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堺市
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平成27年度 第3回 堺市博物館活性化戦略会議 議事録

更新日:2016年3月29日

日時

平成28年(2016年)2月22日(月曜) 午後3時から4時30分まで

場所

堺市博物館 地階 博物館ホール

会議録

ミュージアムディレクター(市長)挨拶

竹山市長
 ミュージアムディレクターという大層な名前が付いているが、単に堺の歴史文化が好きなだけである。博物館活性化戦略会議の趣旨としては、「博物館をいかに市民に近づけるか」という視点が重要であり、こうした観点からの取り組みの強化を図るべく、ミュージアムディレクターに就任した次第だ。
私は、来年度の予算編成にあたり、三つの「産」をキーワードとしてあげた。子を産み子を育てる「産」、世界遺産の「産」、産業の「産」である。この世界遺産の「産」と産業の「産」を、どのように結び付けていくのか、このことは大きな課題である。
本日は、金山先生から、是非、これまでの取り組みや経験に基づく貴重なお話をお伺いし、有意義な会議にしていきたい。ご提言をもとに、ぜひとも活発な意見交換をしていきたい。

案件 金山 喜昭 法政大学教授による博物館活性化への提言「博物館とNPO・市民との連携」

金山教授
 今日は二つの事例を紹介していきたいと思う。
 私は千葉県野田市の博物館で学芸員をしていた。その後、法政大学に移り十数年になる。その間、学芸員をしていた博物館が市町村合併による定数削減によって、私の後任の補充がつかず、もといた職場がだんだんと「地盤沈下」をおこしていった。それに見かねて、私がNPOを立ち上げて、指定管理者制度を利用して博物館を再生させる取り組みを行った。これが一つ目の事例である。もう一つの事例は、新潟市でのことだ。数年前に新潟市の美術館でカビやクモを発生させるという深刻な問題があった。新聞の一面トップ記事で扱われたほどの大問題だった。そこで、市長が美術館の改革改善委員会を設置することになり、委員長に私が指名され、一年かけて取り組みをした。その後、新潟市の文化施設のアドバイザーとして、文化施設の活性化に取り組んだ。現在は新潟市の美術館や、本日紹介する鉄道資料館の委員としてアドバイスをしている。
 

◆行政にとっての市民との協働
 まず、皆さんにとっては当たり前の話になるけれども、地方自治は、行政主導ではなく市民と協働して具体化していく。帝塚山大学大学院の中川幾郎教授は、「本来の自治体行財政改革を志向する観点からいえば、NPM理論(成果主義・市場機構の活用・顧客主義・分権化)を無批判に受容するのでなく、その視点に、ステークホルダー、経営者としての市民を視野にいれること、社会資本としての個人市民結集型市民団体(アソシエーション、NPO等)形成、地縁型地域社会(コミュニティ)形成を視野にいれることが重要であろう」ということを述べられている。このことを踏まえて、今日のメインテーマとなる「NPOや市民と連携する」という話題に入っていきたいと思う。
◆これまでの公立博物館の問題点
 これまでの地方自治体の文化行政は、抽象的に理念を並べる、政策目標もはっきりしない、隣の自治体もやっているからその文言を模倣して作文する、一度事業がスタートすると前例を踏襲する形になってあまり変わらない、国のモデルに追従する、このようなことが往々にしてありがちだったと思う。
 そのことを具体的に公立博物館に落とし込んでいくとどうなるか。まず、設置理念が抽象的で、「地域の文化創造や発展…」というように何をやりたいのか良く分からないものが目につく。政策目標が曖昧で不明瞭なものになり、「資料の収集・保管・公開・調査研究…」といった博物館法に記された博物館事業の文言を入れ込んでいくようなことも見受けられる。また、博物館には定番の事業として特別展や企画展、講演会、見学会などがあるが、そういうものを定型的・前例踏襲的に繰り返していくという「事業消化型」の運営をしているところも少なくはない。実際、私が勤めていた千葉県の野田市の郷土博物館でも、やはり以前からの事業を前例踏襲的にやっていたことがある。
◆指定管理者制度と公立博物館
 2003年の地方自治法の一部改正により公共施設の運営に指定管理者制度が導入され、これが公立博物館にも導入された。私は、これまで現地調査を続けてきたが、今そのまとめをしているところだ。公立館の約3割で指定管理者制度を導入している。堺市の場合も「さかい利晶の杜」にこの制度を導入している。
 指定管理者制度は、総務省によれば、「住民の平等利用の確保」(公平性)、「施設効用の最大化」(有効性)、「管理経費の縮減」(経済性)、「管理を安定的に行う物的、人的能力の確保」(安定性)が求められている。ただし、「有効性」とは、効率性ばかりでなく、ある政策が一定の価値軸に沿って、どれだけ有益な社会的な変化をもたらすのかが重要である。そのため、事前に「構想・計画」を作成することが前提になる。そして、指定管理者の導入によって公立博物館が底上げを図っていければ、これまでの前例踏襲型の博物館から脱皮していくことができる。そうすると、直営の公立博物館でも同じ要件が課せられることを意味するので、直営だからといって無関係ではない。
 そして、指定管理者制度をうまく運用させていくために、具体的に問われることとしては、まず政策を明確にすることである。これは、設置理念(ミッション)であったり設置目的であったりということになる。これまでの公立博物館では、この点があいまいだったという話を先ほどもさせていただいた。政策を明確に位置付けていくことによって、施策としての方針を設定して、それぞれ具体的な事業に落とし込んでいくことができる。実施すれば、それに対する評価をする。博物館の評価は、自己評価、設置者評価、外部評価などをうまく組み合わせて、PDCAサイクルを機能させていくことになる。

◆千葉県野田市での事例 - 野田市郷土博物館
 それではまず、野田市郷土博物館の事例をご紹介する。博物館とNPO、先ほどお話ししたように私が事務局長をしているNPO法人野田文化広場との協働作業についてお話ししたい。これには二つのテーマがある。一つ目は、公立博物館をNPOが指定管理者として運営していくまでのプロセスとその成果についてである。二つ目は、実際に私たちが運営していく中での、市民のガイドの会との連携についてである。
 野田市は、千葉県の北西部の先端に位置している。利根川と江戸川の分岐する所にあたっている。その分岐点にあたる所が旧関宿町で、今は合併して野田市になっている。実は、この旧関宿町と野田市は堺市といろいろとご縁がある。一つ目は鈴木貫太郎首相が生まれたのが堺市で、終焉の地が旧関宿町(野田市)であるということだ。二つ目は将棋の阪田三吉さんが生まれたのが堺市で、その対戦相手で好敵手の関根金次郎さんが旧関宿町(野田市)の生まれであるということだ。
 野田市郷土博物館は、茂木家という醤油醸造家、現在のキッコーマンの創設者一族の屋敷であった。茂木家も大阪と縁があって、大坂夏の陣の後に野田に落ち延びてきたといわれる家系だ。昭和30年代に本宅を市に寄贈されて、本宅は市民会館という形で貸し部屋事業として使われてきた。昭和30年代、ここは住民の結婚式場などとしても使われていた。博物館は敷地内に建設され、昭和34年(1959年)に開館した。京都タワーなどを設計した山田守が設計者で、県内最初の登録博物館だった。本宅は国の登録有形文化財で庭園は国の登録記念物になっている。全体で約1,600坪の敷地となっている。

1.行政と市民の協働による博物館の政策・施策・事業の立案
 全国の事例では、役所が経費削減のために指定管理者制度を導入することが多いが、ここはそのような目的で始めたものではない。「博物館の元気がなくなってしまったので、市民のキャリアデザインの拠点という形で市民が運営していきたい」と私から市長に相談をした。当時、私は大学にいてキャリアデザイン学会というものを立ち上げて、行政の立場から市長に理事になっていただいた。キャリアデザインとは、市民が市民として自立していくような、いわいる「個の確立」をめざしていくもので、本来の生涯学習の考え方であり、市長もこれに理解を示され、「市民のキャリアデザインによるまちづくり」を行政の政策に位置づけられた。「博物館と市民会館を抱き合わせで指定管理者が運営していく」という考え方についても実現できる見通しをつけることができた。市民会館の活用については市の課題となっていたからだ。それから市の担当者と何回も協議をしていき、二つの施設をNPOが指定管理者として運営していくことになった。もちろん、市の委員会で選定されて市議会の承認も受けて、2007年4月から指定管理者としてスタートしていった。
 NPO法人野田文化広場のメンバーは市民約30人で、元博物館館長、住職、商工会議所副会頭、保育園経営者など、さまざまな職種の方たちで構成されている。運営スタッフとしては、館長や事務職員は直営の時には正規職員がいたが、この部分は非常勤職員としてNPOのメンバーが担うことにした。逆に、学芸員は直営の時には1人だったのが、4人に増員した。指定管理料は、直営の時とほぼ同額だった。4,700万円ほどの運営費に若干金額が上乗せされた。事業費、資料購入費が大きく増額された。人件費は若い職員に代わったので減少した。現在は5,300万円くらいになっている。指定管理者制度を新たにスタートする以上、老朽化した施設を修繕することも必要だということで、市として別に年間約2,000万円の予算を5年間つけ、約1億円をかけて博物館と市民会館を修繕していった。
 一つの敷地に博物館と市民会館があって、今までは、博物館は教育委員会、市民会館は民生部局と別々の部局で運営していたものを、指定管理者制度の導入で、指定管理者が一括で運営して教育委員会が一括で所管する形になった。同じ敷地にある二つ施設を別々の部局が所管するのは非常に使いづらいわけで、指定管理者制度の導入を契機に一つの所管にした。これは市長の判断だった。そこから相乗効果が生まれることになった。
 文化施設を再生していくためには、ビジョンをどう考え直していくかということが最も重要だ。ビジョンやミッションは、5年や10年たてば「賞味期限」が切れるものだ。ところが、多くの公立博物館は、20年前、30年前につくったビジョンやミッションを変えずにそのままでやっている。だから形骸化していく。前例踏襲型で同じことを繰り返していき、成果が見えなくなるということになりがちだ。野田郷土博物館のビジョンも、このとき、40年ぶりにつくり変えた。市としての新しいビジョンは、「市民のキャリアデザインの拠点として、市民の自主的な学習及び調査研究を支援するとともに、生涯学習のための市民相互の交流の場を創出する」となった。
 この新しいビジョンを受けて、NPOが定めた3つのミッションとして、「地域の文化資源を掘り起こし、活用する博物館」「人やコミュニティが集い交流する博物館」「人びとの生き方や成長を支援してキャリアデザインをはかる博物館」を定めた。そして、3つのミッションを書いたプレートを受付に設置し、来館者はいつでも目にすることができるようにした。職員も毎日目にするから自覚できる。「市民のキャリアデザインの拠点」という背景には、地域社会には、商工会、行政、農業団体、学校など、いろいろなコミュニティがあるが、それがなかなかつながらないで孤立しがちなことが多いので、博物館が文化をツールにして、つなぎ合わせていこうという考え方がある。
 その結果として、博物館の利用者は伸びていった。直営最後の年が1万人ちょっとだったものが、現在は3万人を越えている。入館者が3倍に増えている。具体的には、普通の博物館にはないような催しをやっている。その一つが「寺子屋講座」で、地域の仕事人に自分のキャリアを語っていただき、意見交換をしていく場だ。市民会館の和室で開催している「まちの仕事人講話」として、例えば、消防士が安心・安全の知恵をテーマに救急医療の話をしたり、野田市が市長の政策として兵庫県豊岡市と連携しながらコウノトリの放鳥をしているので飼育員に講話をしてもらったり、さまざまな方に登場してもらっている。これはもう10年やっている。それから、先ほど触れた棋士の関根金次郎の企画展を開催して、実際に名人戦を市民会館でやっていただいたりもした。また、市民会館の和室が広いので、町の大絵図を広げて公開した。なお、市民会館を使っては、堺市博物館でもやっておられるような古文書講習会や勾玉作り体験教室なども開いている。
 目線を市民に向けて事業展開しているので、「市民公募展」や「市民コレクション展」など、市民参加型の企画展も開催している。例えば、市民公募展としては「わが家のおひなさま」、市民コレクション展としては「土人形の魅力」などを開催した。市民コレクション展では、会期中、出展者の方が会場に詰められて来館者の対応をしてくださっている。それが生きがいになるし来館者もその人の思いに触れることができる。「キャリアデザイン連続講座」というものも開催しており、プロのキャリアカウンセラーを講師に呼んできてグループワークをしながら、自分の生き方について見直していこうという講座を年に1回行っている。
 それから、ボランティアの方が博物館の受付をしている。これは私が1年間イギリスで在外研究していたときに見てきたことなのだが、イギリスの地方の博物館に行くと必ず受付に市民ボランティアがいた。日本では市民が受付をやっていることはほとんどないが、これがすごく良かった。市民がプライドを持って、自分のまちや自分のまちの博物館を来館者に対して紹介し説明していた。話を聞くと、10年、20年やっているという。ロンドンのリッチモンドにも小さな博物館があるが、そこの市民ボランティアは「自分は開館以来ずっといる。オープンの時にはエリザベス女王が来てくれた。ここで受付をしていることを誇りに思う」と言ってくれた。そこで、野田郷土博物館でもこのやり方を採用した。ボランティアの方たちは、ほとんどの方がやめないでずっと続けてくれている。「お客さんと接するのが楽しみだ」と言う。お客さんのほうも、「ボランティアの方と接することが楽しみ」と言ってくださる。コミュニケーションの場になっている。
 博物館が直営からNPO運営になって変わったことは、5点ほどあげられる。まず、リピーターが増加し、利用者数が3倍になったことだ。そして、市民サービスの向上が図られたことである。さらに、費用対効果が著しく高くなったことだ。生産性は5倍になった。それから、市民のコミュニティの場となったことだ。博物館の愛好者や学校の関係での子どもたちだけでなく、本当にさまざまな市民が利用者するようになった。そして、野田市のブランド力の向上に貢献していることである。メディアの露出度も高くなっている。これらが成果といえるだろう。

2.NPO指定管理館と市民連携~むらさきの里 野田ガイドの会
 次は、NPOが運営する博物館と市民ガイドの会との連携についてご紹介したい。市民によるガイドの会は、全国で約1,600団体あるそうだ。野田市には、「むらさきの里 野田ガイドの会」という団体があって、2004年10月に設立された。会員は約40人で、男性は退職世代、女性は50代以降が多いそうだ。10年間で4万人以上の来訪者を案内している。私たちが博物館の指定管理者になったときに、ガイドの会の会長と話をして、それまで会長の自宅にあった会の事務局を博物館のとなりの市民会館にある一室に移して、博物館を会の拠点として使ってもらうようにした。具体的には、NPOがガイド事業を委託するという形にした。
 博物館とガイドの会との連携で大事なことは、双方にとってWin・Win(ウィン・ウィン)の関係になることだ。それをきっちりと保証できれば連携は成功する。連携関係では、先ほどお話ししたように、博物館が市民会館の一部屋をガイドの会に提供し、博物館の学芸員とガイドの会のメンバーがきっちりと意思疎通をする、日常的にきっちりと交流をするということをしている。
 その結果として、博物館にとっては、次のようなメリットがあった。まず、ガイドの会がいることによって、誘客効果が出てきていることだ。ガイドの会の案内が評判になって、お客さんが次のお客さんをよんでくれている。二つ目は、学芸員のアドバイス役になっていただいていることだ。当時、大学院を出たばかりの新しく採用された学芸員は、野田の出身でもなく地元のことをよく知らないので、ガイドの会のメンバーが地元のことについて学芸員に教えていただいた。三つ目は、来館者へのサービスも向上していることだ。
 一方、ガイドの会にとっては、次のようなメリットがあった。まず、博物館に日常的に使える拠点があることで、メンバーのコミュニケーションが図られるようになったことだ。二つ目は、博物館に拠点を置くことによって、社会的な信用度が増したことだ。三つ目は、会のガバナンスがしっかりと取れてきだしたことだ。会長の自宅に事務局があるという状態は組織としては不安定だと思う。博物館にあることで組織的な統制がとれることになる。
このようにWin・Winの関係ができている。しかも、この関係は一過性のものではなくて、日常的に継続していかなければならない。そのほかに、ガイドの会は「見どころツアー」という市内ガイドを行っており、博物館において市民が行う「文化活動報告展」として、自分たちで企画しワークショップを行い展示の設営をした展覧会「見どころ展」を開催した。学芸員も展示のアドバイスをしたが、会のメンバーが展示までやりきった。この展覧会は大成功だった。このような取り組みを続けていくことが大事だと思う。

◆新潟県新潟市の事例-新津鉄道資料館
 二つ目の事例として、新潟市の事例をご紹介する。新潟市は新津市などと合併をして人口が80万人を越え、政令指定都市になった。そして、旧新津市にあった鉄道資料館のリニューアルをすることになった。この取り組みについて、まず、リニューアル前の市民・職員とのワークショップ、それから、リニューアルオープン後の商店街との連携についてご紹介したい。
1.リニューアル前の市民・職員とのワークショップ
 私は新潟市の文化施設アドバイザーとして、新潟市長のもとでいろいろな仕事をさせていただいた。合併後、新潟市は8つの区を設置した。その中で、旧新津市や周辺の町村地域からなる秋葉区では、それぞれの市町村にある文化施設について、今後のあり方検討会を設置して検証作業を行った。このアドバイザーを私が担当した。この作業は、それぞれの文化施設に関係する市民と職員との協働作業だった。このような検討では、現状を洗い出すこと、地域の声を反映させていくことが大事で、そのためにワークショップを4回実施した。参加者は、市民13人職員7人の20人だった。最初のワークショップでは、私が趣旨説明をして、各文化施設の良い点悪い点をグループワークで洗い出していった。各文化施設の見学会も行い、最終回では行動計画を作り、各チームによる発表を行った。市民が自分たちの文化施設を自分たちで診断して計画を作っていくという作業だった。
 その中で、旧新津市の鉄道資料館は特に力を入れていこうということになった。館の施設は老朽化し、展示も古くなっていたので、市長にリニューアルを進言して、そのための検討委員会を設置して準備を進めた。新津は信越本線、羽越線などが交差する鉄道の要衝で、明治時代から石油と鉄道のまちとして栄えてきた歴史的なまちだ。鉄道資料館は昭和58年(1983年)に旧鉄道病院跡地に新津市が設置したが、平成10年(1998年)に現在地の旧国鉄鉄道学園跡地に移転した。リニューアル前は年間300万円くらいの維持費で公民館職員が兼務で管理していた。年間5,000人くらいの入館者だった。旧国鉄の方たちが多く住んでおられるので、元国鉄マンが解説をする形でやっていた。ハコモノ的資料館だった。
 公立博物館のリニューアルとしては非常にスピーディにやることができた。平成24年(2012年)7月に検討委員会が発足して、翌年まで7回、市民や職員のワークショップを行い、大阪の交通博物館の学芸員にも評価やアドバイスをいただいた。私は座長をやり、報告書を市長に提出した。平成25年(2013年)2月には基本計画を策定し展示や空調をリニューアルした。ここには実車がなかったので、JRと折衝し上越新幹線の200系という古い車両をいただいた。この移設作業も含めて2年かからずにやった。市長の思いもあって、平成26年(2014年)がJRの新潟ディスティネーションキャンペーンをする年にあたっていたので、「それに間に合わせよう」ということで、2年足らずの期間で予算2億7千万円ほどを使ってリニューアルした。
 この館のリニューアルは、施設や展示だけにとどまらず、職員も増やし、条例も作り直し、ビジョンやミッションも全部作り直した。「資料館」から「博物館」へとリニューアルしたというわけだ。平成27年度の予算では、重点費として1億円がついている。これは実車を運搬する費用などである。経常経費は、もともとは300万円だったものが、人件費込みで約6,000万円になった。
 実車は、200系の新幹線と市内の公園に雨ざらしで展示されて傷んでいたSLを修理してもってきた。保護するために上屋も取り付けた。開館前に特別公開したところ、2日間で1万人が見学にきた。実車はラッセル車と特急列車も追加して入れた。展示では、鉄道関係の部品をいろいろと揃えて、間近で見られるようにした。新津駅前にはサテライトを設置して、イベントを開催している。資料館の来館者はこれまでは5,000人から1万人程度で推移していたのが、平成26年度(2014年度)は4万5,000人を越えた。
 ミッションは、「交流人口の拡大と地域の活性化を図ります」「鉄道文化の発信拠点にします」「人づくりと地域の連携による事業を展開します」という3つの柱を設定し、それぞれに運営方針を設定した。これらは全て検討委員会での議論をもとにつくったものだ。

2.鉄道資料館と商店街との連携とその波及効果(商店街の主体的な取り組み)
 次に、商店街との連携についてご紹介したい。これまでは新津に鉄道資料館があるということは、商店街の人たちも市民も知ってはいたが、ほとんど関心がなかったといえる。新津について市が市民調査をすると「石油のまち」、もしくは県のフラワーパークがあるので「花のまち」というイメージの回答が返ってくるらしい。そのような中で、「新津には鉄道文化がある」ということを、新津の人たちも資料館のリニューアルによって気がついた。
 平成24年(2012年)に鉄道資料館のリニューアルが決まり、その準備が始まると、商店街の若い人たちが自主的に「自分たちもやれることをやろう」と動き出していった。新津には、全部で5つの商店街があり、そのうちの2つ、新光商店街と中央商店街は隣り合っているが、普段からお互いに付き合いはなく、商店街は本当に「シャッター商店街」だ。
 その中で、まず「シャッターアート」というものが生まれた。新光商店街の薬屋さんの御主人が空き店舗のシャッターに鉄道車両を描くことを発案して始めた。下絵を描いてもらって、募集したボランティアがペンキで彩色した。昨年5月現在では8枚のシャッターアートができあがっている。
 いろいろなグッズも開発された。「鉄道のまちにふさわしいグッズを作ろう」と考えた店主たちが手がけたが、自分の店の商品と関係ないものを作製していった。文房具屋さんが飴をつくったり、カメラ屋さんがせんべいや文具類をつくったりしていった。
三つめは、鉄道メニューが開発された。いくつかの飲食店が鉄道にちなむメニューを開発した。弁当屋さんは「鉄弁」、イタリア料理のお店は「SLピザ」や「煙もくもくSLパスタ」、食堂は「SL五目炒飯」など、全部で19品目のメニューがある。最初から爆発的に出てきたわけではなく、少しずつ動き出していった。

3.鉄道資料館と商店街との連携とその波及効果(鉄道資料館との連携)
 リニューアルの担当者になった副館長は、職員のワークショップの中で一番元気だった事務系職員だった。産業振興課にいたので、まちの人たちとの関係があった。それで商店街の連合会の集まりに顔を出すが、最初は普通の職員は3年くらいで異動するから「何しにきたのか」という感じで相手にされなかったそうだ。けれども何回も会合に行き、懇親会などでお酒も飲みながら話し合っているとだんだんと打ち解けていく。そのうちに商店街の側から、「自分たちが開発したグッズを資料館がリニューアルしたら、そこで売ってもらえないか」という相談が出てきた。彼は快諾して、「資料館も役所だからお金をお店と直接やり取りすることはできないので、連合会と資料館がマージンをそれぞれ5%取って、各店が残りの90%ということでどうか」と提案してそれで話がついた。グッズは、初年度は265万円の売り上げだったが、翌年の平成26年(2015年)には、11月現在で332万円となり、年間400万円に届く伸びとなっている。
 さらに、鉄道資料館のコレクションであるSLの動輪と踏切の警報機を商店街に貸し出すということをやった。SLの動輪は、信用金庫が花壇にしていた土地を無償で貸し出してくれて新光商店街が設置した。運搬や設置などに80万円かかったが、商店街連合会が1/3を負担し、残り2/3は市の商店街活性化補助金を充てることができた。これがとても目をひいた。「なんでSLの動輪が商店街にあるの」と話題になった。そしたら、隣の中央商店街から「うちもなんか貸してくれないか」という声があがってきた。それで今度は踏切の警報器を貸し出した。歯医者さんの敷地に設置された。この歯医者さんが電気関係にも詳しい方で、動かなかった警報器を修理して動くようになった。イベントなどの時に動かしている。子どもから大人まで喜んでくれている。これは、運搬費や柵、基礎工事、キャプションなど、わずか2万5,000円で設置できた。商店街の運送屋さんや設置工事ができる工務店が手弁当でやってくれたからだ。
 こういうことをきっかけにして商店街の人たちのモチベーションが上がってきて、「自分たちで何かをやろうや」という動きになってきて、それが資料館とうまく連携をしていくという流れになっていった。資料館では、ホームページでグッズや鉄道メニューを紹介している。市のホームページとしては珍しい事例だと思う。あと、商店街の自主的な活動として、店先に集めてきた鉄道資料を展示する「まちなか資料館」もやっている。

4.鉄道資料館と商店街の連携とその効果
 鉄道資料館と商店街との連携もWin・Winの関係にならないとうまくいかない。
資料館にとってのメリットとしては、まず、誘客ということになる。新津の駅から資料館までは2キロちょっとあって、駅前には市の貸し自転車や土日専用のバスも出ており、歩くとなるとちょっと距離がある。しかし、歩いてきたら途中に商店街があり、そこにはいろいろと紹介した資料館に関係するものがあるので、資料館まで足を伸ばしてくれる。次に、知名度が上がったということだ。商店街がPRしてくれる。その結果として、来館者が増えたことで経営効率も上がっていった。
 商店街にとってのメリットとしては、資料館との連携や自主的な取り組みによって地域コミュニティが活性化したことだ。その中で人材が育成されている。さらに、商店街に来る人、交流人口が増えたことだ。そして、いろいろな取り組みが新聞などにも取り上げられて外部発信ができたことだ。国の経済産業省の「がんばる店舗30店」に選ばれるなど、新津では商店街が活性化してきている。これも継続的にやっていかないとだめだろう。職員と商店主との日常的な交流が継続しており、商店のグッズ販売や資料館のコレクションの貸し出しなどが続いている。
 これはヒアリング調査で分かったことだが、商店街は「連合会」や「振興組合」などの組織で動こうとすると、どうしても重くなってしまう。予算がないから、年間事業計画にないからとなって、スピード感がなくなりタイミングを逸してしまう。だから、まず2、3人くらいでもやれる人たちが手弁当でもやってしまうことが大切だということだった。最初は2、3人の取り組みでも、その周りに仲間が参加してくる。このような取り組みが同時多発的に出てくるようになる。これが新津の商店街の特長だ。

5.資料館の経営効率
 資料館の経営効率は、リニューアル初年度の平成26年度の入館料収入765万円で、パブリシティの金額を算出したところ2,637万円だった。これは、新聞やテレビの報道のほか、法人などの機関紙、タウン誌、全国版の雑誌や自治宝くじのデザインを広告費に換算した金額だ。グッズ販売の手数料収入13万円だった。これは、売上金265万円の5%のマージンだった。以上を合計すると、3,415万円になる。この年度の決算額、経常経費で人件費込みで約5,800万円だったので、収益率は58.9%となる。
 通常の公立博物館の一般的な収益率は、10%程度あれば良いとされているので、ここは飛び抜けて良い。このように経営効率という点から見てもリニューアルは成功した。

6.資料館と商店街の連携の留意点
 最後に、商店街との連携の留意点は、やはり、博物館と商店街でビジョンをしっかりと共有することだ。双方が「思い」や「志」を同じくすることが大事だ。そして、行った連携の成果は、両者にとってそれぞれ「得るもの」がなければならない。双方にとって、「WIN・WINの関係」になることが大きなポイントである。それから、日常的に継続して行うことも大事だ。いろいろと手を広げるよりも、「身の丈にあった」ことを継続的にやっていくことにより、連携の成果がより充実したものになっていく。もっとも重要なのは「人」。新津の鉄道資料館でいうと、今の副館長がキーパーソンだ。適任となる人材を配置しなければならない。商店街でもキーパーソンが3人ほどいる。
 そして、博物館側でいうと、学芸員や職員が館に閉じこもらずに地域に「出る」、そして「聞く」、地域で住民から話を聞き、地域のニーズを把握して「やる」ということだ。お金がなくてもやれることはいくらでもある。

意見交換

広報部長
 お話を伺ってビジョンやミッションの大切さを感じた。大事なのは、今回の事例のように自分たちでつくるということだ。コンサルタントが入ったりすることが多いが、先生の知っておられる範囲で、自分たちでつくりあげる館は多いのだろうか。
金山教授
 最近は増えてきている。有名なところでは静岡県立美術館。ホームページにも掲載されている。
広報部長
 ビジョンやミッションに基づいて、年度ごとに重点的な資源配分や予算配分、事業の数値化をしていくことが大切だと感じた。予算配分でも、前年度からの積み上げで終始しているところは多いと思う。
金山教授
 入館者数はひとつの指標になるし、増えたほうが減るよりも確実に良いとは思うけれども、別の指標もあると思う。それぞれの博物館が実情に応じて、自分たちで評価基準を考えていくことが大事だろう。考えていくプロセスの中で、自分たちのしていることを振り返り、仕事の「棚卸し」ができる。そのうえで、外部の有識者の意見も聞きながら工夫をしていけば良いのではないか。

狭間副市長
 関西のある都市の美術館では、NPOによる指定管理者制度を取り入れているが、特定のNPOがずっと指定管理者となって、市民はボランティアとしては参画できるのだが、主体者としての参画がなかなか難しくなってきていて、地域で軋轢が起きたりしている事例もある。運営者として、他の団体や市民に対しての門戸の拡げ方はどのようにしているか、お教え願いたい。
竹山市長
 公募制、競争性という視点はどのようになっているのだろうか。
金山教授
 野田市郷土博物館でキャリアデザインという活動ができるNPOはほかにないので、最初の選定の時には、公募ではなく随意契約だった。これが5年間の第1期が終わって、2期目もほかにないということで、公募せずに継続してやっている。ほかにビジョンに見合うミッションを出せるNPOがあれば公募ということも考えられると思う。そのように、市が判断するだろう。

商工労働部長
 NPOに集まってきている方の属性としてはどういう方が多いか。退職された方が多いのか、専業主婦の方が多いのか、学生も入っているのか、お教え願いたい。
金山教授
 役所にいた人は私と元博物館長だった方だ。あとは、商工会議所の副会頭、税理士、社会保険労務士、福祉関係の団体を主宰している方、元学校の校長先生などで、理事長はお寺の住職をしている方だ。実にさまざまな方がいる。
狭間副市長
 学芸員はNPOが雇用しているのか。
金山教授
 NPOが雇用している。

博物館副館長
 新潟市の鉄道資料館と近隣の商店街の事例は、さかいの利晶の杜と山之口商店街との位置関係が似ていると感じた。何か付け加えるお話があればお聞かせ願いたい。
金山教授
 先ほどお話ししたように、駅と資料館との間が2キロちょっとあり、駅側に商店街があるので、お互いに相乗効果を発揮しているように思う。資料館の近くには食事するところがない。だから、食事は商店街ですましてこられる。新津の商店街もまだまだシャッターの閉まっているところは多いが、逆に、シャッターアートで美術館ゾーンにしてしまうという「居直り」もあって面白い。
狭間副市長
 シャッターアートは大変面白い試みだと思うが、その店舗を所有されている方との合意形成はどのようにされているのか。難しくなかったのか。
金山教授
 詳しい話は聞いていないが、役所が「やりましょう」というのではだめだと思う。商店街の人が「やりましょう」ということで動いた。

ミュージアムディレクター(市長)挨拶

竹山市長
 いろいろとお話を聞かせていただいて、新潟市と我々のところは似ていると感じた。そして、野田での取り組みも参考にしなければならないと思った。地域との関わりあいの中で文化施設をどう活かしていくかが大事だということを再認識できた。ありがとうございました。

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このページの作成担当

文化観光局 博物館 学芸課
電話:072-245-6201 ファックス:072-245-6263
〒590-0802 堺市堺区百舌鳥夕雲町2丁 大仙公園内 堺市博物館

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