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※展示資料の内容等は変更される場合があります。御了承下さい。
小西行長(1558?〜1600)は、堺の有力商人小西一族の出身で、豊臣秀吉配下の部将として活躍し、小豆島や室津といった瀬戸内海の要所の管理を任され、イエズス会の宣教師から「海の司令官」とも呼ばれています。天正16(1588)年には、肥後(現在の熊本県)南半国の領主にのぼり詰めています。
秀吉の死後におこった関ヶ原の戦いでは、石田三成と行動を共にしましたが、首謀者として京都で処刑され、四十余年の生涯を終えました。行長は、キリシタン大名としても有名で、イエズス会の宣教師が残した記録のなかにも「ドン・アゴスチイノ」という洗礼名がみえ、キリシタンとしての彼の活動が多く描かれています。
今回のスポット展示では、平成24年度春季の「堺文化財特別公開」と連携し、行長所用と伝わる甲冑や小西行長書状など、ゆかりの資料からその足跡をたどります。
伝小西行長所用皺皮包(しぼかわづつみ)胴丸具足(個人蔵)
堺の旧家に伝わる、行長が用いたと言い伝えられる胴丸。
小西行長書状(京都市歴史資料館蔵、京都市指定文化財永運院文書)
瀬戸内海の各所から、行長が船を調達している様子をつたえる書状。
小西行長書状(大阪城天守閣蔵)
大坂で必要な材木調達を行長が天満のりうい・りやうさに依頼した書状。
加藤清正等二十二名連署血判起請文(大阪城天守閣蔵)
朝鮮在陣中の諸大名が、豊臣秀吉の子・秀頼への忠誠を誓った血判の起請文。
豊臣秀吉朱印状(当館蔵)
対馬の大名・宗義智にあて、豊臣秀吉が朝鮮への侵攻に関する指示を与えた朱印状。小西摂津守(行長)の名もみえる。
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| 伝小西行長所用皺皮包(しぼかわづつみ)胴丸具足(個人蔵) | 小西行長書状(京都市歴史資料館蔵) | 小西行長の花押(小西行長書状・京都市歴史資料館蔵より拡大表示) |
堺は、中世後期から近世初頭にかけて琉球貿易・遣明船貿易・朱印船貿易などの貿易港として繁栄しました。その遺跡である堺環濠都市遺跡からは建物跡・濠跡などが発見され、当時の人々が使用した大量の陶磁器などが出土しています。
なかでも、堺は武野紹鴎、千利休、天王寺屋(津田)宗及などの茶人が多く輩出しており、堺衆と呼ばれた商人が茶の湯に使用した陶磁器=「茶陶」が多数出土しています。
今回の展示では、出土した茶陶の中から岡山県備前市で生産されていた「備前焼」を取り上げます。備前焼は中世六古窯のひとつとして平安時代後期から生産が開始され、甕・壺・摺鉢など釉薬のかからない焼締陶器を中心に生産していましたが、中世後期には茶陶も数多く生産しました。
伝世品の茶陶にも劣らない堺環濠都市遺跡から出土した約70点の備前焼「名品」を展示します。
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| 備前焼肩衝茶入(SKT735) | 備前焼矢筈口水指(SKT263) |