっている「館長、れんらくノート」について、ご紹介いただければありがたい。

鷲田さん

  「館長、れんらくノート」は、広報活動のつもりでやっている。実は、大阪大学総長の時代から、毎月、学外の人に呼び掛ける短いメッセージを動画で発信してきた。今のものは、私の動向をもとにスタッフの人が書いてくれている。なぜかというと、メディアテークのスタッフが館の中で仕事をして、「御用聞き」、アウトリーチをしなくなっているからだ。もっとまちに出ていって、市民の活動をよく知らなければならないと考えている。
 大学も博物館も公共施設も、もっと「おせっかい」をしに、まちに出かけるべきだ。大阪大学では、市民向けに「科学相談所」を開設した。博物館や美術館の学芸員は、少なくともメディアテークのスタッフは、事業企画などで忙しくてなかなかアウトリーチができていないので、館長としての私が「御用聞き」に出かけていき、それにスタッフを同行してもらっている。それはスタッフに対して「机にかじりついてばかりではあかんやないか」というメッセージでもある。私のやっている哲学は、「臨床哲学」と定義している。臨床とは現場に出ていくという意味。もともと、臨床、クリニカルという言葉は、ベッドという意味からきていて、病気になった人が横たわっているベッドまで出かけていくお医者さんを臨床医、クリニコスと呼ぶ。ところが、患者を動かして自分は部屋で診察する病院のお医者さんが多い。これは臨床医ではない。苦しんでいる人を動かしてはいけないと思う。哲学も同じだ。書斎や研究室で本を読んでいるだけではいけない。問題が起こっている現場に出かけて、人々と対話することが使命だ。出かけていくという意味を込めて、臨床哲学と言っている。
 お役人さんも学芸員も同じではないか。自分が役所で待っていて苦情を受け付けるのではなく、現場を大事にしていただきたい。「人材が限られている中で、さらにそんな仕事が増えるのはかなわん」と思われるかもしれないが、少なくともそういう「おせっかい」の精神で仕事をしていだきたい。

竹山市長

 先生のお話の中で、図書館の機能について、今までの静かな図書館から対話できる図書館にしていかなければならないというお話が非常に心にしみた。堺市では今、市立の図書館機能を強化することに加えて、学校の図書館を強化することが課題になっている。学校に正規職員の司書を配置していかなければならないと国からも言われている。私は、それも大事だが、地域への視点というものがより大事ではないかと思っている。学校だけに閉じこもっているよりも、地域に「マイクロライブラリー」を整備して、スーパーバイザーを巡回させたり、本が好きな地域や民間の方を司書として配置したりしていきたい。まちにいっぱい小さな図書館があるような運動を進めるほうがいいように思っているのだが、どう思われるか。

鷲田さん

 大切なお考えだと思う。私は図書館の機能としては、一つはアーカイブ機能で、普段は役には立たないがまちの歴史を調べたり社会や人生の課題を解決したりするための少し高価だが貴重な本を持っている機能が必要だと思っている。指定管理者制度で危惧することは、読者のニーズが多く、読みたいと思われている本、ベストセラーが中心になっていき、郷土史などめったにしか開かれない本は高いので売られたというある町の事例のようなことが起きることだ。いざというときに役に立つものがないということではいけないと思う。もう一つは、対話できる機能だ。子どもが本を読みに行ったときに、他の子どもたちや大人とも対話ができる空間があるということが大事だ。
 それとこれは司書の人に怒られるかもしれないが、地域に配置する人には、ある程度、蔵書を選ぶ権限を与えてもいいと思う。それで地域ごとの特色が出る。大事なことは、ネットでつなぐこととうまく連携と役割分担をすることだろう。まちなかのすぐそばに図書館があることはいいことだと思う。

竹山市長

 ありがとうございました。

報告事項

◆資料5 有形・無形の文化遺産に関する特別展の開催について(開催概要説明)

 (なお、報告事項については説明のみで質疑応答はありませんでした)

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〒590-0802 堺市堺区百舌鳥夕雲町2丁 大仙公園内 堺市博物館

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