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堺市
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平成28年度 第2回 堺市博物館活性化戦略会議 議事録

更新日:2016年10月5日

日時

平成28年(2016年)8月26日(金曜) 午前10時30分から

場所

堺市博物館 地階 博物館ホール

会議録

ミュージアムディレクター(市長)挨拶

竹山市長
今日は、出口先生に「水への歴史文化資源と観光振興」というテーマで舟運の話をしていただけるということでうれしく思っている。堺は昔から環濠都市であった。今、環濠を活かしたまちづくりをめざしている。阪神高速道路となっている部分について「百年の計」と言っているが、元に戻さないといけないだろうと考えている。環濠でのクルーズが行われているが、環濠をぐるっと一周できるような構想を描かなければならないと思っている。サンアントニオをはじめいろいろなまちづくりを見た場合に、水や緑、親水空間の有効な活用は人の心を和ませるので、我々もしっかりと取り組んでいきたい。今日は先生のお話を楽しみにしている。よろしくお願いします。

案件 出口 晶子 甲南大学文学部長(教授)による博物館活性化への提言・意見交換「水辺の歴史文化資源と観光振興-各地の河川観光舟運の取組みから」」

出口教授
 私は日本列島や東アジアの木造船の研究が専門で、それらを残していく取り組みにも関わってきた。そこから舟運にも関心が広がり、博物館で残すだけではなく、観光と結び付けながら残していくことの重要性に着目した取り組みにも注目している。

◆日本の観光舟運「鵜飼い」「渡し」「舟下り」「舟めぐり」
 日本の観光舟運は大きく4つに分けることができる。(1)「鵜飼い」(2)「渡し」(3)「舟下り」(4)「舟めぐり」の4つである。:現在、全国約200か所で行われており、約2割が木造和船を使っている。生業や生活の場では木造和船の使用が減っているが、観光の場面では、「かつての舟運を楽しみたい」ということで、FRP船よりも木造和船が使われる傾向もある。
 (1)「鵜飼い」は、岐阜が有名で、市の事業として観光鵜飼いの遊覧船部門があり、木造船をつくる工房を市が運営している。広島の江の川でも、三次での木造船を使った伝統的な鵜飼いが行われている。
 (2)「渡し」は、橋がなかった当時に生活のインフラとして必要だった。東京の江戸川での矢切の渡しは「寅さん」の映画でも有名になった。乗られた方もいらっしゃるのではないか。もっとも集客の多い観光渡しである。東京都葛飾区と千葉県松戸市を結んでおり、江戸川を渡るという風情が親しまれている。
 (3)「舟下り」は、縦方向の流れを利用した舟運だ。高瀬舟などを使って物資を運搬していた。天竜川や保津川などで今も観光舟下りは行われている。
 (4)「舟めぐり」は、堺の環濠でのクルーズもそうだが、山口県の萩にもある。萩のまちなかには、ユネスコの世界遺産登録をめざす2つの伝建地区があり、それらを巡る舟めぐりが萩観光の人気になっている。
 こうした舟運は1997年の河川法改正以降、親水という視点が河川敷だけにとどまらず河川そのものの活動に対しても緩和されて盛んになった。その背景には、阪神・淡路大震災も大きく影響していた。大震災のときに河川を交通の手段として活かしきれなかったという教訓から、一級河川に船着き場を整備して、非常時に使うだけではなく平時にも使うことにした。舟運の見直しがあったということだ。その流れの中で、NPOなどが中心となり新しいタイプの河川観光舟運が各地で行われるようになった。

◆観光舟運誕生の背景1-伝統的な文化を観光へ接続する
 次に、河川観光舟運誕生の背景を考えてみたい。
 一つは、元々、川にはいろいろな生業があった。木材の運搬(筏流し)、砂利の採取、アユなどの漁業など生業として川を利用していた。そこから近代化の流れの中で、治水や利水の側面が大きくなり、河川利用に変化があった。生業や生活に取り入れていくことが困難な時代に変わった。
 生業としての鵜飼い漁に関しては、岐阜の鵜飼いは明治の段階でいち早く観光へのシフトが行われていく。江戸時代にも舟遊びという観光的要素はあっが、明治時代になると本格的に「見せ鵜飼い」として展開していった。三次の場合も時代はくだるが、同様の流れだった。山口の錦帯橋での鵜飼いは岐阜に鵜飼い船を発注して持ってきている。
川の両岸をつなぐ渡しでは、生活の利便という点からは満足できるものではなくて、より便利な橋ができて、ほとんどの所で廃止されていった。しかし、残った「最後の渡し」は観光資源に変わっていった。「どこかに残っていてほしい」「風情を楽しみたい」ということになる。矢切の渡しをはじめ萩の渡し、海での音戸渡船などが健在である。
 物流をになった高瀬舟は、基本的に鉄道やトラック輸送の発達、そして上流でのダム建設などにより、生業の方法ではなくなり各地で廃止されていった。明治以降の近代化の中で、極力、川には人を入らせないという流れもあった。その中で生業の代替手段として場所を区切った観光舟運が定着していく。保津川下りはその代表例であり、地元で農業などを営みつつ、独自の組合を組織して運航している。天竜川や球磨川の舟下りも物流から観光へのシフトがあった。

◆観光舟運誕生の背景2-新たな風景の見せ方としての取り組み
 今お話した舟運は、いずれも古くからあった伝統的な文化を観光へと接続していく形である。それとは別の次元での新たな風景の見せ方として、さまざまな観光舟運が広がっていった。前に触れた1997年の河川法改正以降、各地で展開しているものには、この二つ目の舟運が多い。かつてはあった舟運が生活の場面では失われて久しいけれども、地域の歴史や文化を再編していくときに、まちなみの保全と合わせて舟運を展開していこうという動きが活発化していく。萩の八景もそのひとつであり、堺の環濠でのクルーズもそれにあたるだろう。ほかに近江八幡の八幡堀の舟めぐりなど、各地で展開している。
 さらに、近代化の中で水力発電をするためにダムができていくが、それによって新たにできた人造湖を観光に活かす取り組みが進められてきた。木曽川の上流にある恵那峡は、その初期のものといわれている。黒部ダムも大変有名で、人造湖での遊覧はダム計画の当初から想定されていた。工事用施設を巧く活用しながら、ダムをみんなのものにしていく、国民に実際のダムを見てもらい、ダムを浸透させていくという狙いがあった。神奈川にある宮ヶ瀬ダムも建設当初から観光というものを意識してつくられた。

◆堺市の歴史文化資源と舟運の関係
 それでは、堺市の歴史文化資源を考えたときに、親水空間を使ってどのような取り組みができるのか、次の2つの柱を取り上げようと思う。
 一つは、百舌鳥・古市古墳群の水辺だ。ユネスコ世界文化遺産登録への国内推薦を得る段階にきていて、地域を回っていると地域の人たちの機運も上がっていると感じることができる。約1,500年の歴史がある古墳群をいかに保全しながら「光」、誇るべきものを「観」ていただけるかが重要で、市民の人たちにも深く関わってもらう必要があると思う。その中で、「ぜひとも実現されればいいな」と考えたのが「古墳の濠での舟運」の可能性である。当然、仁徳天皇陵古墳をはじめとする天皇陵では静謐を維持しなければならないのでできないだろうし、他の古墳でも、あまり大仕掛けなものはできないだろう。古墳をどのように見ていただくか、また、舟をどのような設えにするのかを考えるときには、やはり博物館との連携が必要になるだろう。同時に、まちなみと博物館をつないていくことは、堺でも大きな課題になるだろう。まちを見学した人たちを博物館に連れてくるという仕掛けとしても、こうした舟運の取り組みは重要ではないかと考えている。
 もう一つは環濠自由都市だ。堺市の顔であり、中世以来の歴史を持っている。これも教科書には大きく取り上げられているおなじみの「光」である。堺市で唯一NPOによる定期遊覧事業というものが行われている。この取り組みは、環濠への関心を大いに高める役割を果たしている。先ほどの市長のごあいさつの中にも「環濠を一周させたい」という言葉があった。現在の舟運は近世の環濠で行われていて、中世の環濠はもう少し内側にあったということを知ったが、そういう歴史も含めて、ここでも博物館との連携が必要になっていくだろう。役割は大きいと思う。環濠や堀、人工の河川と海をつなぎながら、瀬戸内海とつながり「光」を育てていくことができる。堺のクルーズでは、環濠から海に出ると六甲山が本当に近くに見える。その向こう側に姫路城もあるということが意識できるだろう。そういうつながりを育てていくことがとても大事だと思う。

◆政令指定都市・堺市域は古墳の緑がシンボルで濠、池など用水の文化が広がっている
 堺市役所の21階展望ロビーに昇って市域を眺めてみると、やはり古墳の緑が市域のシンボルとなっていることがよく分かる。一方、川の存在感が薄い。堺市役所の北側のほうには大和川が流れているが、そこから明確に眺めることは難しい。「住んで良し」のまちで人口が多かった堺市では、古くから濠と池と井戸という人工的な用水の文化が発達していたのだろうということが推測できる。市域全体がとても平坦であり、開発されやすい、あるいは人の住みやすい地形である。
 同じ政令指定都市である新潟市域と比較してみたい。新潟は信濃川がシンボルといえる。河口付近には佐渡島への定期船のターミナルがあり、「朱鷺メッセ」という高層ビルが建っている。その上階から眺めた景色を堺と比較してみると、市の中心部を信濃川が流れていて、日本海側には砂防林の緑が見えるが市域全体では緑の景色が少ないと感じる。川の存在感が大きいと思う。信濃川には「アナスタシア」という定期遊覧船もある。人気コンサートの開催時では臨時便を出すなど、貴重な交通手段でもある。

◆世界遺産地域の舟運の取り組み1-原爆ドームと厳島神社
次に、世界文化遺産のある地域での舟運の取り組みを2つ紹介したい。
 一つ目は、広島の原爆ドームと厳島神社とを接続する太田川の舟運による遊覧事業だ。最初は太田川の中を遊覧船でめぐる程度だったが、雁木という河川敷の施設を復元整備し、そこから船のタクシーで移動できる「雁木タクシー」を運行する動きも出てきた。また、ユネスコの世界遺産登録がなされると、原爆ドームと厳島神社を一体化させていく構想が進み、海と川を結んだ遊覧船の運航が実現していった。
 さらに、厳島神社の鳥居下を満潮時には木造の舟でくぐれるようにした。櫓漕ぎ舟の漕ぎ手も養成している。厳島神社には管絃祭(かんげんさい)とよばれる旧暦6月に行われる舟祭りの祭礼行事があり、氏子さんたちの伝馬船を漕ぐ技術を保っていくためにもこうした観光事業は必要である。昔は生活の中で高い技術の継承が行われてきたが、今では観光の中でそれを担っていくことが重要な役目になる。管絃祭のときには鳥居下を浚渫する。河川や浅瀬の舟運では、常に舟を走らせるために浚渫が必要であることが分かる。

◆世界遺産地域の舟運の取り組み2-姫路城
 もう一つは、姫路城だ。姫路城のお堀には長らく舟を浮かべてこなかった。近代には事業者もいたようだが、国宝の位置づけの中で、堀には誰も入らないということが長く続いてきた。それによって国宝としての景観が保たれてきた。2008年に全国菓子博覧会がすぐ近くで開催されたときに、開催期間限定でお堀に舟を浮かべる社会実験が行われた。「期間限定なので終わればなくなる」と担当者は考えていたので、舟は自前ではなく、近江八幡の八幡堀の舟を借りてきて運行した。これが地元の方々にも大好評で、「今までこんな間近にお城の景色をみたことはなかった」という感動の声が多く、恒常的に運行したいという気運が高まった。
 姫路城は国宝、文化財なので、舟運によって石垣に悪い影響が及ぶという、文化庁からの懸念の声も届けられたという。「舟の波動をできるだけ石垣に及ぼさないこと」「たくさんの舟を運行しないこと」などの要請を受けながら、その調整をしつつ高瀬舟型の舟を運行し始めた。江戸時代にも、役人が城に通う手段として堀と運河を接続させて舟を使っていたという歴史も根拠にしつつ、姫路の造船所でまず1艘、小さなエンジン付きの櫓漕ぎの小舟をつくり、市民の漕ぎ手を養成し、運行をスタートさせた。14人しか乗船できない小舟だが、橋の下をくぐるというのは技術がいる。一度事故が起きると、観光舟運はあっという間にお客さんが引いていくので、安全性は絶対に保たれなければならない。この技量をいかに磨くかが大事な課題になっている。ハイテク技術が導入されていて、漕ぎ手が首からぶら下げているスイッチでエンジンの舵の方向を変えられるようになっている。今では、舟の運行が姫路城の景色として定着してきている。リピーターを増やす効果ももたらしている。

◆人工的な堀(濠)、運河、池にみる舟めぐり-栗林公園、倉敷、大垣、堺など
 次は、人工的な堀などの舟めぐりについてご紹介する。
 高松の栗林公園では、2010年代に入って庭園の池に舟を浮かべるようになった。5~6人ほどしか乗れない小さな舟だが、新たな見どころになっている。江戸時代後期の栗林公園の古図の中に舟が描かれているという歴史的な文脈をふまえて、歴史を現代に活かそうという考えを持って舟めぐりを復元した。姫路城と同じく歴史を活かした観光舟運の実現といえる。船の大きさも池の風景と調和するように考えたそうだ。栗林公園の池は旧河道の伏流水を利用しているので、水質はかなり良い。池の鯉の姿も良く見える。池に架かる太鼓橋の上の人たちと舟に乗った人たちが手を振りあう姿も一つの見どころとなっており、池の風景を殺さないという取り組みになっている。
 倉敷の舟流しは、人工運河を利用した事業としては一足早く始まった事例だ。伝統的建造物群保存地区、美観地区として「まちなみ全体が博物館だ」といわれるような景観を残している。美観地区の運河には当初、舟は浮かんでいなかったが、2000年代から舟運の取り組みが検討され、ライオンズクラブの方々が伝馬船型の木造船を寄贈して2006年1艘で運行するところから始まった。現在は2艘に増えているという。ナイター運行も行うなど、少しずつだが美観地区の風景の中になくてはならない存在になりつつある。ここでも橋の上の人と舟に乗る人との交流が見て取れる。
 大垣の水門川では、たらい舟による遊覧事業とFRP製の川船スタイルの遊覧事業の2事業が行われているが、とくに人気があるのは、たらい舟である。桜の季節や紅葉の季節といった期間限定で運行されている。関ヶ原合戦の伝承として地域に伝えられた、たらい舟を巧く取り上げて事業がスタートした。漕ぎ手は岐阜の大学生たちが多い。1つのたらい舟には2人ほどしか乗れない。水門川は水量が豊かで水質も良く水草が揺れる様子が見られる。下流で舟を降りたお客さんは川沿いの散策を楽しみ、たらい舟はトラックで上流に返すという仕組みだ。たらい舟としては佐渡が有名だが、大垣の河川での取り組みもとても面白い事例だと思う。ちなみに、堺では近世から桶や樽の製造が盛んであったということをお伺いしたので、大垣のたらい舟は参考になるかもしれない。
 堺の環濠でのクルーズは、船着き場が南海本線の堺駅と実にうまく接続している。NPO法人「観濠クルーズSakai」によって運行されている。NPOによる遊覧事業は各地で展開されているが、堺のクルーズの良さはとても丁寧な解説が楽しめるという点だ。スタッフがたいへん勉強されていると感じた。新しい情報も採り入れながら、環濠の周囲の景色や歴史を詳しく案内してくれる。商業ベースに乗っているところは、案内をテープで流すというようなことも多いが、そのようなところはだんだんと廃れていく。やはり、「おもてなし」の心がないと続かない。
 池の事例としては、京都嵐山にある大覚寺の大沢池がある。保津川水系の水を引いて、中秋の名月をめでる行事として舟を浮かべている。舟は保津川の高瀬舟スタイルである。2008年に体験したが、そのころにはほどよく蓮の群落が復活していた。池は、ちょっとした環境変化で生態系が激変することがある。名月を映す水面を確保するための水草刈りの労力を省く目的で池にソウギョが放たれた結果、蓮が全滅した。そこで、嵯峨芸術大学の先生や学生たちが中心となりながら、ソウギョを捕獲するなどして、蓮を復活させた。ただし、その後もまた蓮が激減した年があったという。ソウギョだけでなく池の生態系全体をどう保全するかが重要で、そうした危機を乗り越えて今があると感じさせられた。
 最後は、松江城の事例だ。松江城での取り組みが各地のお城の堀割での取り組みを刺激していった。今は彦根城でもNPO法人が中心になって実施されている。先ほどの姫路城も松江城の取り組みを参考にしながら実現に至った。元々の堀の水質は悪かったのだが、「お堀をきれいにしながら舟運を実現することで新たな雇用を生み出そう」という目的をもって、松江市がシルバー人材雇用を創出していった。堀の周りには民間の家が建っており、「舟の運行によってプライバシーが侵害される」と難色を示されたこともあったようだ。しかし、運行が始まるとお堀の側を「顔」とする、お堀の側をきれいにする取り組みが生まれていった。松江の堀川めぐりは、どこから乗り降りしても構わないということが一つの特徴になっていて、松江めぐりの交通アクセスとしても活用されている。私が乗った時には、彦根からのお客さんと一緒だった。「近江八幡も楽しかったね」という会話から、各地での舟運事業における相乗効果というものを感じた。

◆堺の歴史文化資源の活かし方を考える
 これまでの各地の事例を参考にしながら、これからのまちづくりや歴史文化資源の活かし方を考えたい。
 堺市としてさまざまに取り組んでおられると思うが、やはり古墳の濠と緑を守り、将来に伝えていくことが重要な使命の1つであると思われる。このためには、まず、水の浄化であり、さらには、目に見える形で水の道があり緑の空間があるという景観が推進できないかということだ。市役所の21階展望ロビーから見たときに、水の道という景色が見えて、あそこに行ってみようというようなまちづくりができないかと思っている。これは平坦な堺市だからこそ実現できることであるので期待したい。
 もう1つは、古墳の濠に小舟を浮かべて、古代に一歩近づくということだ。古墳の濠に舟を浮かべることが実現できれば、日本初、世界初の取り組みとなるはずであって、古代人の目線で古墳を体験することができる。どのような小舟にするのか検討が必要であり、例えば、ソーラーシステムで動くエコボートや走行することで少しずつ水が浄化されていくような仕組みも考えられる。古代舟の形状にするといったことも必要だろう。
 堺は「ものづくり」のまちでもあるので、その技術を活かしながら展開していくことも考えていただきたい。例えば、モニターで鳥瞰とシンクロさせるようなことはできないだろうか。古墳の場合は、国民誰もがよく知っている教科書にあった「あの前方後円墳」の形と濠の舟運とがどこかでシンクロすれば素晴らしいと思う。気球という手法もあるだろうし、制御されたドローンからの映像と組み合わせた舟での濠めぐりという手法もあるだろう。市役所の展望ロビーから古墳群を見たときに、多くの人が期待するのは、教科書で見た上空からの前方後円墳の風景だろう。むしろ、これしか知らない人が多いはずだと思う。しかし、現地では、墳丘を水平に見ることしかできない。古代人の目線でのお濠から見た古墳の姿と、現代人の目線での上空から見た古墳の姿をシンクロさせていく方法があればいいと思う。
 もちろん、仁徳天皇陵古墳などの天皇陵古墳ではできないと思うが、他の可能な古墳でできないだろうか。

◆自由都市・堺の気風
 堺市では、環濠のクルーズでも、いろいろな神社仏閣でも、そして博物館でも、さまざまな市民のボランティアの活動が盛んである。市民の方々が率先してガイド機能を果たしていると実感する。つまり、堺の魅力の一つは、「人」である。
 その源流は、やはり中世の自由都市・堺にあるのだろう。宣教師ガスパル・ヴィレラの1561年の書簡には、「堺の町は甚だ広大にして、大なる商人多数あり、この町はベニス市のごとく執政官によりて治めらる。」とある。彼がここで「ベニス市のように」と表現するとき、自由都市、「執政官による自治」にかかっているのか、ベニスのような水辺空間もイメージしていたのか、そこは今後の環濠都市の復元に関して重要なポイントになるだろう。多くの人たちは、この表現から現在のベニスの風景を思い描いている。それが今後の復元の過程で検証されていくことを期待したい。
 また1562年の書簡では、「当堺の町より安全なる所なく・・・敗者も勝者もこの町に来住すれば皆平和に生活し、諸人相和し、他人に害を加える者なし・・・西方は海を以て、又他の側は深き堀を以て囲まれ、常に水充満せり。」と書いている。潮の満ち引きはあったにせよ、水が充満しているという環濠は、発掘調査などを見ると幅が16mほどあるということだが、これは舟を浮かべるのに十分な幅である。ちなみに八幡堀の幅は10数mで、4~5mほどの狭い所もあるが舟は通れる。したがって、堺の場合も、おそらくは舟が行き来することにも使われていたのではないかと推測できる。今後の研究の進展によって、当時にもっと近づくことができるだろう。
 堺の「人」の面、人格に対する評価がヴィレラの書簡の中にあふれていることは、これからの観光において、とてもヒントになっていると私は感じている。博物館にしても、さかい利晶の杜にしてもボランティアガイドがマンツーマンで懇切丁寧に説明をされている。堺市博物館の展示では、現物を前面に出して、見るものとの距離が近いということは特筆に値すると思う。鉄砲に関しても四方から見ることができるようになっており、このことはとても重要だ。また、堺市博物館の横には池がある。水辺を生かすという視点からもこの立地はかなり良いと思う。

◆博物館の活性化への提言
 博物館には、郷土への愛着と教養を高めるという責務がある。博物館は、NPOや産業界、観光や産業振興・公園・教育などのいろいろな行政部門と一層連携しつつ、観光へと踏みきることがますます重要だと思っている。博物館の役目としては、(1)「過去の集積」、徹底してモノを集めること、(2)「情報の発信」、最新の成果をタイムリーに開示すること、(3)「同時代性」、まちに人々を誘う拠点となること、この3つが必要であると考える。とりわけ、(2)情報の開示については、SNSの時代になり、今まで以上に高まっていると思う。ここでは同時代性という視点から、博物館がまちに飛び出す、あるいは博物館の中にまちの人たちを呼び込むという二つの取り組み事例をご紹介したい。
 一つ目は、北海道の平取町立二風谷アイヌ文化博物館である。ここではアイヌ民族に関する国の重要民俗文化財が展示されている。野外展示場もある。沙流川の上流に二風谷ダムが建設された頃にこの博物館もリニューアルされていった。町では、40数年前から「チプサンケ祭り」という行事がアイヌの人たちが中心となって毎年8月に行われている。沙流川では丸木舟での舟下りも行われる。この行事に博物館が大きく関わっている。
 もう一つは、千葉県の浦安市郷土博物館だ。ディズニーランドの税収効果だろうか、入館が無料だった。敷地内に水辺空間をつくり、この地域で伝統的に使われていた舟を浮かべている。舟大工がいる工房もあって、舟の建造を見学できるようになっている。
 最後に、堺市博物館の使命を考えてみたときに、教育・調査研究を軸に末長く、広く、公共に資することがまず基本にあって、そのうえに、一つは、百舌鳥古墳群を守りながら、「光」を見せていくことに、今まで以上に思い切って大胆に関わっていっていただきたい。古墳群の中に博物館があることはなかなか得難い立地である。もう一つは、中近世の環濠都市遺跡の復元に関わっていくことだろう。環濠を復活させることは、市長も「百年の計」とおっしゃっていたように、本当に大きな事業である。博物館は、最新の情報を開示しつつ、まちと博物館の往還を活発にする仕掛けを率先して創出していくことを期待したい。

意見交換

大丸文化部長
 2年ほど前に倉敷に行き、舟に乗った経験がある。とても暑い真夏の時期だったが、水辺はやはり潤いがあって少し涼しかったことを覚えている。まちなみや緑の見え方も違っていた。違う目線でまちを見るということは新鮮な魅力があると感じた。今、百舌鳥古墳群が世界遺産登録をめざしているなか、「保存管理計画」を文化部内で検討しているところであり、市が所有している古墳の一部を昔の姿に修景したいと考えている。樹木を取り払って葺石で覆うということをしたい。そのときに、先生がおっしゃったように、濠に舟を浮かべて接近して見ることができれば迫力もあり、新たな見せ方になると思った。
 観光資源として新たな企画として船を運航するのではなく、かつて水運が活用されていたという歴史を持つものでは、淀川流域の枚方市では春と秋には舟を浮かべる行事が開催されていて、博物館でも舟運に関連した展示をしているそうだが、船の運航と博物館企画の連携について、さらに事例があれば教えていただきたい。
 さらに、今は堺の環濠のお話があったが、堺市の博物館で、このような歴史文化資源を活用して取り組みを展開したら面白いというアイデアがあれば教えていただければと思う。
出口教授
 今日は大和川のお話ができなかったのだが、大和川というものも堺にとっては大事な要素だと思う。20年ほど前になるだろうか、「探偵ナイトスクープ」というテレビ番組で大和川を下るという企画があった。これが実に面白かった。奈良県の王寺から勤務地の堺の浅香山まで通勤するのに、電車で行くのと舟で大和川をくだるのと、どちらが早く到着するのかを検証するという内容だった。上司はJRで堺に向かい、部下はスーツ姿で舟に乗るという設定だった。結果は、部下の大和川舟くだりが大幅な遅刻という結果だったが、とにかく到着はできた。そこまではいかないにしても、対岸同士の渡しは、昔の絵図にもたくさん出てくるので、それを復元できないかと思う。ちなみに、奈良県から羽曳野までの地域には、舟板塀の伝統がある。裕福な家が使わなくなった舟を解体して、その舟板を土蔵に活用した。これも歴史文化資源だろう。
 また、伝統的なまちなみ保存がなされている地域では、水辺に舟を浮かべるという事例は多い。堺の場合、狭山池水系を復元していく取り組みの方向性があると思う。狭山池には造船の技術が使われており、江戸時代の堤の修復には堺の戎島の船大工が関わったことが古文書に残っている。
藤田観光部長
 今日の先生のお話を聞いていて、松江の堀川めぐりで舟に乗ったことを思い出せた。堺の環濠のクルーズもそうだが、橋の下をくぐる場面が何か所かあって、船頭さんの指示で乗っている人が頭をぶつけないように下げる。橋を一つくぐるだけで乗っている人の間に一体感が生まれ、自然と会話がはずむようになる。このような「おまけ」の部分の楽しさもあるんだな、と感じることができた。観光振興を考えるときには、本来の楽しさに加えて「おまけ」の部分の楽しさも考えていければいいのかな、と思った。
 それともう一つ印象に残ったのは、歴史の文脈をはずさずに取り組みを実現していくということだ。最後にいただいた堺への提言の実現にも、そのような視点を大事にしていきたいと思った。ありがとうございました。

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