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堺市
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平成28年度 第1回 堺市博物館活性化戦略会議 議事録

更新日:2016年10月5日

日時

平成28年(2016年)7月5日(火曜) 午後1時30分から3時

場所

堺市博物館 地階 博物館ホール

会議録

ミュージアムディレクター(市長)挨拶

竹山市長
 今年度初めての博物館活性化戦略会議ということで、正メンバーが集まってもらった。足立さんには、今日は「歴史文化とのつきあい方を考える」としいうテーマでお話しいただいて、いろいろとディスカッションをさせていただけるということなので、非常にワクワクドキドキしている。どうなるか楽しみにしている。(笑)
 このあいだ、私は、泉大津で、林英世さんの「泉州弁、大阪弁から見る方言の豊かさ」をテーマにした講演を聴いた。方言は文化であり歴史だと思う。林さんのなめらかな泉州弁が泉州の歴史や文化をかたちづくっていると感じたし、このまま放っておいたら全国一律の言葉になってしまうのではないかという危惧も持った。「堺の方言、堺弁も、やっぱり残していかんとアカンのと違うやろか」という思いで、最近はいろいろと考えながら議論をさせていただいている。
 そういう意味で、歴史文化ということの本質は、無形も有形も含めてどういうものを後世に残していくかということであり、このコンセンサスを市民から得ることが大事だと思っている。このことについて、足立さんを交えて是非ともしっかりと議論をしたい。どうぞ、よろしくお願いします。

案件 足立 久美子 文化のみち代表・堺都市政策研究所理事による博物館活性化への提言・意見交換「歴史文化とのつきあい方を考える」

足立 文化のみち代表(以下、足立代表)
 今日のこの会は「歴史・文化とのつきあい方」をいっしょに考える場にしたいと思っている。市長さんからも「どうなるだろう?」というお言葉があったが、いつもとは違って、ワークショップ形式で進めていきたい。少し戸惑うこともあるかもしれないけれども、よろしくお願いしたい。
 いっしょに考える場にしたいと思ったのは、実は昨年、堺市博物館協議会の場で博物館の活性化について話し合ったときに感じた思いからだ。博物館の職員が、「もっと多くの市民の方々に博物館に親しんでもらいたい」という気持ちから、「どれだけ敷居を低くするか」という観点で努力されているという報告に対して、私は「そういうことも必要ですね」という肯定的な発言をさせていただいた。そうすると、思ったとおり反発する意見が出た。「行き過ぎたエンタティメント性の追求に向かっていないか」というような博物館をとりまく問題意識から、「そのことをかなり危惧されて反発されているのだろうな」と感じた。それは当然のことだから良いが、私が凄く残念に思ったのは、「中身をどうしていけば良いのか?」という議論が充分できなかったことだ。対立の構図が出ると、踏み込んだ次のステップの話し合いができにくくなってしまうので、凄く残念だった。
 その時に鮮明に思い出したのが、自分が奈良でNPOの立場でまちづくりに取り組んでいるときのことだった。「歴史・文化のまちづくり」がまだまだ一般に浸透していない時代でもあったので、住民の方からは「観光目当てでやっているんやろ」「金儲けのためにやるんやろう」と言われ、逆に、観光関連の方からは「アンタは反対運動の人やろ」と言われた。どちらからも責め立てられ、どう理解してもらい活動していくのか、ずいぶん悩んで考えた時期があった。このような対立の構図は不毛で、何も生み出さない。新しい価値を作り出していくという段階になかなか行けないからだ。
 だからこそ、今回はこのような場でいっしょに考えていきたいと思った。皆さんは、それぞれの現場をお持ちで、直近の課題と向き合っているから、たいへんな思いをされていると思う。ただ、そのお立場のままの視点でいくと、その立場での発言になり。自分とは違う立場のさまざまな意見をおおらかに受け入れることがどうしてもできにくくなりがちだと思う。現場の視点はどちらかというと「虫の眼」だと思う。そこで、もうひとつ大切な視点である「鳥の眼」を取り入れて、少し俯瞰してものを見ていただけたらと思う。今日は「鳥の眼」を持って考えるということにさせていただきたいと思うので、皆さんの現在の肩書や役職や所属をちょっとだけ括弧に入れて、できるだけ自分自身がどう思うか、どう考えるかということでご意見をお聞かせいただきたい。自分自身が歴史・文化とどう向き合うかを考えていく、そういう場にさせていただけたらということで、今回のテーマにさせていただいた。
 今日の流れとしては、まずきっかけをつかんでいただくような話をさせていただいた後、意見交換をしたい。限られた時間なので、4枚の画用紙と好みの色のサインペンを用意させていただいた。私から質問をするので、好きな色のサインペンを選んだのと同じような感覚で、自分が普段使っている言葉で答えを書いていただきたい。そのうえでその答えをもとに意見交換していきたい。そして、最後に、皆さんから出たご意見を踏まえて、日頃、私自身が考えていることも含めて、まとめをさせていただけたらと思っている。3時ちょっと前まで、よろしくお願いしたい。今日は傍聴の方もいらっしゃるので、筆記用具をお持ちであれば一緒に答えを書いてみたりしていただけるとありがたい。記者席の方も事務局も、ぜひそうしてみてほしいと思う。
  

【1】歴史・文化という言葉からイメージするものは

 それでは私の話にいく前に、まず、「皆さんは歴史や文化と言う言葉から何をイメージされるか?」をお聞きしたい。考えすぎないで、今ぱっと思い浮かんだことを日常で使っている言葉で画用紙に書いてみてほしい。それでは笠谷さんから順番に。

笠谷局長 「社会の教科書」。
 仏像の名前が受験勉強のときに全然頭に入らなかった。トラウマとして残っている。
足立代表 なるほど。

谷口副館長 「重要とは思いつつも、身近でない、学問的な」。
 こんなイメージがあるのかなと思う。
足立代表 ということは、学校時代はあまり得意な方ではなかった?
谷口副館長 個人的には大好き。

藤田観光部長 「くらしの中の習慣」。
足立代表 イメージとして一番浮かぶものは?
藤田部長 四季折々にいろいろとやること、例えば、冬至にはゆず湯に入ったりかぼちゃを食べたり、お月見にはおまんじゅうを食べたりすることなどを思い浮かべた。

大丸文化部長 「おまつり」特に「地車」。
足立代表 とても大好きといった感じがする。
大丸部長 代々受け継いでいっている。
足立代表 身体にしみこんでいるという感じ?
大丸部長 はい。

宮前世界文化遺産推進室長 「まちがもともと持っているもの」。
 それぞれのまちでそれぞれの歴史や文化がある。
足立代表 宮前さんの住んでいるまちが持っているものは?
宮前室長 先ほどあったまつり。それから古墳。
足立代表 仕事の関係から?
宮前室長 いえいえ。今住んでいるところが百舌鳥古墳群の緩衝地帯の中だから。

垂井広報部長 「その地域に残る伝統」。
 地域の人たちの生きてきた証のようなもの。それに加えて「文化財」。地域に古くから残っているものも思い浮かんだ。
足立代表 どちらも大切なものだと思う。

外山学校教育部長 「身近な日常」。
 子どもの頃からお墓に行けば行基さんのお地蔵さんがあったり中学校の正門の前に古墳があったりして、そういう中で育ってきたので。
足立代表 堺は本当に身近に歴史文化がある。

田所商工労働部長 「博物館」。
 歴史文化は非常に範囲が広くなるので、それを研究したり収蔵したりしている博物館が思い浮かんだ。歴史文化の「金庫」という感じ。
足立代表 子どもの頃からよく行っていた?
田所部長 私はわりと好きだった。今でもそうだ。

山上公園緑地部長 「古来からのくらし」。
 連綿と続く暮らしの中で残っていくものがあると感じている。
足立代表 例えばどんなもの?
山上部長 例えば、畳の上での生活とかだと思う。

狭間副市長 「日本の精神」。
 茶道をずっとしているし古典芸能も好きだ。年中行事も大事にしたいと思っている。
足立代表 お子さんに教えてあげたりしている?
狭間副市長 教えてはいるけれどもピンとこないところもあるようだ。

竹山市長 「古墳」。
 ここ百舌鳥野に来ているので。具体的な事例で言えば、7月末には世界遺産の国内推薦を獲得しなければならないということが頭にすぐに浮かんでくる。(笑)
足立代表 市長としては本当に切実なことだと思う。堺弁も大事だと思う。

足立代表 いろいろなイメージをお持ちであることが共有できたと思う。そこで、これから歴史や文化について自分自身に引きつけて、さらに深く考えていくうえでのポイントを三つほどあげさせていただきたいと思う。
 一つ目は「今の自分の立ち位置を理解する」ということだ。歴史は長い時間軸なので、その中で自分が今どこに立っているのかを確認するということが大切だと思う。
 二つ目は「自分のまなざしのあり方を知る」ということだ。歴史や文化に対して、いろいろなイメージが今も出てきたと思う。自分がどんな見方をしているのか、自分自身のまなざしのあり方を確認してみていただきたい。
 三つ目は「自分の思いを深める」ということだ。歴史や文化に対する思いや関心や問題意識を深めていっていただきたい。
 傍聴している皆さん方も事務局の皆さんも含めて、この場所にいらっしゃる全員が、このような3つのポイントを頭の片隅に置きながら、この時間、この空間を共有し、いっしょに考えていけたらいいなと思っている。

【問題提起:歴史・文化のまちづくりの変遷】

 まず、私のほうから、「歴史・文化を活かしたまちづくり」の変遷について、少しお話していきたい。今は本当にどこの総合計画でもこのフレーズが出てくる。当たり前のことのように見えるが、全然当たり前ではなかった時代があった。私も振り返れば、1980年代の初めごろからこのようなまちづくりに関わり出して、もう30年ほどずっと続けていることになるが、80年代初めのころはまだまだ市民権が得られていなかった。「歴史・文化のまちづくりやって? そんなん、暇人がやるんやろ?」「それは金持ちがするんやろう?」「歴史・文化は趣味の問題やで」「福祉であるとかもっと現実に即した課題があるやろ」というのが一般的な認識だった。それが今は「それは本当に大切ですねえ」と多くの方がおっしゃるようになってきた。当たり前だと思われていることが実はそうではなかったということも含め、振り返っていきたい。
(1)戦後復興期、ひらがなの「まちづくり」の始まり
 今年は戦後71年目になるけれども、ひらがなの「まちづくり」という言葉が生まれたのは、そんなに古くなくて戦後まもなくだった。諸説あるけれども、戦後復興期、焼け野原からまちをつくっていこうとする時期、朝のNHKの連続テレビ小説「とと姉ちゃん」が活躍しはじめるころだと言われている。
 当時、官主導で戦後復興をして、経済的に強くなっていかなければならない、生産性を上げなければならないということが進行していく中、まちに暮らす人たちの中には「身近にある日常の歴史や文化が壊されるのではないか」という危機感を持った人たちもいて、「自分たちのまちは自分たちでつくらなければ」という思いをもって動き始めた。とりわけ、名古屋の栄地区の復興の取り組みの中から、「自分たちでまちをつくっていくのだから、これは『まちづくり』だ」という声が挙げられたと聞いている。その取り組みが全国各地に伝わり、ひらがなの「まちづくり」と言う言葉も広まっていった。今では行政にも定着しているが、元々は草の根の活動から生まれた言葉だ。そういうことは大切に忘れないでおきたいなと私自身は思っている。
(2)1960年代、高度経済成長期
 1960年代になると政府から「国民所得倍増計画」が出され、1962年には全総、「全国総合計画」が出されていく。全総は全国が均衡ある発展をとげるという理念で、全国各地どこにいても同じように便利で効率的な暮らしができるような施策が政府によって進められていった。
 このときに「歴史・文化」の扱いはどうだったかというと、経済的に強いものをつくっていくことが第一目標だったので、歴史のあるものや文化は後回しになっていった。ただし、先人たちも捨てたものではないなと思うのは、戦後復興期中の1950年には「文化財保護法」ができており、古い良いものが海外に流出するのをくいとめたり取り壊されるのに待ったをかけたりしてきた。これによって、文化財として国レベルで学術的に価値のあるものは残していくことができたが、身近でその土地の人たちにとって価値のあるものは地域の人たちが頑張って残すしかなかった。国レベルと地域レベルでのまなざしのあり方の違いがうかがえると思う。
(3)1970年代前半、万博、公害、オイルショック…激動期
 1970年、大阪万博が開催された。「人類の進歩と調和」が万博のテーマだった。高度経済成長期、「なんとか先進国の欧米に追いつくんだ」ということで走り続けていった時期を過ぎ、走り過ぎた結果として、各地でさまざまな公害や環境破壊の問題が出てきた時期だ。また、地域の均衡ある発展は良いことだけれども、古いものをどんどん壊していって新しいものをつくることになると、昔から続く街並みが壊れ、そこで暮らす人の絆が断ち切られ、暮らしの形が一変してしまい、生活が破壊されることに危機感を持った人たちが、全国各地で住民運動を組織していくことになる。この運動は官主導で進む開発のあり方に対して「反対する」スタイルの運動だった。ただし、その一方で、「便利で豊かな生活も求めていきたい」という人たちの思いも多く存在していたので、人々の暮らしの価値観が、かなり揺れに揺れ動く中で進められた運動であったと思う。1973年には「第一次オイルショック」が起こって、「このまま経済一辺倒で良いのだろうか?」という考えの人たちが出てくるようになる。
(4)1970年代後半、消費社会の進展と生活の多様性の始まりの時期
 高度経済成長期から続く消費社会は、どんどん膨らみ豊かになっていき、みんなの楽しみ方というものが1975年くらいから少しずつ変化していく。がむしゃらに働く、楽しみを我慢して働くというスタイルから、少し経済的な余裕が出てきて自分なりの楽しみ方を考えるようになり生活の多様性が生まれてきた。1975年は現在のJR、当時の国鉄が「ディスカバージャパンキャンペーン」を始めた年だ。「いい日旅立ち」がテーマ曲だった。団体で大型バスに乗って温泉地に行き宴会をして帰ってくるという娯楽のあり方から、少人数でまたまだ知られていない歴史のあるまちに旅をして、その土地の人たちや生活文化に触れて過ごすという旅のあり方に少しずつ変わっていく。
 このような動きにちょうど歩調を合わすかのように、「地域には地域らしさというものがある」「便利で効率的だと、日本全国どこへ行ってもいっしょの街並みという姿はおかしい」「それが本当に私たちが求めていた豊かさなのかな?」ということにみんなが気づき始める。そういう中で「地方の時代」「地域主義」という動きが出てきた。自分たちの生活環境を守っていくための要素の一つであった歴史・文化というものが、自分たちの地域のアイデンティティを象徴するもの、高めていくものとして積極的に価値化され、見直されていくのが、この1975年あたりだった。観光客から「あなたのまちにはこんな素敵なものがあったんですね」と声をかけられて、地元の人たちもそれによって地域の良さを再発見していく。そして、それを地域の活性化につなげていくという動きが出てくる。「伝建地区」といわれる伝統的建造物群保存地区制度は、ちょうどこの1975年にできている。今までは学術的に価値のある単体の文化財としての家の保存だったものが、街並みとして生活空間そのものとして残していけるようになった。生活のあり方も含めて価値を見出していくというまなざしが歴史・文化に注がれていく時代になった。ようやく、歴史・文化を中心にすえたまちづくりが黎明期を迎える。地道にやってきた成果が見えてくる時期ともいえる。大分の湯布院や萩・津和野、金沢などが脚光を浴びていき、歴史・文化がまちづくりの要になってくようになる。
 1980年には、大分県で「一村一品運動」が展開されていく。建物だけではなく、地場産品に光が当たることになる。地元では普通にとれる大根であれかぼちゃであれ、そこでとれた美味しいものをその土地独自のやり方でいただくことに注目が集まる。伝統工芸品も見直されるようになる。
(5)1980年代後半、「バブル」の時代
 ただ、消費社会ということは、サービスを受けるという暮らし方が定着することでもある。つくるよりもつくったものを買う、消費する側になる、そちらへ偏っていくという傾向も大きくなっていく。ひとつの「ブランド商品」として売っていく流れの中に、歴史・文化というものも徐々に巻き込まれていく。街並みも生活の場ではなく、「観光のための商品」のような見方がなされるようになっていく。
 1987年に肥大化した消費社会を象徴するような法律ができる。いわいる「リゾート法」だ。景観の良い素敵なところで過ごしたい、暮らしたいということで、リゾートホテルやリゾートマンションがポンポンと建てられる。そのことでせっかくの良い景観が崩れるというようなことが起こってくる。豊かになって、「なんでもお金で買える」という風潮が世の中を覆った。大量のお金が地方に流れ込んでいった時期でもあった。それまで地道に取り組んでいたまちづくりの活動がおかしくなっていき、人と人との信頼関係が「推進派」「反対派」に分かれて崩れていくという事例もよく聞かされた頃だった。竹下内閣では、「ふるさと創生事業」として全国の自治体に1億円ずつが配られた。その資金を活かして地域のために有効活用した自治体もあった。逆に、「もったいないなあ」という使い方をした自治体もあった。「本当に地域によってやり方に差が出てきた時代になったなあ」と、今しみじみ思う。
(6)1990年代、「バブル」崩壊期
 1991年には、いきなり「バブル」が崩壊した。それまで「モノの時代」から「心の時代」へ、豊かな生活の時代へと言っていたものの、肝心要のお金がなくなったときに、これまでの取り組みがいかに底の浅いものであったかに気づくことになった。企業による社会貢献としての「メセナ事業」は「バブル」の時代には文化事業として流行したが、「バブル」崩壊とともにいきなり手を引いてしまう事例も多かった。大規模な施設をつくるために用地を買収したのに資金繰りがうまくいかず荒廃地、未利用地になってしまうところも出てきた。そこで暮らしていた人たちは全部立ち退きになったので、そこの暮らしがなくなり、そこで営まれていた生活文化も断ち切られた。このような事例が全国あちこちで起こった。
 1995年に阪神・淡路大震災が起こる。この年は「ボランティア元年」とも呼ばれるようになる。ボランティアの人たちが被災者や復旧に大きく関わっていったからだ。この動きに誘発されて、もう一度、草の根の活動、「自分たちのことは自分たちでやっていきましょう」という取り組みが見直されていく。地域のまちづくりも、「やれることをやっていこう」という地道な動きになっていった。少しお金に踊らされていた傾向から、「元に戻る」「我に返る」というような雰囲気になっていった。「自分たちにとって地域や歴史・文化って何だろう?」ということを再び自分たちで考えていくきっかけであったと思う。そこから「商品化して売っていく」という発想ではなく、「自分たちのアイデンティティを再価値化していく」という発想になっていった。
 この再価値化の考え方とアートが結びついて、芸術祭が各地で生まれていく。芸術の持つ創造性を活かして地域が持つ可能性を引き出していこうという動きで、アーチストと地域の人たちがタッグを組んで進められていった。企業が関わる規模の大きなものもあったが、地元の人たちが手作りで行う地道な芸術祭が多く生まれた。
こうして、変な熱が少しおさまり、「自分たちの足元を見ながら草の根で進めていきましょう」となったこのときに、国の法律も整備されていく。1998年に「NPO法」ができて、草の根の活動をする人たちが持続的に取り組んでいけるような法の整備が始まる。2004年には「景観法」ができて、景観を重視するための法が整備された。2008年には「歴史まちづくり法」がつくられた。歴史・文化のまちづくりに携わっていた人たちが待ち望んでいたもので、今までバラバラにやっていたハード整備をする国土交通省などとソフト事業する文化庁がタッグを組んで、ようやく「ハードとソフトをいっしょに考えていきましょう」という体制整備が始まっていく。
(7)そして現在
 こうして、地域での草の根の歴史・文化のまちづくり活動は、国の法や体制の整備によって持続的に取り組めるようになってきた。ただし、世の中は相変わらず経済重視だ。グローバル化も進んでいる。グローバルに対して、ローカルという意味合いはどうなるかを考えなければならないと思う。さらに、地域に根ざした歴史・文化というものとは違う、根なし草的なネット社会も大きくなり、バーチャルな文化も盛んになってきている。「土地に根ざしたものとバーチャルなものをどう結び合わせていったらいいんだろうか?」――これもこれからの大きな課題だ。
 2011年には東日本大震災が起こって、もう一度いろいろなことを考え直そうという雰囲気になっている。ただ、私自身少し不安に思うことは、今「観光立国」「ふるさと創生」「成長戦略」ということが言われているが、これらは歴史を振り返ると1980年代の頃と非常に似たような言葉遣いになっていることだ。あの頃と今とを比較して「あの頃はどうだったか」をちゃんと振り返って考えて、これからの方向性を考えないといけない。この振り返りがちゃんとできるかどうかが本当に大切だ。
 最初に皆さんがイメージとして持たれた歴史・文化は、世の中の社会や政治などの動き、歴史の流れの中で。いろいろなまなざしが注がれて、いろいろと翻弄されてきていると私自身は思っている。だからこそ、今後どうつきあっていくかを考えていく必要があると思っている。皆さんがどういう時代に生まれ育ってきたか、いつ仕事を始めて今に至るのかを、先ほどの私の話と重ね合わせて考えていただければありがたい。

【2】あなたにとって歴史・文化とは

 それでは、2つ目の問いかけをさせていただきたい。大雑把に今、歴史・文化に対するなまなざしのあり方を見てきたが、「皆さんにとって歴史・文化とはどんな存在でしょうか?」――これも簡単な言葉で書いてみてほしい。今回は市長さんからお願いしたい。

竹山市長 「シビック・プライド」。
 固有の歴史文化は市民の誇りそのものだと思う。私は常々そう言っている。
足立代表 子どもの頃からそのような思いを持っておられた?
竹山市長 はい。私の家の裏に武野紹鴎の屋敷跡があったし南宗寺も近かった。堺の歴史文化に囲まれていたと思う。
足立代表 両親からそのような歴史にまつわる話を聞いたことは?
竹山市長 いいえ。自分で自然と感じ取っていった。学校教育で教えてもらったことがベースにあって、住んでいる環境も歴史を感じられたからだ。

狭間副市長 「豊かさ」。
 「暮らしの豊かさ」や「心の豊かさ」ということを満たしてくれるものだと思う。
足立代表 なるほど、文化と豊かさはつながる。

山上公園緑地部長 「道しるべ」。
 今ある歴史や文化が将来の方向を示しているのではないかと思う。
足立代表 「道しるべ」は良い言葉だ。

田所商工労働部長 「残っているものではなく、継いでいくもの、つながっていくもの」。
 市制100周年記念誌『フェニックス堺』を読んで予習してきたが、堺ではいろいろなものが生まれてきているが、残っているものは案外少ない。伝統産業に携わる人たちなどいろいろな方とお付き合いしているときに感じるのは「つながり」であって、「消えてしまったものはもうそのまちの文化ではなくなるのかな」という気がしている。
足立代表 田所さんは何をついでいこうと思う?
田所部長 「精神」「技術」といったものだと思う。それがつながっていけば良いと思う。

外山学校教育部長 「共有するもの」。
 私が育った校区には団地が多く、東京などに移り住んだ者がほとんどだ。久しぶりに同窓会で会ったときに地元の駅前や公園、学校などをみんなで見て回ったら、子どもの頃に戻って話ができた。共有していたものからつながりが続いていくと感じた。
足立代表 まさに自分とつながっているという実感が大切だと思う。

垂井広報部長 「誇り」。
 市長と同じになった。(笑)先ほど地域のアイデンティティという話をされたが、地域で積み重ねられてきた文化は本当に誇るべきものだと思う。
足立代表 特にそういう誇りということを感じる場所は?
垂井部長 地域の先人が大切にしてきたものや地域の特性が「誇り」であり、受け継いでいくことが必要だと思う。

宮前世界文化遺産推進室長 「生活や人生の一部」。
 どちらかというと今までというよりも今後こうありたいと思う。ここ数年、世界遺産というものに携わってきて思い返すと、今までは全然、歴史文化の存在ということを感じないできたように思う。今は、役所をやめてからも歴史文化に何らかの形でに関わっていきたいという気持ちになった。
足立代表 そう思えるのは素敵なことだ。これまで存在を意識しなかったものがグッときたということ?
宮前室長 今まで財政の仕事をしてきて、歴史文化への予算配分について、あまり意識することはなかった。世界遺産の仕事を続けていく中で、「歴史文化への投資というものも必要だなあ」と感じている。

大丸文化部長 「人間の営み」「自分のよりどころ」。
 歴史からいろいろなことを学べるし、その中で豊かさも感じている。
足立代表 「よりどころ」、良い言葉だと思う。

藤田観光部長 「旅行者としての楽しみ」「なくなることへの危機感」。
まず、他の地域への興味や関心というものがある。同時に、「子どもたちへうまくバトンタッチができるのかな」という不安も感じている。
足立代表 危機感を持つような感じがあった?
藤田部長 漠然とそう感じている。

谷口副館長 「自分がここにいる、あるための過去から将来への指針」。
 先ほど先生から戦後から今に至るまでの話を聞かせていただいた中で強く感じた。マイルストンであり、子どもから孫へと続いていく流れでもある。
足立代表 駆け足ながら流れを感じてもらえれば良かった。

笠谷文化観光局長 「守り育てていくもの」。
 月並みな言葉だが、「守る」だけでは本当に守り切れない。「育てていく」こと、ブラッシュアップしていくことが大切だ。価値を高める行動をとらないと守れないと思う。
足立代表 子育てと同じくらいに、歴史・文化を「育てる」ということは結構難しい。
笠谷局長 子育てのように「上から育てる」のではなくて、歴史文化は自分も学んで価値を知り、真摯に向き合って本気で取り組まないと守っていけないという思いで、「育てる」を使った。

足立代表 皆さんの意見を伺って、歴史・文化という存在は単なる対象物としてではない理解の仕方をされていると感じた。例えば、宮前さんはどう変わってきたのか?
宮前世界文化遺産推進室長 先ほど「バブル」期の話があったが、経済優先の風潮の中で、歴史文化というものはどこかにはあるが自分の頭の内にはなかなか出てこなかったという気がする。それから、「バブル」がはじけて経済優先から経済のウエートが相対的に低くなる中で、今まで水面下にあった歴史文化が浮かび上がってきたというようなイメージを私は持っている。
足立代表 外山さんは「共有」という言葉を書かれた。「日常の暮らし」「共有」というイメージで、「ありふれたもの」、身近にあり、普段はあまり気にしなくて見過ごされているものへのまなざしがある。
外山学校教育部長 教育に携わっているので、例えば、学校からマンションに帰ってすぐに塾に行って夜にマンションに帰っていくという子どもたちのことを考える。その子らにとっても堺はふるさとだ。東京の大学に行ってそこで就職して家を買っていく子どもも多い。この子たちにふるさととしての堺の思い出がなかったら、それこそ「根なし草」になるだろう。「自分たちの周りにある日常のありふれた物事を共有していくことこそが大事だ」という思いを込めてこのように書いた。
足立代表 大丸さんの「よりどころ」という言葉もそこにつながっていくように感じた。
大丸文化部長 歴史文化は、社会的にも個人的にも自分の存在を確かめることができるものだと思う。日常的にはあまり感じていなくても、魅力や愛着、誇りにつながっていくものだと思う。
足立代表 まずは、「よりどころ」などとして、しみじみと感じられるものがあることの大切さなのだろう。山上さんが書かれた「道しるべ」にもつながる。
山上公園緑地部長 ただ古いから良いというものではないと思う。古さの奥には、その時代なりの便利さなどがあるのだと思う。私は緑に関わってきているので、木を使って暮らす生活にそれを感じる。不便な面もあったかもしれないが、エネルギー効率が今よりも良く、ごみも今よりもっと少なかった面もある。過去に戻って同じ暮らしをせよというのではない。学ぶべきものがたくさんあるので、良く学んで将来の「道しるべ」にしていきたいと思っている。
足立代表 狭間さんの「豊かさ」という言葉も精神的なものだ。
狭間副市長 対象物や物だけではなくて、暮らしそのもの、生活文化を含めた豊かさなので、暮らしや生活が積み重なってできていくものだと思う。
足立代表 山上さんの「道しるべ」は谷口さんの「指針」とつながっていると感じた。自分自身の「生きる」ということと非常に結び付けて考えておられる。そこから始まって「誇り」へとつながっていくのだと、皆さんの意見をお聴きして改めて思った。

【3】歴史・文化を通じて伝えたいことは

 それでは、3つ目の問いかけになる。「歴史・文化を通じて一番伝えたいことは何でしょうか?」――対象は、百年先の未来の子どもたちに向けて書いてみてほしい。では、今回は垂井さんからお願いしたい。

垂井広報部長 「生きる知恵」。
 地域に根差した歴史や文化はそういう力を持っていると思うので。
足立代表 地域に根差した、地域の生きた知恵、素晴らしい答えだと思う。

宮前世界文化遺産推進室長 「このまちに生まれたこと、生活したことへの誇り」。
 百年後の子どもたちに伝えていくからこそ今があるという思いだ。
足立代表 それは時代や暮らしが変わろうが、その人が生きるために大切なものだ。

大丸文化部長 「どのように日々考え生活していたか」「当時大切にしていたものは何か」。
足立代表 今の生活を伝えたいということ?
大丸部長 はい。

藤田観光部長 「しあわせなくらし」。
 文化は生活から出てくると思う。
足立代表 幸せの形もいろいろあると思う。なんとか伝えていきたいものだ。

谷口副館長 「日本の文化、美的感覚」。
 ナショナリストだと思われるといけないが、形を変えながらも脈々と伝わってきた日本人独特の文化は、この後も伝えていく必要があると思う。
足立代表 美的感覚についてはどのようなものを伝えたいか?
谷口副館長 お茶の世界も伝えたいし、生け花もそう。床の間に、野に咲く花を活けるという美的感覚は、日本人独特のものに感じる。

笠谷文化観光局長 「きずな」。
 横の絆というよりもむしろ縦の絆だ。例えば、南宗寺にある龍の絵は、200年前、100年前の堺の人も見たであろう。それが今の私につながっている。100年先の人にいかに残していくか、そういう思いで「歴史文化=絆を大切にすること」だと思った。
足立代表 そういう感覚はすごくわかる。「いにしえの人もここから同じように夕陽を見ていたのかもしれない」という感覚。
笠谷局長 庭を掃除しているときでも、「おじいちゃんおばあちゃんもこうして掃除して苦労してたんかな」という思いをもつ。(笑)歴史文化の根本にあるのは、縦につながっていく絆であろう。

竹山市長 「精神」「心意気」。
 「なぜこれをつくったのか!」「堺にとってどういう意味があるのか!」――こういうことを残していかないといけない。例えば、「土居川はなぜつくられたのか」「土居川の内側でどういうことが行われていたのか」というようなことだ。土居川は、先人の心意気を我々に伝えているのではないだろうか。自由・自治都市であり海外交易を盛んにしていた堺の先人の心意気が内川や土居川にあるのではないだろうか。私はこういうふうに思っている。今やっていることが将来、100年先にも生きているようにやっていかなければならないという思い――これが心意気ではないか。
足立代表 「心意気」という活きのいい言葉を久しぶりに聞いたような気がする。

狭間副市長 「伝統」。
 「堺は何度かの戦災で焼けてしまって何もない」とよく言われる。しかし、ものは消えても歴史は消えない。心意気や精神は、必ずまちや人が引き継いでいくと思う。
足立代表 その通りだと思う。

山上公園緑地部長 「調和」。
 さまざまな文化があるので、良いものを認めていって、吸収できるものはそうしていき、100年後に伝えていきたい。
足立代表 この調和の意味は?
山上部長 バランスを取るという意味での調和ではなく、経験を踏まえていろいろと考えたうえで良い物を認めて吸収することが大事だと思う。

田所商工労働部長 「変えないもの、変えるもの」。
 昨年、老舗企業30社を紹介する本を発行した。経営者の方にアンケートやインタビューを行ったが、どの企業も必ず何かを変えているし、変えないでしっかりと保持しているものもある。その見極めが伝統文化をつないでいくポイントだとしみじみと思った。
足立代表 「これはいい」と感じて持ち続けるものと時代時代の新しいものを取り入れていく、両方が大事なのだろう。ずっとそのままというと動けなくなる。

外山学校教育部長 「ふるさとのよさ」。
 私の教え子に転勤族がいて、いろいろな所を回って勤務している。やはりその子は自分のルーツを求めている。例えば、「堺っ子体操」など子どもたちのルーツになるものを持ち続けてほしいし、それがあって成長していく
足立代表 ルーツ、よりどころとなるものは大切だ。

足立代表 山上さんや田所さんの話から「さじかげん」という言葉が思い浮かんだ。宮前さんはいま堺の歴史文化の取り組みの最前線にいて、このことをどう考えておられるか。
宮前世界文化遺産推進室長 田所部長の話をお聴きして思ったのは、先人たちから引き継いだものは、時代に応じて変えることもしてきたから残ってきたということだ。時代に合ったものに変えていきながらも根底の部分は絶対に変えない――生き残っている企業をみるとこのスタンスが貫かれている。例えば、300年前に創業した企業が創業のままの姿を守り続けていたら、たぶん今に残っていないだろう。ベースは残して時代に合うように変わってきていると思う。そういうことを行政も市民の皆さんも分かっていただきながら歴史のあるものを守っていきたい。それが我々の役目だと思う。
足立代表 垂井さんの「知恵」や谷口さんの「美的感覚」も今のお話とつながるところがある。それはなかなか文章化できない部分もあって、どう伝えるかという課題もあるだろう。藤田さんがおっしゃった「しあわせなくらし」、これは普通の言葉だけれどもすごく重要だと思う。みんなで意見を交換しながら考えていく形をつくることが大切だろう。

【4】このワークショップで気づかれたこと、発見されたことは

 それでは、最後の問いかけをしていきたい。このワークショップを通じて皆さん自身が気づかれたこと、発見されたことについてお書きいただきたい。今回は藤田さんから。

藤田観光部長 「次の世代へのバトンタッチ」。
 私の世代が受け継いできたものをとれだけ次の世代に引き継いでいくことができるか、このことをワークショップの時間の中で、いろいろと考えることができた。

大丸文化部長 「歴史文化は、人を豊かにするもの」。
 もっともっと人の心を豊かにする取り組みを進めていきたいと思った。

宮前世界文化遺産推進室長 「我々が今やらなければならないことを明確に」。
 それぞれの役割を明確にして仕事を進めていかなければ前に進まないと思った。

垂井広報部長 「歴史文化の大切さ」。
 とりわけ、根幹にある精神が大切だと思った。

外山学校教育部長 「よさの共有」。
 堺の中で歴史的に貴重なもの、大切に守ってきたもの、それを残すためには市民がそのよさを共有しないといけない。そのためにも教育が大切だと感じた。

田所商工労働部長 「ルーツ、根っこ」。
 今日は第三者的な答えをしてきたが、みなさんの意見を聴いて、自分自身の気持ちも見ていかなければと気がついた。堺の生まれ育ちではないが、仕事でいろいろな関わりを深くもっているので、それを振り返って見ようと思った。

山上公園緑地部長 「バックボーン」。
 みなさんの話を聴いていて、やはり自分の生まれ育ったところをベースに考えていくことが大切だと感じた。

狭間副市長 「まちや人、くらし、世代などを結ぶ」。
 このような歴史文化の重要さを感じた。
竹山市長 「衆知結集」。
 いろいろな考え方や思いがある。これを集めていく必要があると思った。いろいろな知恵を集めていくことが、私たち行政にとって必要だというのが、今日のワークショップの感想だ。

笠谷文化観光局長 「あらためて…歴史文化のまちづくり」。
 (笑)まちづくりと歴史文化とは、私の長い行政経験の中で、竹山市長になってはじめてつながったと感じている。今までは、どちらかというと「福祉のまちづくり」や「産業のまちづくり」というつながりだったと思う。だから、いつも自分に言い聞かせていたことは、「堺は本気で歴史文化のまちづくりをするんだぞ」ということだ。自分が「本気」にならなければならないので、「本気」を強調してきた。そして今、百舌鳥古墳群が世界遺産に手が届くところまできて、利晶の杜も開設できた。「本気」という言葉をとっても、「肩の力を抜いてもしっかりとやっていけるんじゃないかな」と思っている。

谷口副館長 「表面的な水の流れと底流」。
 企業の歴史や、仁徳さんの周りで近所の人たちが花を育てたりお掃除をしたりしている姿、これらは底流にあるものだと思う。私たちは百舌鳥古墳群の世界遺産登録をめざしているが、決してそれがゴールではなくて、その先をしっかりと考えていかないといけないと強く感じている。博物館のあり方も、集客を見込んだ今風の取り組みも必要だし、博物館の底流も大事にしていかなければならないと思う。最後に、博物館的なまとめをさせていただいた。(笑)

足立代表 いきなりのワークショップで戸惑われたところもあると思うが、本当に率直に意見を出していただけた。私もいろいろと勉強させていただいた。歴史・文化は、「根っこ」「バックボーン」」と書いていただいたように、自分とつながっているものだ。「おじいちゃん、おばあちゃんもここを掃除していたんや」というあの感覚だ。そこから全てがスタートしている。この感覚で仁徳天皇陵古墳などを見ていくと見方が変わると思う。歴史・文化とのつきあい方が豊かになれば、生き方やものの見方、考え方も豊かになる。そういう人が増えてきたら、その人たちが生きる現場である地域-それはまた歴史・文化が集積している地域-が豊かになる。また、その「担い手」は「市長」や「役職がついたみなさん」ではなく、普段普通に生きている市民としてのみなさんであり、このまちで働き、生活するすべての一人一人が「担い手」という意識をもってやっていくことだとあらためて思った。
 いくつか質問をさせていただいたが、【2】の「まなざし」は、歴史や文化をみなさんがどのように見ているか、それを見る「鏡」にしていただければと思う。【3】の「伝えたいこと」は、みなさんの思いや関心が選ばれた言葉に凝縮されていると思う。最後の【4】は、本当に素敵な言葉が並んだ。これはみなさんがこれから担い手としてやっていく、創造へのきっかけの言葉でもあると思う。「鳥の眼」でいっしょに考えていく場をもつことは、新しいものを創造するアイデアや発想が出てくることにつながるが、これには、まず自分自身を知ることが大切で、それで相手のことも理解できるようになる。私は、最前線にいる現場の方にも、このようなワークショップをぜひやっていただきたいと思っている。最前線の方は、直近の課題をクリアすることに精一杯でなかなか「鳥の眼」になれない。だからこそ、上に立たれる方が時間や場をつくっていくことは本当に大切なことだと思う。そういう時間や場をつくれるみなさんであってほしい。これが私の1つ目の提言だ。
 私の2つ目の提言は、市民のみなさんともこういういっしょに考えていく場を持っていただきたいということだ。知識を知る場はたくさんあるが、得た知識でこれからを考える場、「生きた智恵」にしていく場はとても大事なものだと思う。私は「博物館がぜひその場、考える拠点になっていただけたら」と思っている。これまでの郷土学習、ふるさと学習の次の段階をめざして、これから取り組んでいっていただきたい。
 これらの提言を「言葉だけでお伝えしてもなかなか伝わらないだろうな」と思ったので、今日はワークショップという形を取らせていただいた。実際に体験していただいたことも含め全部を私の提言だと受け止めていただけたら。ありがたい。

ミュージアムディレクター(市長)挨拶

竹山市長
 今日は我々がつい見過ごしてしまうおおもとの話をやっていただいたので、大事なことを再確認させていただけたと喜んでいる。足立さま、本当にありがとうございました。

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